底本
Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
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要旨
本作は、ソクラテスと若き数学徒テアイテトス、そして幾何学者テオドロスとの間で交わされた、「知識(エピステーメー)とは何か」という根源的な問いをめぐる対話篇です。導入部では、過去の対話の記録を読み上げる形で始まり、ソクラテスは自らの役割を、他者の魂から思想を引き出し吟味する「産婆術」に例えて対話を主導します。対話の中でテアイテトスはまず「知識とは感覚である」と定義し、ソクラテスはこれを受動的な知覚と万物流転説に関連づけて徹底的に吟味します。続いて「知識とは真なる意見(思いなし)である」という定義が提示され、「蝋板」や「鳥小屋」の比喩を用いて誤謬が生じる仕組みが議論されます。最後に「説明(ロゴス)を伴う真なる意見」という定義が検討されますが、説明自体の定義をめぐって再びアポリア(行き詰まり)に陥ります。最終的に合意された定義には至りませんが、テアイテトスが自らの無知を自覚し、知的な謙虚さを得ることで対話は幕を閉じます。
目次
45 チャンク
引用方式:section
- §142-143
エウクレイデスによる対話記録の朗読と序
エウクレイデスは戦場から重体で運ばれるテアイテトスに出会ったことを語り、かつてソクラテスが予言した彼の才能についてテルプシオンに思い返す。二人はエウクレイデスが記録したソクラテス、テオドロス、テアイテトスたちの対話の書物を少年に朗読させて読み始める。
- §144
テオドロスによるテアイテトスの紹介と登場
テオドロスは、容姿はソクラテスに似て醜いが、極めて聡明で穏やか、かつ勇敢な若者であるテアイテトスをソクラテスに紹介し、ソクラテスは彼を自分の隣に呼び寄せて対話を開始する。
- §145-146
知識とは何かという問いの提起
ソクラテスはテオドロスが画家ではないが様々な学問に通じていることを確認し、テアイテトスに対して「知識とは何か」という問いを提起し、彼にその定義を試みさせる。
- §147-148
粘土の例えとテアイテトスによる数の分類
ソクラテスはテアイテトスに対し、定義を問われた際にその具体例を列挙する誤りを粘土の例で示し、テアイテトスはそれに応じて、かつて若きソクラテスらと平方数と無理数の平方根を分類した数学的思考を共有する。
- §149-150
ソクラテスによる自身の産婆術の説明
ソクラテスは自身を産婆になぞらえ、若者の魂が出産しようとする思想を介助し、それが真実か偽りの幻影かを吟味する精神の「産婆術」を営んでいると説明する。
- §151
知識とは感覚であるというテアイテトスの定義
ソクラテスが自身の助産術としての役割と、知的な産みの苦しみに悶える人々との関わりについて説明し、テアイテトスに知識の定義を促す。それを受けて、テアイテトスは「知識とは感覚である」という最初の定義を提示する。
- §152-153
プロタゴラスの人間尺度論と流動説の導入
ソクラテスは、感覚が知識であるというテアイテトスの定義が、プロタゴラスの「人間尺度律」や、万物は運動と生成変化の過程にあるとするヘラクレイトスらの流動説と同調していることを示し、これを支持する詩人や自然哲学者たちの議論を紹介する。
- §154
感覚の相対性とサイコロの比較による逆説
ソクラテスは、色などの感覚特性が主観と運動の接触によって生じる相対的なものであることを説明し、さらに、それ自体は変化していないはずの対象が他との関係によって異なって現れる(サイコロの数の例)という逆説を提示する。
- §155-156
哲学の始まりとしての驚異と運動説の導入
ソクラテスは、物の大きさや数が矛盾して見えるパズルを提示し、それに対してテアイテトスが抱く「驚異」を哲学の始まりとして称賛する。そして、プロタゴラス流の認識論の基礎となる、万物を能動と受動の「運動」の相互作用として捉える洗練された学説を説明し始める。
- §157
生成の相対説と夢や狂気による知覚の反論
ソクラテスは変化の理論を感覚的性質全体に拡張し、関係性のみが実在を生むと述べる。彼は自分が産婆としてテアイテトスを助けていることを再確認し、夢や狂気などの知覚異常がこの説に与える反論について議論を始める。
- §158
覚醒と夢の区別の困難さと異なったものの能力
ソクラテスとテアイテトスは、夢や狂気の知覚が真実であるとされる問題に関連して、現在眠っているのか目覚めているのかを証明することの困難さを議論する。ソクラテスは、常に現れるものを真実とする説を擁護する立場から、「完全に異なるものは同一の能力を持ち得ない」という新たな前提を導入する。
- §159-160
知覚の相対性と知識は知覚であるという定義の完成
ソクラテスとテアイテトスは、同一人物であっても健康状態の変化により知覚のされ方(甘味と苦味)が変わり、存在や生成はすべて知覚者と対象の間の動的な関係性においてのみ成立することに同意する。これにより、テアイテトスの「知識=知覚」という定義は、プロタゴラスやヘラクレイトスらの学説と一致し、論理的に完成する。
- §161
万物の尺度説に対する疑念と問答の意義
ソクラテスは、「知識は知覚である」という定義の吟味を開始することを宣言する。彼はプロタゴラスの「人間は万物の尺度」という説を取り上げ、各人の判断がすべて真実であるならば、なぜプロタゴラスが教師として尊重されるのか、また対話の営み自体が無意味になるのではないかと問う。
- §162-163
対話者の交代と記憶を通じた知識知覚説の吟味
ソクラテスとテオドロスは対話の相手をテアイテトスに戻すことに合意する。ソクラテスは「知識と知覚は同一である」という定義の検証を再開し、もしそれが真実であるなら、「目を閉じている(見ていない)ときには、記憶していてもその対象を知らないことになる」という不条理が生じることを指摘し始める。
- §164-165
記憶と閉眼の難問と知覚説の逆説
ソクラテスは「知識と知覚は同じ」という定義が、「覚えているが(目を閉じているため)見ていない=知らない」という不条理を導くことを示し、一旦定義を退ける。さらに、プロタゴラスを救援する前に、言葉の定義の罠によって「同じ一人が同じものを知っており、かつ知らない」というより深刻な不条理に陥る論理戦の難しさを提示する。
- §166-167
ソクラテスによるプロタゴラスの弁明と知恵の定義
ソクラテスがプロタゴラスを擬人化し、テアイテトスたちによるこれまでの批判に対して彼自身の言葉として反論を展開する。プロタゴラスは相対主義を擁護しつつ、「尺度」である人間にとって「知恵」とは絶対的真理の獲得ではなく、認識や状態をより「良い」ものへと移行させることであると主張する。
- §168
論争と対話の区別とテオドロスへの議論の要請
ソクラテスは論争と対話を明確に区別し、相手を正しく導く真剣な対話の重要性を説く。そしてプロタゴラスの説を子供相手の遊びにしないため、テオドロス自身に真剣な議論の相手となるよう求める。
- §169-170
テオドロスの参加と人間尺度説の自己論駁の端緒
ソクラテスはテオドロスを説得して議論に引き込み、プロタゴラスの本人の言葉から、各人の判断が他者から偽とみなされる現実を導き出し、人間尺度説の矛盾を突き始める。
- §171
人間尺度説の自己論駁と知恵の優劣の存在
ソクラテスは、プロタゴラスの「人間尺度説」を、それに反対する他者の意見をも正しいと認めざるを得ないという論理(自己論破)によって反駁し、やはり専門的な知の領域においては人々の間に知恵の差があることを示す。
- §172
有益性の判断と哲学者と法廷人の対比の開始
ソクラテスは、ポリスの法や正義の基準が相対的であるとする説を紹介しつつ、有益性については専門的な知恵の差が認められると論じ、次いで哲学に生きる自由人と法廷の制約に縛られる奴隷的な人々との対比を開始する。
- §173-174
哲学者の世俗離れとタレスの井戸転落
ソクラテスは、法廷などのゆとりのない環境で生きる人々の魂が歪められていく様子を説明し、一方で真の哲学者は世俗の細事や名誉には全く関心を持たず、思考を高く飛翔させて万物の本質を探求する存在であることを対比する。さらに、タレスの井戸への転落エピソードを引いて、哲学者が身近な現実に対して無知で滑稽に見える理由を語る。
- §175
高次の議論における世俗の人の狼狽と哲学者
ソクラテスは、高貴な家柄や広大な土地を誇る大衆の視野の狭さを哲学者があざ笑う様子を説明し、今度は逆に哲学者が彼らを魂や正義の本質に関する高次の議論へと引き上げた時、訴訟慣れした世俗の人間の方が狼狽して無知を晒し、笑いものになることを示す。最後に、自由の中で育てられた哲学者と、世俗の雑用に追われて生きてきた凡庸な人間の対比を要約する。
- §176-177
神への同化による逃避と本来の議論への回帰
ソクラテスは、悪はこの世に必然的に存在するが、人間はできる限り神に似ることでここから逃れるべきであり、そのために正義と知恵を追求すべきだと説く。そして、真実を知らない悪人たちの実態を暴いた後、再びプロタゴラスの相対主義の議論に戻る。
- §178-179
未来の予測における人間尺度説の破綻と流動説
ソクラテスは、専門家による将来の予測や国家の立法など、「未来」に関わる領域においてはプロタゴラスの「人間尺度説」が通用しないことを示す。その後、感覚とその判断が常に真実であるとする主張の背後にある、ヘラクレイトス流の「流動説」の検証へと議論を進める。
- §180-181
流動説と静止説の対立および運動の二種類の分類
テオドロスがエペソスのヘラクレイトス派の人々の落ち着きのなさと議論の不可能性を語った後、ソクラテスは「万物は流動する」という流動説と、それに対立するパルメニデスらの静止説という二つの哲学史的主張を整理し、まずは流動説を検証するために運動を「場所移動」と「変異」の二種類に区分する。
- §182-183
万物流転説による感覚と知識の定義の破綻
ソクラテスとテオドロスは、万物流転説に従うと運動には移動と変異が同時に起こらねばならず、結果としていかなる言語表現も感覚も不確定になり、「感覚=知識」という定義が崩壊することを確認し、プロタゴラスの「人間尺度説」を退ける。
- §184
パルメニデス論の保留と感覚器官に対する魂の主導性
ソクラテスはパルメニデスの静止の議論の深遠さに敬意を表しつつも、本来の目的である「知識とは何か」の探求を優先し、知覚の主体としての魂と、身体の道具的な役割を区別する議論を始める。
- §185
共通概念の認識と魂自身の働き
ソクラテスは、異なる感覚器官を通じて得られた情報を統合し、存在や数、同一性などの「共通概念(共通のもの)」を認識するのは、個別の身体的器官ではなく、魂自身がそれ自体で行う活動であることを指摘し、テアイテトスもこれに同意する。
- §186-187
感覚と知識の区別と真なる思いなしの提示
ソクラテスとテアイテトスは、単なる肉体的感覚だけでは実在(有)や真理に触れることはできず、魂自身の思考こそがそれらを取り扱うため、感覚は知(認識)とは異なると結論づける。その後、知の定義を新たに「真なる思いなし(真なる意見)」と設定し、それを検討するために偽なる思いなしが生じるメカニズムについて再考し始める。
- §188
偽なる思いなしの可能性と知識の有無をめぐる検討
ソクラテスとテアイテトスは偽なる思いなしがいかにして可能かを検討し、まず「知っているか知らないか」という二者択一の観点からはそれが不可能であることを確認し、次に「存在することと存在しないこと」という別の観点からのアプローチを試み始める。
- §189-190
他想としての偽なる思いなしと魂の内なる対話
ソクラテスとテアイテトスは、「存在しないものを思いなすこと」の不可能性を確認した上で、偽なる思いなしを、ある存在するものを別の存在する事物と頭の中で取り違える「他想(異想)」として定義し直す。しかし、魂の思考プロセスを「内なる対話」として分析した結果、二つの事象を同時に、あるいは単独で思いなしている状態のいずれにおいても、一方が他方であると誤認することは不可能であるという結論に達し、この定義もまた否定される。
- §191
魂における蝋板の比喩と記憶による誤認の導入
ソクラテスは、偽なる思いなしの不可能性に関するこれまでの合意に誤りがあったとし、人間の魂の中に存在する「蝋の印肉板」という有名な比喩を導入して、記憶と認識のプロセスを説明し始める。
- §192
知識と感覚の組み合わせによる誤認の分類
ソクラテスは、人が知識や感覚、あるいはそれらの不在の組み合わせによって、ある対象を別の対象と誤認することが論理的に不可能な状況を系統的に列挙し、誤り(偽なる思いなし)が生じうる唯一の条件を提示しようとするが、テアイテトスは一度で理解できず、ソクラテスは再度彼らの記憶と知覚の具体例を使って説明を試みる。
- §193-194
蝋板における刻印の不一致と記憶の個人差
ソクラテスは、偽なる思いなしが生じるケースとして、対象の記憶(印記)と現在の感覚を掛け違えて適合させてしまう場合を挙げ、蝋板の比喩を用いて人々の記憶力や理解力の個体差を説明する。
- §195
誤認が生じる原因と抽象的思考における誤りの難題
ソクラテスは、不完全な心の状態が認識の誤りと無知をもたらす仕組みをまとめ、それまでの「感覚と思考の不一致」という誤謬の定義では、抽象的な数の同一視における誤りを説明できないという新たなアポリア(難題)を提示する。
- §196
計算ミスのアポリアと知ることの再定義の試み
ソクラテスは純粋な思考の対象(数)においても計算ミスによる偽なる意見(誤認)が起こることを指摘し、感覚と思考のズレでは説明できないアポリアを提示する。その打開策として、知識の定義が定まらないまま「知る」ことの意味を規定しようとする「恥知らずな」試みを提案する。
- §197-198
鳥小屋の比喩と知識の所有と把持の区別
ソクラテスは、魂を様々な鳥(知識)を飼う鳥小屋に例え、潜在的に「所有している」知識と、現に活動的に「持っている」状態を区別する。これに基づき、すでに知っている数を数える行為が、自身から再度知識を「学び直す(狩り出す)」プロセスであるという算術家のパラドックスを提示する。
- §199-200
無知の導入と無限後退の難題から真なる思い込みの再考へ
ソクラテスとテアイテトスは、知識を誤って取り出す仮定や、魂の中に無知(非知識)を混入させる仮定を検討するが、いずれも無限後退の自己矛盾に陥る。偽なる思い込みを定義するためにはまず知識そのものを定義せねばならないと合意し、テアイテトスは再び「真なる思い込みが知識である」という定義を提示する。
- §201-202
説明を伴う真なる思い込みと夢の理論の提示
ソクラテスは、裁判官の例を用いて「真なる思い込み」単独では知識になり得ないことを示し、テアイテトスが提示した「説明を伴う真なる思い込み」という新たな定義を検討する。ソクラテスは、要素(文字)は説明不可能で不可知だが複合体(音節)は可知であるという理論を導入し、その妥当性を吟味し始める。
- §203
音節と要素の知解可能性と夢の理論の批判
ソクラテスとテアイテトスは文字の要素と音節の例を用いて、要素が説明を欠き知られ得ないのに対し音節は説明を持ち知られ得るという「夢の説」の矛盾を暴き、音節が単に要素の集まりではなく独自の単一の形である可能性を模索する。
- §204
全体と総計の異同と部分の集合についての吟味
ソクラテスは「全体 (τὸ ὅλον)」と「総計 (τὸ πᾶν)」の違いについてテアイテトスに問いかけ、数が数えられたときの合計を例に挙げながら、部分から成るものは部分の総計と同一であることを確認する。
- §205
全体と総計の同一視と音節の不可知性
ソクラテスとテアイテトスは「総計」と「全体」が同一であることを合意し、音節がもしその構成元素と異なる分割不可能な単一の形であるならば、第一の元素と同様に説明不可能かつ不可知なものになってしまうというアポリアを導く。
- §206-207
要素の知識と説明の二つの意味の吟味
ソクラテスは文字学習の経験から、部分(音節)よりも要素(アルファベット)の知識こそが確実であることを確認し、さらに「正しい思いなしに説明を付加する」という言説の第一(思考を言葉に表現すること)および第二(要素を通じて全体を構成的に説明すること)の定義を検討する。
- §208
説明の第二の定義の否定と差異の提示
ソクラテスは文字の綴り方の例を挙げ、説明(元素による分析)を伴う正しい思いなしがあっても知識に到達していない場合があることを示し、説明(ロゴス)の第二の定義も不十分であると結論づける。続いて、他者との「差異」を示すことを説明とする第三の定義を提示する。
- §209-210
差異の説明の破綻と知識の定義の帰結
ソクラテスとテアイテトスは、正しい思いなしに「差異」の説明を加えることの自己矛盾を暴き、知識の定義としての「説明を伴う正しい思いなし」の不成立を宣言する。ソクラテスは自らの産婆術の意義を説き、裁判へ赴くために本日分の対話を切り上げる。
