- 底本
- Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg023.humanitext-grc2:475
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
ソクラテスは、美と醜の定義に基づき、不義を働くことは不義を被るよりも「苦痛」か「悪」において勝るはずだと論じる。不義を働く方が苦痛が大きいわけではないため、不義を働くことは不義を被るよりも悪い(悪において勝る)という結論をポロスに認めさせる。
ΠΩΛ. οὐκ ἔμοιγε δοκεῖ. ΣΩ. οὐκοῦν καὶ τὸ τῶν μαθημάτων κάλλος ὡσαύτως; ΠΩΛ. πάνυ γε· καὶ καλῶς γε νῦν ὁρίζῃ,1 ὦ Σώκρατες, ἡδονῇ τε καὶ ἀγαθῷ ὁριζόμενος τὸ καλόν. ΣΩ. οὐκοῦν τὸ αἰσχρὸν τῷ ἐναντίῳ, λύπῃ τε καὶ κακῷ; ΠΩΛ. ἀνάγκη. ΣΩ. ὅταν ἄρα δυοῖν καλοῖν θάτερον κάλλιον ᾖ, ἢ τῷ ἑτέρῳ τούτοιν ἢ ἀμφοτέροις ὑπερβάλλον κάλλιόν ἐστιν, ἤτοι ἡδονῇ ἢ ὠφελίᾳ ἢ ἀμφοτέροις. ΠΩΛ. πάνυ γε. ΣΩ. καὶ ὅταν δὲ δὴ δυοῖν αἰσχροῖν τὸ ἕτερον αἴσχιον ᾖ, ἤτοι λύπῃ ἢ κακῷ ὑπερβάλλον αἴσχιον ἔσται· ἢ οὐκ ἀνάγκη; ΠΩΛ. ναί. ΣΩ. φέρε δή, πῶς ἐλέγετο νυνδὴ περὶ τοῦ ἀδικεῖν καὶ ἀδικεῖσθαι; οὐκ ἔλεγες τὸ μὲν ἀδικεῖσθαι κάκιον εἶναι, τὸ δὲ ἀδικεῖν αἴσχιον; ΠΩΛ. ἔλεγον. ΣΩ. οὐκοῦν εἴπερ αἴσχιον τὸ ἀδικεῖν τοῦ ἀδικεῖσθαι, ἤτοι λυπηρότερόν ἐστιν καὶ λύπῃ ὑπερβάλλον αἴσχιον ἂν εἴη ἢ κακῷ ἢ ἀμφοτέροις; οὐ καὶ τοῦτο ἀνάγκη; ΠΩΛ. πῶς γὰρ οὔ; ΣΩ. πρῶτον μὲν δὴ σκεψώμεθα, ἆρα λύπῃ ὑπερβάλλει τὸ ἀδικεῖν τοῦ ἀδικεῖσθαι, καὶ ἀλγοῦσι μᾶλλον οἱ ἀδικοῦντες ἢ οἱ ἀδικούμενοι; ΠΩΛ. οὐδαμῶς, ὦ Σώκρατες, τοῦτό γε. ΣΩ. οὐκ ἄρα λύπῃ γε ὑπερέχει. ΠΩΛ. οὐ δῆτα. ΣΩ. οὐκοῦν εἰ μὴ λύπῃ, ἀμφοτέροις μὲν οὐκ ἂν ἔτι ὑπερβάλλοι. ΠΩΛ. οὐ φαίνεται. ΣΩ. οὐκοῦν τῷ ἑτέρῳ λείπεται. ΠΩΛ. ναί. ΣΩ. τῷ κακῷ. ΠΩΛ. ἔοικεν. ΣΩ. οὐκοῦν κακῷ ὑπερβάλλον τὸ ἀδικεῖν κάκιον ἂν εἴη τοῦ ἀδικεῖσθαι. ΠΩΛ. δῆλον δὴ ὅτι. ΣΩ. ἄλλο τι οὖν2 ὑπὸ μὲν τῶν πολλῶν ἀνθρώπων καὶ ὑπὸ σοῦ ὡμολογεῖτο ἡμῖν ἐν τῷ ἔμπροσθεν χρόνῳ αἴσχιον εἶναι τὸ ἀδικεῖν τοῦ ἀδικεῖσθαι; ΠΩΛ. ναί. ΣΩ. νῦν δέ γε κάκιον ἐφάνη. ΠΩΛ. ἔοικε. ΣΩ. δέξαιο ἂν οὖν σὺ μᾶλλον τὸ κάκιον καὶ τὸ αἴσχιον ἀντὶ τοῦ ἧττον; μὴ ὄκνει ἀποκρίνασθαι, ὦ Πῶλε· οὐδὲν γὰρ βλαβήσῃ· ἀλλὰ γενναίως τῷ λόγῳ ὥσπερ ἰατρῷ παρέχων3 ἀποκρίνου, καὶ ἢ φάθι ἢ μὴ ἃ ἐρωτῶ. ΠΩΛ. ἀλλʼ οὐκ ἂν δεξαίμην, ὦ Σώκρατες. ΣΩ. ἄλλος δέ τις ἀνθρώπων; ΠΩΛ. οὔ μοι δοκεῖ κατά γε τοῦτον τὸν λόγον. ΣΩ. ἀληθῆ ἄρα ἐγὼ ἔλεγον, ὅτι οὔτʼ ἂν ἐγὼ οὔτʼ ἂν σὺ οὔτʼ ἄλλος οὐδεὶς ἀνθρώπων δέξαιτʼ ἂν μᾶλλον ἀδικεῖν ἢ ἀδικεῖσθαι· κάκιον γὰρ τυγχάνει ὄν. ΠΩΛ. φαίνεται.
ポロス:私にはそのようには思えません。 ソクラテス:それでは、諸学問の美しさについても同様ではないかね。 ポロス:まったくその通りです。そしてソクラテス、あなたが美を快楽と善によって定義しているのは、今や実に見事な定義の仕方です。 ソクラテス:そうすると、醜いことはその反対のもの、すなわち苦痛と悪によって定義されるのではないかね。 ポロス:必然的にそうなります。 ソクラテス:それなら、二つの美しいもののうち一方がより美しいとき、それはこれら二つのうちのいずれか一方、あるいは両方において勝っていることによって、すなわち、快楽か、有益さか、あるいはその両方において勝っていることによって、より美しいのだね。 ポロス:まったくその通りです。 ソクラテス:そして他方、二つの醜いもののうち一方がより醜いとき、それは苦痛か悪において勝っていることによってより醜いことになるだろう。あるいは、そうなるのは必然ではないかね。 ポロス:はい。 ソクラテス:さあ、では、先ほど不義を働くことと不義を被ることについて、どのように言われていたかね。君は、不義を被ることはより悪く、不義を働くことはより醜いと言っていなかったかね。 ポロス:言いました。 ソクラテス:そうであるなら、もし不義を働くことが不義を被ることよりも醜いとするなら、それはより苦痛であるか、あるいは苦痛において勝ることによってより醜いか、あるいは悪において勝ることによって、あるいはその両方において勝ることによってより醜いかのいずれかではないかね。このこともまた必然ではないかね。 ポロス:どうしてそうでないことがあり得ましょう。 ソクラテス:まず第一に検討してみよう。はたして不義を働くことは不義を被ることを苦痛において勝っているだろうか。そして、不義を働く者たちは不義を被る者たちよりも多く苦痛を感じているだろうか。 ポロス:ソクラテス、決してそのようなことはありません、その点については。 ソクラテス:では、少なくとも苦痛において勝ってはいないのだね。 ポロス:まったくその通り、勝っていません。 ソクラテス:そうすると、もし苦痛においてでないなら、もはや両方において勝るということはあり得ないね。 ポロス:そのように思えません。 ソクラテス:したがって、残る一方において勝るということになるね。 ポロス:はい。 ソクラテス:悪においてだ。 ポロス:そのようです。 ソクラテス:そうであるなら、悪において勝っている以上、不義を働くことは不義を被ることよりも悪いということになるね。 ポロス:明らかにそうです。 ソクラテス:そうすると、以前においては、多くの人々によっても君によっても、不義を働くことは不義を被ることよりも醜いということが、私たちに合意されていたのではないかね。 ポロス:はい。 ソクラテス:しかし今や、それはより悪いということが明らかになった。 ポロス:そのようです。 ソクラテス:それでは、君はより悪く、より醜い方を、そうではない方の代わりに望むかね。ポロスよ、答えるのをためらわないでくれ。何も害されることはないのだから。そうではなく、高貴に、議論を医師に対するように身を委ねて答え、私の問うことに対して、そうであるとか、そうではないとか言ってくれ。 ポロス:いや、私は望まないでしょう、ソクラテス。 ソクラテス:では、他のいかなる人間なら望むだろうか。 ポロス:少なくともこの議論に従う限り、そうは思えません。 ソクラテス:そうすると、私は真実を言っていたのだね。私でも君でも、あるいは他のいかなる人間でも、不義を被ることよりも不義を働くことを望むことはない、と。なぜなら、不義を働くことの方がより悪いのであるから。 ポロス:そのように思えます。
- 475aὁρίζῃ
形式は中受動態2人称単数形であるが、ここでは「自分で引き受けて定義を下す」という主体的・能動的な中道態(間接中道態)の意味で機能している。
- 475dἄλλο τι οὖν
慣用句 ἄλλο τι ἤ から接続詞 ἤ が省略された形式。実質的には「〜ではないか」と強い肯定の同意を求める付加疑問(ラテン語の nonne に相当)として機能している。
- 475dπαρέχων
再帰代名詞 ἑαυτόν (自分自身)が省略されており、自動詞的に「(議論に対して)自分自身を委ねる、提供する」という意味で用いられている。これに続く τῷ λόγῳ ὥσπερ ἰατρῷ(医者に対するように議論に)に係っている。
