- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg006.humanitext-grc2:191
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
ソクラテスは、偽なる思いなしの不可能性に関するこれまでの合意に誤りがあったとし、人間の魂の中に存在する「蝋の印肉板」という有名な比喩を導入して、記憶と認識のプロセスを説明し始める。
ΣΩ. οὐκ ἐρῶ σοι πρὶν ἂν πανταχῇ πειραθῶ σκοπῶν. αἰσχυνοίμην γὰρ ἂν ὑπὲρ ἡμῶν, ἐν ᾧ ἀποροῦμεν, ἀναγκαζομένων1 ὁμολογεῖν οἷα λέγω. ἀλλʼ ἐὰν εὕρωμεν καὶ ἐλεύθεροι γενώμεθα, τότʼ ἤδη περὶ τῶν ἄλλων ἐροῦμεν ὡς πασχόντων αὐτὰ ἐκτὸς τοῦ γελοίου ἑστῶτες· ἐὰν δὲ πάντῃ ἀπορήσωμεν, ταπεινωθέντες οἶμαι τῷ λόγῳ παρέξομεν2 ὡς ναυτιῶντες πατεῖν τε καὶ χρῆσθαι ὅτι ἂν βούληται. ᾗ οὖν ἔτι πόρον τινὰ εὑρίσκω τοῦ ζητήματος ἡμῖν, ἄκουε. ΘΕΑΙ. λέγε μόνον. ΣΩ. οὐ φήσω ἡμᾶς ὀρθῶς ὁμολογῆσαι, ἡνίκα ὡμολογήσαμεν ἅ τις οἶδεν, ἀδύνατον δοξάσαι ἃ μὴ οἶδεν εἶναι αὐτὰ καὶ ψευσθῆναι·3 ἀλλά πῃ δυνατόν. ΘΕΑΙ. ἆρα λέγεις ὃ καὶ ἐγὼ τότε ὑπώπτευσα, ἡνίκʼ αὐτὸ ἔφαμεν τοιοῦτον εἶναι, ὅτι ἐνίοτʼ ἐγὼ γιγνώσκων Σωκράτη, πόρρωθεν δὲ ὁρῶν ἄλλον ὃν οὐ γιγνώσκω, ᾠήθην εἶναι Σωκράτη ὃν οἶδα; γίγνεται γὰρ δὴ ἐν τῷ τοιούτῳ οἷον λέγεις. ΣΩ. οὐκοῦν ἀπέστημεν αὐτοῦ, ὅτι ἃ ἴσμεν ἐποίει ἡμᾶς εἰδότας μὴ εἰδέναι; ΘΕΑΙ. πάνυ μὲν οὖν. ΣΩ. μὴ γὰρ οὕτω τιθῶμεν, ἀλλʼ ὧδε· ἴσως πῃ ἡμῖν συγχωρήσεται, ἴσως δὲ ἀντιτενεῖ. ἀλλὰ γὰρ ἐν τοιούτῳ ἐχόμεθα, ἐν ᾧ ἀνάγκη πάντα μεταστρέφοντα λόγον βασανίζειν. σκόπει οὖν εἰ τὶ λέγω. ἆρα ἔστιν μὴ εἰδότα τι πρότερον ὕστερον μαθεῖν; ΘΕΑΙ. ἔστι μέντοι. ΣΩ. οὐκοῦν καὶ αὖθις ἕτερον καὶ ἕτερον; ΘΕΑΙ. τί δʼ οὔ; ΣΩ. θὲς δή μοι λόγου ἕνεκα ἐν ταῖς ψυχαῖς ἡμῶν ἐνὸν κήρινον ἐκμαγεῖον, τῷ μὲν μεῖζον, τῷ δʼ ἔλαττον, καὶ τῷ μὲν καθαρωτέρου κηροῦ, τῷ δὲ κοπρωδεστέρου, καὶ σκληροτέρου, ἐνίοις δὲ ὑγροτέρου, ἔστι δʼ οἷς μετρίως ἔχοντος. ΘΕΑΙ. τίθημι. ΣΩ. δῶρον τοίνυν αὐτὸ φῶμεν εἶναι τῆς τῶν Μουσῶν μητρὸς Μνημοσύνης, καὶ εἰς τοῦτο ὅτι ἂν βουληθῶμεν μνημονεῦσαι ὧν ἂν ἴδωμεν ἢ ἀκούσωμεν ἢ αὐτοὶ ἐννοήσωμεν, ὑπέχοντας αὐτὸ4 ταῖς αἰσθήσεσι καὶ ἐννοίαις, ἀποτυποῦσθαι, ὥσπερ δακτυλίων σημεῖα ἐνσημαινομένους· καὶ ὃ μὲν ἂν ἐκμαγῇ, μνημονεύειν τε καὶ ἐπίστασθαι ἕως ἂν ἐνῇ τὸ εἴδωλον αὐτοῦ· ὃ δʼ ἂν ἐξαλειφθῇ ἢ μὴ οἷόν τε γένηται ἐκμαγῆναι, ἐπιλελῆσθαί τε καὶ μὴ ἐπίστασθαι. ΘΕΑΙ. ἔστω οὕτως. ΣΩ. ὁ τοίνυν ἐπιστάμενος μὲν αὐτά, σκοπῶν δέ τι ὧν ὁρᾷ ἢ ἀκούει, ἄθρει εἰ ἄρα τοιῷδε τρόπῳ ψευδῆ ἂν δοξάσαι. ΘΕΑΙ. ποίῳ δή τινι; ΣΩ. ἃ οἶδεν, οἰηθεὶς εἶναι τοτὲ μὲν ἃ οἶδε, τοτὲ δὲ ἃ μή.5 ταῦτα γὰρ ἐν τοῖς πρόσθεν οὐ καλῶς ὡμολογήσαμεν ὁμολογοῦντες ἀδύνατα. ΘΕΑΙ. νῦν δὲ πῶς λέγεις;
ソクラテス:あらゆる方向から検討を試みるまでは、君に言わないでおこう。というのも、私たちがアポリアに陥っているまさにそのときに、私の言うような事柄を認めざるを得なくなるのは、私たちのために恥ずかしいことだからだ。だが、もし私たちが(解決策を)見出して自由の身になるなら、そのときこそ、滑稽な状況の外に立ちつつ、他者のこととして彼らがそれらを被っていると語ることにしよう。しかし、もし万策尽きて行き詰まるなら、私たちは打ちのめされ、船酔いした者たちがするように、この議論に、踏みつけられ、望むままに扱われるように身を委ねることになるだろう。そこで、私たちの探究に私が未だに見出している一つの道について、聞いてほしい。 テアイテトス:どうぞお話しください。 ソクラテス:私は、私たちが以前次のように合意したときに、正しく合意したとは言わない。すなわち「人が知っている事柄について、自分が知らない事柄をそれであると思いなして誤ることは不可能である」と合意したときのことだ。むしろ、それは何らかの形で可能なのである。 テアイテトス:おっしゃっているのは、僕もそのとき疑ったようなことでしょうか。つまり、私たちがその事態をそのようなものだと言ったときにですね。僕がソクラテスを知っており、遠くから自分の知らない別の者を見て、それを自分の知っているソクラテスだと思い込んでしまう、というようなことですか。あなたが言われるようなことは、まさにそのような状況で生じるからです。 ソクラテス:では、私たちはその考えを退けたのではなかったかね。なぜなら、その考えだと、私たちが知っていることを、知っている私たちが同時に知らないことにしてしまうからだ。 テアイテトス:まさにその通りです。 ソクラテス:いや、そのように設定するのではなく、次のように設定しよう。おそらく何らかの形で私たちは同意することになるかもしれないし、あるいはおそらく反論されるかもしれない。しかし、私たちはそのような境遇に囚われているのだから、あらゆる議論をひっくり返して検証せざるを得ない。だから、私の言うことに一理あるかどうか、考えてみてほしい。およそ以前には知らなかったことを、後になって学ぶということはあるだろうか。 テアイテトス:確かにあります。 ソクラテス:では、さらに別なこと、またさらに別なこともだろうか。 テアイテトス:当然ではないですか。 ソクラテス:それでは、議論のために、私たちの魂の中に蝋の印肉板が存在していると仮定してくれたまえ。ある人のそれにはより大きく、ある人のにはより小さく、またある人のにはより清らかな蝋からなり、ある人のにはより汚れた、またより硬い蝋から、また別の人たちにはより柔らかい、そしてある人たちには適度な状態のものであると。 テアイテトス:仮定します。 ソクラテス:そこで、これをムーサたちの母ムネモシュネからの贈り物であると言おう。そして、私たちが見たこと、聞いたこと、あるいは自ら考えたことのうち、記憶しておきたいと望むものは何であれ、この蝋板を感覚や思考の下に差し出して、ちょうど指輪の印章を押しつけるように、そこに刻みつけるのだ。そして、刻みつけられたものは、その像がそこにある限り、記憶し知っている。しかし、消え去ってしまったり、型取ることができなかったりしたものについては、忘れてしまい、知らないのだ。 テアイテトス:そのようにしましょう。 ソクラテス:それでは、これらを知っている一方で、自分が見たり聞いたりしている事柄の何かを検討している者が、次のような仕方で偽なる思いなしを抱くことがあるかどうか、見極めてみよう。 テアイテトス:いったい、どのような仕方ですか。 ソクラテス:自分が知っているものを、あるときには自分が知っているもの、またあるときには自分が知らないものであると思い込むことによって、だ。というのも、私たちは以前、これらのことを不可能であると合意したときに、正しく合意していなかったからだ。 テアイテトス:それでは、今度はどのようにおっしゃるのですか。
- 191ἀναγκαζομένων
ἀναγκαζομένων は、前文の ἡμῶν(ὑπὲρ ἡμῶν の一部)と一致する分詞の属格形であり、文法的に独立した属格独立構文(genitive absolute)ではなく、ここでは「アポリアに陥っており(ἐν ᾧ ἀποροῦμεν)、かつ私の言うような事柄を認めざるを得ない(ἀναγκαζομένων ὁμολογεῖν)私たち」という風に、ἡμῶν を形容詞的に修飾している。
- 191aπαρέξομεν
自動詞的に用いられているが、再帰代名詞 ἑαυτούς(私たち自身)が省略されており、「身を委ねる」の意味になる。これに続く πατεῖν τε καὶ χρῆσθαι は結果または目的を表す不定詞である。
- 191aἅ τις οἶδεν, ἀδύνατον δοξάσαι ἃ μὴ οἶδεν εἶναι αὐτὰ καὶ ψευσθῆναι
全体として ὁμολογῆσαι の対格不定詞内容節を構成している。ἀδύνατον [εἶναι] が述語。δοξάσαι(思いなすこと)が主語不定詞であり、ἃ μὴ οἶδεν(自分が知らない事柄)が δοξάσαι の主格(対格)的主語、εἶναι αὐτά(それら[=知っている事柄]であるということ)を導く。αὐτά は ἅ τις οἶδεν を指す代名詞である。
- 191dὑπέχοντας αὐτό
分詞 ὑπέχοντας(差し出す)の主語は、一連の対格不定詞構文における省略された一般的意味の主語(ἡμᾶς「私たち」または「人」)であり、対格複数で一致している。αὐτό は中性の単数名詞 ἐκμαγεῖον(印肉板)を指す対格である。
- 191eἃ οἶδεν, οἰηθεὶς εἶναι τοτὲ μὲν ἃ οἶδε, τοτὲ δὲ ἃ μή
対格 ἃ οἶδεν(自分が知っている事柄)は、強調のために説明の文頭に提示されている。これは分詞 οἰηθείς(〜と思い込むことによって)の目的語として機能し、彼が「知っている事柄」(ἃ οἶδεν)を、あるときは「知っている事柄」(ἃ οἶδε)として、またあるときは「そうではない(知らない)事柄」(ἃ μή)として誤って同一視することを表す。
