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ゴルギアス

§500

目的としての善と二つの生き方の比較

ソクラテスは、すべての行為の究極の目的は善であり、快楽も善のために追求されるべきだという点を確認する。さらに、政治家としての生と哲学的な生という、二つの対立する生き方の根本的な違いについて真剣に吟味することをカリクレスに提案する。

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§500

ΣΩ. ἕνεκα γάρ που τῶν ἀγαθῶν ἅπαντα ἡμῖν ἔδοξεν πρακτέον εἶναι, εἰ μνημονεύεις, ἐμοί τε καὶ Πώλῳ. ἆρα καὶ σοὶ συνδοκεῖ οὕτω, τέλος εἶναι ἁπασῶν τῶν πράξεων τὸ ἀγαθόν, καὶ ἐκείνου ἕνεκα δεῖν πάντα τἆλλα πράττεσθαι ἀλλʼ οὐκ ἐκεῖνο τῶν ἄλλων; σύμψηφος ἡμῖν εἶ καὶ σὺ ἐκ τρίτων;1 ΚΑΛ. ἔγωγε. ΣΩ. τῶν ἀγαθῶν ἄρα ἕνεκα δεῖ καὶ τἆλλα καὶ τὰ ἡδέα πράττειν, ἀλλʼ οὐ τἀγαθὰ τῶν ἡδέων. ΚΑΛ. πάνυ γε. ΣΩ. ἆρʼ οὖν παντὸς ἀνδρός ἐστιν ἐκλέξασθαι ποῖα ἀγαθὰ τῶν ἡδέων ἐστὶν καὶ ὁποῖα κακά, ἢ τεχνικοῦ δεῖ εἰς ἕκαστον; ΚΑΛ. τεχνικοῦ. ΣΩ. ἀναμνησθῶμεν δὴ ὧν αὖ ἐγὼ πρὸς Πῶλον καὶ Γοργίαν ἐτύγχανον λέγων. ἔλεγον γὰρ αὖ, εἰ μνημονεύεις, ὅτι εἶεν2 παρασκευαὶ αἱ μὲν μέχρι ἡδονῆς, αὐτὸ τοῦτο μόνον παρασκευάζουσαι, ἀγνοοῦσαι δὲ τὸ βέλτιον καὶ τὸ χεῖρον, αἱ δὲ γιγνώσκουσαι ὅτι τε ἀγαθὸν καὶ ὅτι κακόν· καὶ ἐτίθην τῶν μὲν περὶ τὰς ἡδονὰς τὴν μαγειρικὴν ἐμπειρίαν ἀλλὰ οὐ τέχνην, τῶν δὲ περὶ τὸ ἀγαθὸν τὴν ἰατρικὴν τέχνην. καὶ πρὸς Φιλίου, ὦ Καλλίκλεις, μήτε αὐτὸς οἴου δεῖν πρὸς ἐμὲ παίζειν μηδʼ ὅτι ἂν τύχῃς παρὰ τὰ δοκοῦντα ἀποκρίνου, μήτʼ αὖ τὰ παρʼ ἐμοῦ οὕτως ἀποδέχου ὡς παίζοντος· ὁρᾷς γὰρ ὅτι περὶ τούτου ἡμῖν εἰσιν οἱ λόγοι, οὗ τί ἂν μᾶλλον σπουδάσειέ τις καὶ σμικρὸν νοῦν ἔχων ἄνθρωπος, ἢ τοῦτο,3 ὅντινα χρὴ τρόπον ζῆν, πότερον ἐπὶ ὃν σὺ παρακαλεῖς ἐμέ, τὰ τοῦ ἀνδρὸς δὴ ταῦτα πράττοντα, λέγοντά τε ἐν τῷ δήμῳ καὶ ῥητορικὴν ἀσκοῦντα καὶ πολιτευόμενον τοῦτον τὸν τρόπον ὃν ὑμεῖς νῦν πολιτεύεσθε, ἢ τόνδε τὸν βίον τὸν ἐν φιλοσοφίᾳ, καὶ τί ποτʼ ἐστὶν οὗτος ἐκείνου διαφέρων. ἴσως οὖν βέλτιστόν ἐστιν, ὡς ἄρτι ἐγὼ ἐπεχείρησα, διαιρεῖσθαι, διελομένους δὲ καὶ ὁμολογήσαντας ἀλλήλοις, εἰ ἔστιν τούτω διττὼ τὼ βίω, σκέψασθαι τί τε διαφέρετον ἀλλήλοιν καὶ ὁπότερον βιωτέον αὐτοῖν. ἴσως οὖν οὔπω οἶσθα τί λέγω. ΚΑΛ. οὐ δῆτα. ΣΩ. ἀλλʼ ἐγώ σοι σαφέστερον ἐρῶ. ἐπειδὴ ὡμολογήκαμεν ἐγώ τε καὶ σὺ εἶναι μέν τι ἀγαθόν, εἶναι δέ τι ἡδύ, ἕτερον δὲ τὸ ἡδὺ τοῦ ἀγαθοῦ, ἑκατέρου δὲ αὐτοῖν μελέτην τινὰ εἶναι καὶ παρασκευὴν τῆς κτήσεως, τὴν μὲν τοῦ ἡδέος θήραν, τὴν δὲ τοῦ ἀγαθοῦ—αὐτὸ δέ μοι τοῦτο πρῶτον ἢ σύμφαθι ἢ μή. σύμφῃς; ΚΑΛ. οὕτως φημί.

ソクラテス:というのも、もし君が覚えているなら、私とポロスにとっては、善いもののためにすべてのことが行われるべきだと思われたからだ。君にとっても同様に、あらゆる行為の目的は善であり、その善のために他のすべてのことが行われねばならず、他のもののためにその善が行われるのではない、と思われるかね。君も我々と同じ票を投じて三人目になるかね。 カリクレス:そうしよう。 ソクラテス:それなら、他のことや快いことも善いことのために行われねばならず、快いことのために善いことが行われてはならないのだね。 カリクレス:まさにその通り。 ソクラテス:では、快いことのうち、どのようなものが善いもので、どのようなものが悪いものであるかを選び分けるのは、誰にでもできることなのだろうか、それとも個々のケースについて専門技術者が必要なのだろうか。 カリクレス:専門技術者が必要だ。 ソクラテス:それでは、私がポロスやゴルギアスに対して語っていたことを思い出してみよう。私は、もし君が覚えているなら、次のように言っていた。すなわち、一方には快楽にのみ至る配慮があり、それはこの快楽そのものだけを調達し、より良いものとより悪いものについては何も知らず、他方には、何が善であり何が悪であるかを知っている配慮がある、とね。そして、快楽に関するもののうち料理法を経験であって技術ではないとし、善に関するもののうち医術を技術としたのだ。そして友情の神にかけて、カリクレスよ、君自身、私に対してふざけるべきだと思ったり、自分の思っていることとは裏腹に行き当たりばったりの答えをしたりしないでくれ。また私の方から言うことを、ふざけて言っているかのように受け取らないでくれ。というのも、我々の議論はまさに、いささかの知性を持つ人間であっても、これ以上に真剣になるものはないような事柄、すなわち、どのような方法で生きるべきか、ということをめぐってなされているのだから。すなわち、君が私に勧めているような、いわゆる「一人前の男」としての事柄を行い、民衆の中で演説し、弁論術を修め、君たちが現在行っているような方法で政治に関わる生き方なのか、あるいは哲学におけるこの生なのか、そしてこの生があの生と一体どのように異なっているのか、ということなのだ。それゆえ、おそらく最も良いのは、私が先ほど試みたように、これらを区別することであり、区別した上で、もし本当にこれらが二つの異なる生であるなら、これら二つが互いにどう異なっており、そのどちらを生きるべきかを、互いに合意した上で吟味することだ。おそらく、君は私が何を言っているのかまだ分かっていないかもしれない。 カリクレス:いや、さっぱりだ。 ソクラテス:では、もっと分かりやすく言おう。私と君は、善いものが存在し、快いものも存在し、快いものは善いものとは異なること、そしてその両方のそれぞれについて、それを獲得するための配慮と準備が存在し、一方は快いものの追求であり、他方は善いものの追求である、ということに合意したのだから――だがまず、この点そのものについて、私に同意するかしないか答えてくれ。同意するかね。 カリクレス:同意しよう。

構文注3 件
  1. 500aἐκ τρίτων

    「三人目として」を意味するイディオム的表現。ソクラテスとポロスという二人の合意に、カリクレスが加わって三人目の投票者となることを指す。

  2. 500bεἶεν

    間接話法における希求法(optative of indirect discourse)。主節の動詞 "ἔλεγον"(未完了過去)という過去時制に導かれているため、直説法 "εἰσίν" が希求法 "εἶεν" に変化している。

  3. 500cοὗ τί ἂν μᾶλλον σπουδάσειέ τις ... ἢ τοῦτο

    関係代名詞 "οὗ" は比較の属格であり、後続の比較級 "μᾶλλον" に係っている。先行詞は前節の "τούτου"(議論の主題)であり、後続の "ἢ τοῦτο"(「これ、すなわち……」)と同格関係にある。

翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(5 件・最終 2026-09-21)
  • 2026-09-21 AI校閲 — 訳文 5 件
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