- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg006.humanitext-grc2:196
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
ソクラテスは純粋な思考の対象(数)においても計算ミスによる偽なる意見(誤認)が起こることを指摘し、感覚と思考のズレでは説明できないアポリアを提示する。その打開策として、知識の定義が定まらないまま「知る」ことの意味を規定しようとする「恥知らずな」試みを提案する。
ΣΩ. τί οὖν; οἴει τινὰ πώποτε αὐτὸν ἐν αὑτῷ πέντε καὶ ἑπτά, λέγω δὲ μὴ ἀνθρώπους ἑπτὰ καὶ πέντε προθέμενον σκοπεῖν μηδʼ ἄλλο τοιοῦτον, ἀλλʼ αὐτὰ πέντε καὶ ἑπτά, ἅ φαμεν ἐκεῖ μνημεῖα ἐν τῷ ἐκμαγείῳ εἶναι καὶ ψευδῆ ἐν αὐτοῖς οὐκ εἶναι δοξάσαι,1 ταῦτα αὐτὰ εἴ τις ἀνθρώπων ἤδη πώποτε ἐσκέψατο λέγων πρὸς αὑτὸν καὶ ἐρωτῶν πόσα ποτʼ ἐστίν, καὶ ὁ μέν τις εἶπεν οἰηθεὶς ἕνδεκα αὐτὰ εἶναι, ὁ δὲ δώδεκα, ἢ πάντες λέγουσί τε καὶ οἴονται δώδεκα αὐτὰ εἶναι; ΘΕΑΙ. οὐ μὰ τὸν Δία, ἀλλὰ πολλοὶ δὴ καὶ ἕνδεκα· ἐὰν δέ γε ἐν πλείονι ἀριθμῷ τις σκοπῆται, μᾶλλον σφάλλεται. οἶμαι γάρ σε περὶ παντὸς ἀριθμοῦ λέγειν. ΣΩ. ὀρθῶς γὰρ οἴει· καὶ ἐνθυμοῦ μή τι τότε γίγνεται2 ἄλλο ἢ αὐτὰ τὰ δώδεκα τὰ ἐν τῷ ἐκμαγείῳ ἕνδεκα οἰηθῆναι. ΘΕΑΙ. ἔοικέ γε. ΣΩ. οὐκοῦν εἰς τοὺς πρώτους πάλιν ἀνήκει λόγους; ὁ γὰρ τοῦτο παθών, ὃ οἶδεν, ἕτερον αὐτὸ οἴεται εἶναι ὧν αὖ οἶδεν, ὃ ἔφαμεν ἀδύνατον, καὶ τούτῳ αὐτῷ ἠναγκάζομεν μὴ εἶναι ψευδῆ δόξαν, ἵνα μὴ τὰ αὐτὰ ὁ αὐτὸς ἀναγκάζοιτο εἰδὼς μὴ εἰδέναι ἅμα. ΘΕΑΙ. ἀληθέστατα. ΣΩ. οὐκοῦν ἄλλʼ ὁτιοῦν δεῖ ἀποφαίνειν τὸ τὰ ψευδῆ δοξάζειν ἢ διανοίας πρὸς αἴσθησιν παραλλαγήν. εἰ γὰρ τοῦτʼ ἦν, οὐκ ἄν ποτε ἐν αὐτοῖς τοῖς διανοήμασιν ἐψευδόμεθα. νῦν δὲ ἤτοι οὐκ ἔστι ψευδὴς δόξα, ἢ ἅ τις οἶδεν, οἷόν τε μὴ εἰδέναι. καὶ τούτων πότερα αἱρῇ; ΘΕΑΙ. ἄπορον αἵρεσιν προτίθης, ὦ Σώκρατες. ΣΩ. ἀλλὰ μέντοι ἀμφότερά γε κινδυνεύει ὁ λόγος οὐκ ἐάσειν. ὅμως δέ—πάντα γὰρ τολμητέον—τί εἰ ἐπιχειρήσαιμεν ἀναισχυντεῖν; ΘΕΑΙ. πῶς; ΣΩ. ἐθελήσαντες εἰπεῖν ποῖόν τί ποτʼ ἐστὶ τὸ ἐπίστασθαι. ΘΕΑΙ. καὶ τί τοῦτο ἀναίσχυντον; ΣΩ. ἔοικας οὐκ ἐννοεῖν ὅτι πᾶς ἡμῖν ἐξ ἀρχῆς ὁ λόγος ζήτησις γέγονεν ἐπιστήμης ὡς οὐκ εἰδόσι τί ποτʼ ἐστίν. ΘΕΑΙ. ἐννοῶ μὲν οὖν. ΣΩ. ἔπειτʼ οὐκ ἀναιδὲς δοκεῖ μὴ εἰδότας ἐπιστήμην ἀποφαίνεσθαι τὸ ἐπίστασθαι οἷόν ἐστιν; ἀλλὰ γάρ, ὦ Θεαίτητε, πάλαι ἐσμὲν ἀνάπλεῳ τοῦ μὴ καθαρῶς διαλέγεσθαι. μυριάκις γὰρ εἰρήκαμεν τὸ γιγνώσκομεν καὶ οὐ γιγνώσκομεν, καὶ ἐπιστάμεθα καὶ οὐκ ἐπιστάμεθα, ὥς τι συνιέντες ἀλλήλων ἐν ᾧ ἔτι ἐπιστήμην ἀγνοοῦμεν·3 εἰ δὲ βούλει, καὶ νῦν ἐν τῷ παρόντι κεχρήμεθʼ αὖ τῷ ἀγνοεῖν τε καὶ συνιέναι, ὡς προσῆκον αὐτοῖς χρῆσθαι εἴπερ στερόμεθα ἐπιστήμης. ΘΕΑΙ. ἀλλὰ τίνα τρόπον διαλέξῃ, ὦ Σώκρατες, τούτων ἀπεχόμενος;
ソクラテス:それではどうだろう。これまで誰かが自分自身の中で、5と7そのものを――私が言うのは、7人とか5人の人間を目の前に置いて考察することや、他のそのようなものを言っているのではなく、それら自体としての5と7そのもの、すなわち私たちが先ほど蝋の印刻の中に刻まれた記憶として存在し、それらのうちには偽りは存在しないと言ったもののことだが――これらそのものについて、これまで誰か人間が、自分自身に向かって語りかけ、それらがいったいいくつになるかと問いながら考察したときに、ある者はそれらそのものが11であると思い込んでそう言い、別の者は12であると言った、などということがあると思うかね。それとも誰もがみな、それらは12であると言い、またそう思っているだろうか。 テアイテトス:いいえ、ゼウスにかけて、それどころか多くの人が11だと言います。もし誰かがもっと大きな数について考察するなら、なおさら間違えます。あなたはあらゆる数について言っておられるのだと思いますから。 ソクラテス:その通りだ。そして、そのとき起きているのは、あの蝋の印刻の中にある12そのものを11であると思い込むこと以外の何物でもない、ということを考えてみてくれ。 テアイテトス:そのようですね。 ソクラテス:とすれば、これは最初の議論に逆戻りすることにならないかね。というのも、このような経験をした者は、自分が知っているあるものを、同じく自分が知っている別のもの(そのどちらも自分が知っているものなのだが)であると思っているからだ。私たちはそれは不可能だと言ったし、まさにこの理由によって、同一の人が自分が知っているものを同時に知らないということになるのを避けるために、偽なる意見は存在しないと認めざるを得なかったのだ。 テアイテトス:まったくその通りです。 ソクラテス:では、偽なる意見をもつということは、思考と感覚のズレ以外の何物かとして示されなければならない。もしそれが原因だったなら、思考そのもののうちだけで誤ることは決してなかったはずだからだ。しかし今や、偽なる意見など存在しないか、あるいは自分が知っていることを知らないということがあり得るかのいずれかだ。君はこのうちのどちらを選ぶかね。 テアイテトス:ソクラテスよ、お答えしにくい選択を突きつけられますね。 ソクラテス:しかし本当に、この議論はいずれの選択肢も許してくれそうにない。それでも――あらゆる危険を冒さなければならないのだから――もし私たちが恥を恥とも思わないようなことを企ててみるとしたら、どうだろうか。 テアイテトス:どういうことですか。 ソクラテス:「知る」とはいったいどのようなことであるかを、あえて語ろうとすることだ。 テアイテトス:それがどうして恥知らずなことなのですか。 ソクラテス:君は、最初から私たちの議論のすべてが、知識とはいったい何であるかを知らない者として、知識を探求することであったということに気づいていないようだね。 テアイテトス:いえ、気づいています。 ソクラテス:だとしたら、知識が何であるかを知らないままで、「知る」とはどのようなことであるかを示すのは恥知らずだとは思わないかね。しかし、テアイテトスよ、私たちはもうずっと前から、厳密さを欠いた不純な対話に染まってしまっているのだ。なぜなら、私たちは何万回も「私たちは知っている」「私たちは知らない」、あるいは「私たちは知識をもっている」「私たちは知識をもっていない」と言ってきたのだからね。あたかも私たちが知識をいまだ知らないでいるのに、互いに理解し合っているかのようにだ。もしよければ、まさに今この瞬間にも、私たちは「知らない」とか「理解する」といった言葉を再び使っている。もし私たちが知識を欠いているなら、そのような言葉を使うこと自体が不似合いであるはずなのにね。 テアイテトス:しかし、ソクラテスよ、それらの言葉を避けるとしたら、どのように対話を進められるというのですか。
- 196οἴει τινὰ πώποτε αὐτὸν ἐν αὑτῷ πέντε καὶ ... δοξάσαι
長大な倒置(hyperbaton)と破格(anacoluthon)を含む文構造。主節の動詞 οἴει が支配する対格不定詞句の主語 τινά と不定詞 δοξάσαι(思うこと、判断すること)の間に、割り込みのように条件節 εἴ τις ... ἐσκέψατο が挿入されている。ταῦτα αὐτά は ἐσκέψατο の目的語であるとともに、思考の対象を強調するために文頭付近に配置されている。
- 196bμή τι τότε γίγνεται
接続詞 μή(または μή τι)に直説法(γίγνεται)が続くことで、確信を伴う疑念や懸念を表現する。「〜ではないだろうか(考えてみてほしい)」という意味を提示し、対話相手に同意や再考を促す語調を作っている。
- 196eἐν ᾧ ἔτι ἐπιστήμην ἀγνοοῦμεν
関係詞を伴う ἐν ᾧ が、ここでは「〜であるのに」「〜という状況にあるのに」という、背景となる事実を示す制限的・譲歩的ニュアンスを帯びている。知識そのものの定義をまだ知らないという状況と、知的に振る舞い会話している現状の矛盾を強調している。
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(5 件・最終 2026-09-30)
- 2026-09-30 表記の統一 — 訳文 4 件
- 2026-06-03 校訂者 — 訳文 1 件
