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テアイテトス

§184

パルメニデス論の保留と感覚器官に対する魂の主導性

ソクラテスはパルメニデスの静止の議論の深遠さに敬意を表しつつも、本来の目的である「知識とは何か」の探求を優先し、知覚の主体としての魂と、身体の道具的な役割を区別する議論を始める。

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§184

ΣΩ. μέλισσον μὲν καὶ τοὺς ἄλλους, οἳ ἓν ἑστὸς λέγουσι τὸ πᾶν, αἰσχυνόμενος μὴ φορτικῶς σκοπῶμεν, ἧττον αἰσχύνομαι ἢ ἕνα ὄντα Παρμενίδην. Παρμενίδης δέ μοι φαίνεται, τὸ τοῦ Ὁμήρου, αἰδοῖός τέ μοι εἶναι ἅμα δεινός τε. συμπροσέμειξα γὰρ δὴ τῷ ἀνδρὶ πάνυ νέος πάνυ πρεσβύτῃ, καί μοι ἐφάνη βάθος τι ἔχειν παντάπασι γενναῖον. φοβοῦμαι οὖν μὴ οὔτε τὰ λεγόμενα συνιῶμεν,1 τί τε διανοούμενος εἶπε πολὺ πλέον λειπώμεθα, καὶ τὸ μέγιστον, οὗ ἕνεκα ὁ λόγος ὥρμηται, ἐπιστήμης πέρι τί ποτʼ ἐστίν, ἄσκεπτον γένηται ὑπὸ τῶν ἐπεισκωμαζόντων λόγων, εἴ τις αὐτοῖς πείσεται· ἄλλως τε καὶ ὃν νῦν ἐγείρομεν πλήθει ἀμήχανον, εἴτε τις ἐν παρέργῳ σκέψεται, ἀνάξιʼ ἂν πάθοι, εἴτε ἱκανῶς, μηκυνόμενος τὸ τῆς ἐπιστήμης ἀφανιεῖ. δεῖ δὲ οὐδέτερα, ἀλλὰ Θεαίτητον ὧν κυεῖ περὶ ἐπιστήμης2 πειρᾶσθαι ἡμᾶς τῇ μαιευτικῇ τέχνῃ ἀπολῦσαι. ΘΕΟ. ἀλλὰ χρή, εἰ δοκεῖ, οὕτω ποιεῖν. ΣΩ. ἔτι τοίνυν, ὦ Θεαίτητε, τοσόνδε περὶ τῶν εἰρημένων ἐπίσκεψαι. αἴσθησιν γὰρ δὴ ἐπιστήμην ἀπεκρίνω· ἦ γάρ; ΘΕΑΙ. ναί. ΣΩ. εἰ οὖν τίς σε ὧδʼ ἐρωτῴη· τῷ τὰ λευκὰ καὶ μέλανα ὁρᾷ ἄνθρωπος καὶ τῷ τὰ ὀξέα καὶ βαρέα ἀκούει; εἴποις ἂν οἶμαι ὄμμασί τε καὶ ὠσίν. ΘΕΑΙ. ἔγωγε. ΣΩ. τὸ δὲ εὐχερὲς τῶν ὀνομάτων τε καὶ ῥημάτων καὶ μὴ διʼ ἀκριβείας ἐξεταζόμενον τὰ μὲν πολλὰ οὐκ ἀγεννές, ἀλλὰ μᾶλλον τὸ τούτου ἐναντίον ἀνελεύθερον, ἔστι δὲ ὅτε ἀναγκαῖον, οἷον καὶ νῦν ἀνάγκη ἐπιλαβέσθαι τῆς ἀποκρίσεως ἣν ἀποκρίνῃ, ᾗ οὐκ ὀρθή. σκόπει γάρ· ἀπόκρισις ποτέρα ὀρθοτέρα, ᾧ ὁρῶμεν3 τοῦτο εἶναι ὀφθαλμούς, ἢ διʼ οὗ ὁρῶμεν, καὶ ᾧ ἀκούομεν ὦτα, ἢ διʼ οὗ ἀκούομεν; ΘΕΑΙ. διʼ ὧν ἕκαστα αἰσθανόμεθα, ἔμοιγε δοκεῖ, ὦ Σώκρατες, μᾶλλον ἢ οἷς. ΣΩ. δεινὸν γάρ που, ὦ παῖ, εἰ πολλαί τινες ἐν ἡμῖν ὥσπερ ἐν δουρείοις ἵπποις αἰσθήσεις ἐγκάθηνται, ἀλλὰ μὴ εἰς μίαν τινὰ ἰδέαν, εἴτε ψυχὴν εἴτε ὅτι δεῖ καλεῖν, πάντα ταῦτα συντείνει, ᾗ διὰ τούτων οἷον ὀργάνων αἰσθανόμεθα4 ὅσα αἰσθητά. ΘΕΑΙ. ἀλλά μοι δοκεῖ οὕτω μᾶλλον ἢ ἐκείνως. ΣΩ. τοῦδέ τοι ἕνεκα αὐτά σοι διακριβοῦμαι, εἴ τινι ἡμῶν αὐτῶν τῷ αὐτῷ διὰ μὲν ὀφθαλμῶν ἐφικνούμεθα λευκῶν τε καὶ μελάνων, διὰ δὲ τῶν ἄλλων ἑτέρων αὖ τινῶν· καὶ ἕξεις ἐρωτώμενος πάντα τὰ τοιαῦτα εἰς τὸ σῶμα ἀναφέρειν; ἴσως δὲ βέλτιον σὲ λέγειν αὐτὰ ἀποκρινόμενον μᾶλλον ἢ ἐμὲ ὑπὲρ σοῦ πολυπραγμονεῖν. καί μοι λέγε· θερμὰ καὶ σκληρὰ καὶ κοῦφα καὶ γλυκέα διʼ ὧν αἰσθάνῃ, ἆρα οὐ τοῦ σώματος ἕκαστα τίθης; ἢ ἄλλου τινός; ΘΕΑΙ. οὐδενὸς ἄλλου.

ソクラテス:メリッソスや、全体は一つで静止していると主張する他の人々については、私たちが無作法なやり方で吟味することにならないかと恥じる気持ちもあるが、ただ一人存在するパルメニデスに対して抱く恥ずかしさに比べれば、まだ少ない。パルメニデスは私にとって、ホメロスの言葉にあるように、「敬うべきであり、同時に畏るべき」存在であるように思われる。というのも、私は極めて若い頃に、極めて高齢であったその人物に議論で交わったことがあるが、彼には完全に高貴な、ある種の深みがあるように私には思われたからだ。それゆえ、語られていることを私たちが理解できないのではないか、また、彼がどういう意図で語ったのかということにおいては、それ以上に遥かに取り残されるのではないか、そして最も重大なことに、この議論がそれに向かって出発したところの「知識とは一体何であるか」についての探求が、もし誰かがそれらに従うならば、乱入してくる議論たちによって吟味されないまま放置されることになるのではないか、と恐れているのだ。とりわけ、私たちが今呼び起こそうとしている議論は、分量において途方もなく、もしこれを片手間に吟味するなら不当な扱いを受けることになろうし、十分に吟味するなら、議論が長引くことによって知識についての探求を見失わせてしまうだろう。しかし、そのどちらもあってはならず、むしろ私たちは、テアイテトスが知識について身ごもっているものから、助産術を用いて彼を解放するよう試みるべきなのだ。テオドロス:いや、もしそうお思いなら、そのようにするべきです。ソクラテス:それではさらに、テアイテトスよ、これまで語られたことについて次のような点を考えてみてくれ。君は感覚が知識であると答えたね。そうだろう?テアイテトス:はい。ソクラテス:それなら、もし誰かが君にこのように尋ねたら。「人間は何によって白いものや黒いものを見、何によって高い音や低い音を聞くのか」と。君は思うに「目と耳によって」と答えるだろうね。テアイテトス:私ならそう答めます。ソクラテス:名詞や動詞を気楽に使い、厳密に吟味しないことは、多くの場合において卑しいことではなく、むしろその反対の方が不自由なものだが、時にはそれが不可避となることもある。例えば今も、君が答えるその回答が正しくないという点で、それを取り上げる必要性があるように。というのも、考えてみてくれ。「私たちがそれによって見るもの」が目であるとするのと、「それを通して私たちが見るもの」が目であるとするのと、また「それによって私たちが聞くもの」が耳であるとするのと、「それを通して私たちが聞くもの」が耳であるとするのと、どちらの回答がより正しいだろうか。テアイテトス:ソクラテスよ、私には、それらによってよりも、それらを通して私たちが個々のものを感じるとする方が正しいように思われます。ソクラテス:そうだね、子よ。もし私たちのうちに、いわば木馬の中に潜む兵士たちのように、多くの感覚が別々に居座っており、それらがすべて、魂と呼ぶべきか何と呼ぶべきか分からないが、何か一つのイデアへと収斂していないのだとしたら、それは恐るべきことだろうからね。私たちはそのものにおいて、これらをいわば道具として通して、感覚される限りのものを知覚しているのだから。テアイテトス:確かに、私にもあのようであるよりは、このようである方が、よりそのように思われます。ソクラテス:まさにこのために、私は君に対してこれらを厳密に問うているのだ。すなわち、私たち自身のうちにある何か同一のものによって、目を通しては白いものや黒いものに達し、他のものを通してはまた他のいくつかのものに達しているのかどうかを。そして君は、尋ねられたとき、このようなことすべてを身体へと帰属させることができるかね?だがおそらく、私自身が君に代わってお節介を焼くよりは、君自身が答えてそれらを語る方がよいだろう。では言ってくれ。君が熱いもの、硬いもの、軽いもの、甘いものをそれらを通して感じるところのものは、どれも身体のものとするかね、それとも他の何かのものとするかね?テアイテトス:他のいかなるものでもなく、身体のものです。

構文注4 件
  1. 184aφοβοῦμαι οὖν μὴ οὔτε τὰ λεγόμενα συνιῶμεν

    懸念・恐れを表す動詞 φοβοῦμαι に導かれた μή 節の構造。接続法第一人称複数 συνιῶμεν(現在)、λειπώμεθα(現在)、および第三人称単数 γένηται(アオリスト)が並列関係にある(οὔτε... τε... καί...)。οὔτε と τε の組み合わせにより、「〜も理解できず、さらに〜においても取り残され、かつ〜」という累加的な恐れの対象を表している。

  2. 184bὧν κυεῖ περὶ ἐπιστήμης

    関係代名詞 ὧν は本来、動詞 κυεῖ の直接目的語(対格 ἅ)となるべきところ、省略された先行詞 τούτων の属格に引きずられて格変化(同化)したものである。τούτων ἃ κυεῖ περὶ ἐπιστήμης「知識に関して彼が身ごもっているそれらのもの」の意味になる。

  3. 184cᾧ ὁρῶμεν... ἢ διʼ οὗ ὁρῶμεν

    手段や道具を示す与格 ᾧ(それによって)と、経路・仲介を示す前置詞句 διʼ οὗ(それを通して)が対比されている。ソクラテスは、目が能動的な知覚の主語ではなく、魂という真の知覚主体が用いる仲介的な「道具(器官)」にすぎないことを、この文法的な区別によって明確にしようとしている。

  4. 184dᾗ διὰ τούτων οἷον ὀργάνων αἰσθανόμεθα

    関係副詞または関係代名詞の与格女性単数形 ᾗ の解釈。先行詞である μίαν τινὰ ἰδέαν(一つのイデア、すなわち魂)を受けており、「そのイデアにおいて、これらをいわば道具として用いて、私たちは知覚する」という意味。この ᾗ は手段あるいは場所(「〜において」)を表す与格として機能している。

翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(1 件・最終 2026-10-03)
  • 2026-10-03 AI校閲 — 訳文 1 件
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