底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
Humanitext がクローン・再構成し、継続的に更新しています。
要旨
本作は、言葉による説得の技術である「弁論術」の正体と、人間がいかに生きるべきかという倫理的根本問題を追究する哲学対話篇である。ソクラテスは、高名な弁論家ゴルギアス、その弟子のポロス、そして野心的な政治家カリクレスと順に対話を重ねていく。ソクラテスは、弁論術が真の知識を欠いた「諂い」にすぎないと看破し、不正を被るよりも行う方が大きな悪であり、罰を免れる不正な者こそが最も不幸であると論証する。さらに、欲望の限りを尽くす「強者の正義」を主張するカリクレスに対し、魂の節制と秩序こそが真の徳であり、市民の魂を善くすることこそが真の政治であると説く。最後は裸の魂が裁かれる死後の審判の神話が語られ、現世での不義を避け、正義を実践する生き方のみが究極の幸福をもたらすという確信をもって対話が締めくくられる。
目次
53 チャンク
引用方式:section
- §447-448
ゴルギアスの技術をめぐる問いとポロスの称賛
ソクラテスとカイレポンは、カリクレスの案内で、高名な弁論家ゴルギアスの滞在先を訪れる。カイレポンはゴルギアスの弟子ポロスに対して彼の専門とする技術を問いかけるが、ポロスは具体的な技術名に答えず、ただその技術を称賛するのみである。
- §449
弁論術の規定と簡潔な問答への合意
ソクラテスはゴルギアスに対し、彼の専門技術が「弁論術」であり、自身を「弁論家」と呼ぶべきであることを認めさせる。さらにソクラテスは、短い対話形式(問答法)で議論を進めることを約束させ、弁論術の定義について尋ね始める。
- §450
言葉のみを通じて行われる技術としての弁論術
ソクラテスは医学や体育も「言葉」に関わることを指摘し、他の技術との違いを問う。ゴルギアスは、他の多くの技術が手仕事を伴うのに対し、弁論術はすべてが言葉を通じて行われると答える。
- §451
弁論術の対象と人間事における最大の善
ソクラテスは、算術、計算術、天文学の例を挙げて、言葉を用いる各技術が「何に関する言葉」を扱うかを説明し、ゴルギアスに弁論術が扱う対象を問い直す。ゴルギアスは「人間事の中で最善のもの」と答えるが、ソクラテスは宴会の歌を引いて、健康や美、富など他にも最善を主張するものがいると指摘する。
- §452
最大の善としての説得の力と他者の支配
ソクラテスは、医師、体育教師、蓄財家の仮想的な主張を引き合いに出し、ゴルギアスに対して弁論術がもたらす「最大の善」の具体的な定義を促す。ゴルギアスは、それが人々に自由を与え、他者を支配することを可能にする「言葉による説得の力」であると回答する。
- §453
説得を作り出す技術と諸技術における説得の相違
ソクラテスは弁論術の本質が「説得を生み出すこと」であることを確認し、算術などの他の諸技術も説得を伴うことを指摘して、弁論術固有の説得の定義へと議論を進める。
- §454
知識を与える説得と信念を生む弁論術の説得
ソクラテスとゴルギアスは、弁論術以外の技術もまた説得を作り出すことを確認し、弁論術が専門とするのは法廷等で正邪に関して用いられる説得であることを明らかにする。さらに二人は「学び(知識)」と「信じること(信念)」の区別を共有し、弁論術のもたらす説得が知識ではなく知識なき信念を与えるものであると合意する。
- §455-456
専門家を凌駕する弁論術の力とその正しい使用
ソクラテスとゴルギアスは、弁論術が専門知識ではなく「信念」のみを与える説得技術であることを確認する。ゴルギアスは、弁論術が専門家の意見さえ凌駕して大衆を説得できる絶大な力を持つことを示す一方、その強力な技術は正しく使われねばならず、技術自体の罪ではないと弁明する。
- §457-458
弁論術の誤用への責任と真理探究の対話姿勢
ゴルギアスは弁論術がそれ自体悪ではなく、不正に用いる者に責任があると主張し、ソクラテスは彼の見解の矛盾を指摘する前に、議論の目的が相互の真理探究にあることを確認して対話を継続する。
- §459
無知な群衆への説得と正不正に関する知識
ソクラテスは弁論術が「知らない人々」の間で「知っている人」よりも説得力を持つ技術にすぎないことをゴルギアスに認めさせ、さらに、正不正や善悪といった倫理的価値についても同様に無知なまま説得するのか、あるいはあらかじめ学習者が真実を知っていなければならないのかを問いかける。
- §460-461
弁論家と正しさの関係およびポロスの介入
ソクラテスは「ある技術を学んだ者はその技術に応じた人間になる(正しいことを学んだ者は正しい人になる)」という前提から、弁論術の教師たるゴルギアスに対して、弁論家は決して不正を行い得ないという一貫した結論を導き出す。これに納得のいかない弟子のポロスが議論に割り込み、ソクラテスの誘導尋問的なやり方を批判する。
- §462-463
技術ではなく諂いとしての弁論術の規定
ソクラテスとポロスの対話が始まり、ソクラテスは弁論術を技術ではなく、料理術と同類の一種の「熟練」であり、その本質は「諂い」の一部にすぎないと規定する。
- §464-465
魂と身体に対する真の技術と四つの諂い
ソクラテスは、身体と魂をケアする4つの真なる技術(体育・医術・立法術・司法)と、これらに擬態して快楽のみを追求する4つの虚偽の「諂い」(化粧術・料理術・ソフィスト術・弁論術)の対応関係を、幾何学的な比例を用いて説明する。
- §466-467
僭主の権力と望むことと最善と思われることの区別
ソクラテスとポロスは、弁論家や僭主が国において最大の力を持つかどうかを議論する。ソクラテスは、彼らは自分の望むことを何一つ行っておらず、ただ最善と思われることを行っているにすぎず、理性がなければ力は善ではないと主張し、手段と目的の区別(例:薬を飲むことと健康)を導入する。
- §468
善を目的とする行為と理性を欠く僭主の無力
ソクラテスとポロスは、人間の行動は常に「中間にあるもの」そのものではなく「善いもの」を目的としていることを確認し、理性を欠いたまま自分のよいと思うことを行う者は、望むことを行っているわけではなく、したがって真の大きな力を持っていないという結論に達する。
- §469
不義を行うことと受けることの比較と短剣の比喩
ソクラテスとポロスは、正当あるいは不当に人を殺すことの哀れさと、不義を行うことと受けることのどちらが大きな悪であるかを議論する。ソクラテスは、単に自分の思い通りに破壊的影響を及ぼす能力は真の力ではないことを短剣の例えで示す。
- §470-471
アルケラオスの例と不義な者の幸福をめぐる対立
ソクラテスとポロスは、自分の望むことを行う力が有益性を伴うときのみ善いものであることに合意し、さらに不義を行う者が幸福であるか否かをめぐって対立する。ポロスはマケドニアの僭主アルケラオスの極悪非道な王位簒奪の歴史を挙げて不義なる者の幸福を主張するが、ソクラテスは彼の論駁を認めない。
- §472
対話における証人の無価値さと不正な者の幸福の論点
ソクラテスは、法廷のような多数の証人による反駁を無価値とし、対話相手自身を唯一の証人とすることの重要性を説く。さらに、不義を働く者が罰せられない方が悲惨であるという彼自身の見解と、罰せられない方が幸福であるというポロスの見解との対立を明確にする。
- §473-474
対話による反駁法と美の定義の合意
ソクラテスはポロスの過酷な拷問と僣主の幸福の対比に対抗し、一対一の対話による真の反駁方法を提示する。さらに、不義を働くことが醜い以上は悪いことであると論じるための前提として、美の定義(快楽と有益さ)に同意を求める。
- §475
不義を働くことが不義を被るより悪いことの証明
ソクラテスは、美と醜の定義に基づき、不義を働くことは不義を被るよりも「苦痛」か「悪」において勝るはずだと論じる。不義を働く方が苦痛が大きいわけではないため、不義を働くことは不義を被るよりも悪い(悪において勝る)という結論をポロスに認めさせる。
- §476
正当に罰を受けることが有益であることの証明
ソクラテスは能動的な作用と受動的な影響の間に厳密な因果関係が成立することを確認し、それによって「正当に罰を受けること」が「正しい作用を受けること」であり、したがって有益で価値のある経験であることをポロスに合意させる。
- §477-478
魂の悪徳としての不義と治療としての刑罰
ソクラテスは、美醜の定義(快または害)に基づき、魂の悪徳(不義)が一切の身体的苦痛はないものの最大の害をもたらすため、あらゆる悪の中で最も醜く、かつ最大の悪であることを論証する。さらに、刑罰が魂の悪徳に対する治療法であり、罰を受けることは最大の悪から解放されるプロセスであることを示し、罰を逃れる不義の者が最も不幸せな存在であると結論づける。
- §479-480
刑罰を逃れる者の惨状と告発のための弁論術
ソクラテスは、不義を働きながら罰を受けない者は、治療を恐れる重病人のように最も悲惨な状態にあることを論証する。これに基づき、弁論術は自己の罪を覆い隠すためではなく、むしろ自他を率先して告発し、刑罰という治療を受けさせるためにのみ用いられるべきであるという逆説的な結論を導く。
- §481
敵を罰から免れさせる弁論術とカリクレスの介入
ソクラテスが、不義を働く敵に対して弁論術を用いて罰を免れさせるという逆説的な有用性を語り、これを聞いたカリクレスが、その真剣さに驚いてソクラテスの本心を尋ねる。
- §482-483
自然と法習俗の対立とカリクレスの強者の正義論
ソクラテスが自らの探求への忠実さを語り、カリクレスに哲学の議論を論破するよう促す。これに対してカリクレスは、ソクラテスが「自然」と「法(習俗)」の対立を利用して詭弁を弄していると非難し、弱者が制定した法に反して、強者が多くを得ることこそが「自然の正義」であると主張する。
- §484-485
自然の法と大人における哲学の有害性
カリクレスは、社会が強者を従属させるために用いる不自然な制度や法律を批判し、自然の正義とは優れた強者が支配することであると論じ、その例としてピンダロスの詩を引用する。また、大人になっても哲学に耽溺することは人間を未経験で男らしさのない無能な存在に貶めると警告し、ソクラテスに実社会の活動に戻るよう勧める。
- §486-487
カリクレスの忠告と試金石としての対話者
カリクレスは悲劇の詩句を引用し、哲学に執着するソクラテスが現実の社会で無力であると忠告し実務を勧める。これに対しソクラテスは、彼を自分の魂の正しさを検証するための、知識・好意・率直さを兼ね備えた最適な「試金石」として歓迎する。
- §488
強者とより優れた者の定義の吟味
ソクラテスは、カリクレスによる人生の忠告を歓迎しつつ、カリクレスとピンダロスが主張する「強者の支配が自然の正義である」という議論の前提を問い直し、「より優れた者」「より良き者」「より強い者」の定義が同一であるか否かを問う。
- §489
多数者の正義とより優れた者の再定義
ソクラテスは多数派の合意が自然の正義とも一致することを示してカリクレスの主張の矛盾を突き、カリクレスは「より優れた者」を肉体的な強さではなく「より賢い者」のことだと再定義して反論する。
- §490-491
多くを持つべき者と国政における賢さと勇敢さ
ソクラテスは、最も賢い者が多くを得るべきだというカリクレスの主張に対し、医師や職人が食物や衣服を不当に多く得るべきかという例を挙げて反論する。カリクレスはこれに反発し、より優れた者とは国政において賢く勇敢な者たちであると再定義する。
- §492-493
欲望の充足と漏れる水瓶の比喩
カリクレスは、自然本来の正義とは欲望を最大限に肥大させ、それを満たす能力を持つことだと主張し、節制や法を弱者の言い訳として退ける。これに対してソクラテスは、死が真の生であり、肉体は魂の墓であるという説話を引き、欲望を抑制しない生を、水が漏れる水瓶や篩で水を運ぶ苦行に例えて反論する。
- §494-495
快楽と善の同一視に対する批判の開始
ソクラテスは水漏れのない水瓶と水漏れする水瓶の比喩を完結させ、カリクレスに節制の生の優位性を説得しようとするが、カリクレスは拒否する。ソクラテスは快楽と善の同一視を批判するために疥癬や男娼の極端な例を挙げ、議論の前提を確認しつつ快楽と善が異なることを示す新たな議論を開始する。
- §496-497
対立概念の共存不可能性による快と善の区別
ソクラテスは、健康と病気のような対立する状態が同時に存在しない一方で、渇きと飲む行為における苦痛と快楽は同時に経験され、かつ同時に消失することを指摘し、快楽と善は異なるものであると論証する。
- §498
愚者や臆病者の快楽から生じる快善説の矛盾
ソクラテスはカリクレスとの対話において、賢者と愚者、臆病者と勇敢な者が同様に快楽と苦痛を感じるという事実から、善人と悪人が同様の度合いで善く、かつ悪くなってしまうという矛盾を指摘する。
- §499
カリクレスによる善い快楽と悪い快楽の区別
ソクラテスは、以前のカリクレスの主張から生じる「悪人が良人と同じくらい善い者になる」という論理的矛盾を整理する。カリクレスはこれを子供騙しの言葉遊びだと批判し、快楽には善いものと悪いものがあるという区別を導入して自説を修正する。
- §500
目的としての善と二つの生き方の比較
ソクラテスは、すべての行為の究極の目的は善であり、快楽も善のために追求されるべきだという点を確認する。さらに、政治家としての生と哲学的な生という、二つの対立する生き方の根本的な違いについて真剣に吟味することをカリクレスに提案する。
- §501
技術と経験の区別と魂への快楽の追求
ソクラテスは、技術(医術など)が対象の性質と原因をロゴスに基づいて考究するのに対し、経験(料理法など)は無計画に快楽のみを追求する「おもねり」であることを確認し、これが魂に係わる活動(音楽演奏など)にも適用できるかをカリクレスに問いかける。
- §502-503
詩作における迎合と真の弁論術の探求
ソクラテスは詩作、特に悲劇が観衆を喜ばせるおもねりの弁論術であることを示し、さらに市民を本当に良くすることを目指す真の弁論術の存在と、そのような徳を備えた政治家が過去にいたかについてカリクレスと議論する。
- §504
魂と身体の秩序と優れた弁論家の務め
ソクラテスは、あらゆる職人が秩序と調和を目指すように、身体の健康や魂の徳(正義・節制)も秩序と規律から生じると論じる。そして、優れた弁論家は市民の魂にこれらの徳を植え付けることを目指すべきだと主張する。
- §505-506
魂への懲罰とソクラテスの自問自答
ソクラテスは病んだ身体の欲望を抑えるのと同様に、悪い状態にある魂の欲望を制限して懲らしめることが有益であると語る。カリクレスが対話から離脱したため、ソクラテスは一人二役の対話形式で議論を続け、快と善の区別や秩序による徳の形成を再確認する。
- §507-508
節制ある魂の善性と幾何学的平等
ソクラテスは、節制ある魂こそが正義、勇敢、敬虔を備えた完全に善いものであり、幸福に至る唯一の道であることを論証する。さらに、宇宙全体を貫く幾何学的平等と秩序の重要性を説き、不正を受けることよりも行うことの方が醜く悪いという自身の主張を再確認する。
- §509
不正の回避に必要な能力と不本意な不正
ソクラテスは先の議論の結論が確固として証明されていると述べ、自らを助ける能力がないことが最大の恥であると主張する。そして、不正を「被らないこと」と「行わないこと」を避けるためには単なる意志ではなく能力や技術が必要であり、すべての不正は不本意に行われるという合意を再確認する。
- §510-511
支配者への同化による害毒と航海術の比喩
ソクラテスとカリクレスは、不正を被らずかつ大きな力を得るためには、支配者となるか既存の体制に似る必要があるが、それは魂の堕落という最大の悪を招くことを論じる。また、命を救う様々な技術のうち、航海術が極めて有用かつ安価でありながらも威張ることがない理由を語る。
- §512-513
延命の技術と民衆への迎合がもたらす魂の堕落
ソクラテスは、単に命を救う技術(航海術や機械技術など)が必ずしも魂の善さをもたらすわけではないとし、真に良い生とは何か、そして政治的権力を得るためにアテナイの民衆にただ同調することがいかに魂を害するかをカリクレスに説く。
- §514
国政に関わる前提としての技術と実績の証明
ソクラテスは、市民を善くすることを目指す政治に携わる前に、建築術や医術の例を挙げ、私的な活動において十分な技術修練と実績を積んだことを証明せねばならないと主張する。
- §515-516
市民の改善という実績と過去の政治家への評価
ソクラテスは、カリクレス自身がこれまでに市民を善くした実績があるかを問い、さらにペリクレスら過去の著名な政治家たちが晩年に市民から処罰された事実を挙げ、彼らが真の優れた政治家ではなかったことを論証する。
- §517
欲望の奉仕者としての政治家と魂の真の配慮
ソクラテスは、過去の著名な政治家たちも市民を真に善くしたわけではなく、単に市民の欲望を満たす「召使」にすぎなかったと指摘する。そして、衣食住の調達(身体への奉仕)と、体育や医術(真の身体の世話)の対比を用いて、国家の真の運営(魂の世話)のあり方を説明する。
- §518-519
料理人と政治家の類比と市民を非難する不条理
ソクラテスは、かつての政治家たちを優れたケアの提供者と同一視するカリクレスの過ちを、肉体の世話人と料理人を混同することに例えて批判する。さらに、政治家が市民から不当に扱われたと不平を言うことの不条理さを、ソフィストの徳の教育の矛盾と並べて論じる。
- §520-521
真の政治技術と法廷で裁かれる医師の予言
ソクラテスは、ソフィストと弁論家の類似性と、徳を教える者が不当に扱われると非難することの不条理さを指摘する。カリクレスから仕える者としての政治を勧められると、ソクラテスは自身が真の政治を行っている唯一の者であり、法廷に引き出されれば子供たちに裁かれる医師のようになるだろうと予言する。
- §522
不正を働かない最善の自己防衛と冥府の物語の予告
ソクラテスは、子供たち(市民)に囲まれて告発される医師の比喩を用いて、自分が裁判で陥るであろう苦境を説明し、最善の自己防衛とは不正を働かないことであると説き、冥府での魂のあり方について語ろうとする。
- §523-524
死後の審判に関する神話とゼウスによる制度改革
ソクラテスは、クロノスの時代から続く死後の審判に関する神話を語る。かつては生者が生者を裁いていたため不公平が生じていたが、ゼウスはこれを正すため、死者が裸の状態で、同じく死者である裁判官によって裁かれる新たな審判制度を確立した。
- §525-526
冥府の裁判官による魂の処遇と統治者の罪
ソクラテスは、冥界の裁判官が不義を働いた魂をどのように見極め、罰するかを説明する。特に、大きな権力を持つ者ほど不治の大罪を犯しやすく、彼らが冥界で永遠の「見せしめ」とされる一方で、本分を尽くした哲学者は祝福された島へ送られるとし、自らも正しく生きることを決意してカリクレスにその闘いへの参入を促す。
- §527
正義の実践による魂の配慮と対話の結論
ソクラテスは、死後の審判を前にして現世の政治的権力や名誉がいかに無力であるかを警告し、正義を実践して魂を健やかに保つ生き方こそが最善であると主張して対話を締めくくる。
