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テアイテトス

§189-190

他想としての偽なる思いなしと魂の内なる対話

ソクラテスとテアイテトスは、「存在しないものを思いなすこと」の不可能性を確認した上で、偽なる思いなしを、ある存在するものを別の存在する事物と頭の中で取り違える「他想(異想)」として定義し直す。しかし、魂の思考プロセスを「内なる対話」として分析した結果、二つの事象を同時に、あるいは単独で思いなしている状態のいずれにおいても、一方が他方であると誤認することは不可能であるという結論に達し、この定義もまた否定される。

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§189

ΣΩ. καὶ ὁ ἄρα τι ἀκούων ἕν γέ τι ἀκούει καὶ ὂν. ΘΕΑΙ. ναί. ΣΩ. καὶ ὁ ἁπτόμενος δή του ἑνός γέ του ἅπτεται καὶ ὄντος, εἴπερ ἑνός; ΘΕΑΙ. καὶ τοῦτο. ΣΩ. ὁ δὲ δὴ δοξάζων οὐχ ἕν γέ τι δοξάζει; ΘΕΑΙ. ἀνάγκη. ΣΩ. ὁ δʼ ἕν τι δοξάζων οὐκ ὄν τι; ΘΕΑΙ. συγχωρῶ. ΣΩ. ὁ ἄρα μὴ ὂν δοξάζων οὐδὲν δοξάζει. ΘΕΑΙ. οὐ φαίνεται.1 ΣΩ. ἀλλὰ μὴν ὅ γε μηδὲν δοξάζων τὸ παράπαν οὐδὲ δοξάζει. ΘΕΑΙ. δῆλον, ὡς ἔοικεν. ΣΩ. οὐκ ἄρα οἷόν τε τὸ μὴ ὂν δοξάζειν, οὔτε περὶ τῶν ὄντων οὔτε αὐτὸ καθʼ αὑτό. ΘΕΑΙ. οὐ φαίνεται. ΣΩ. ἄλλο τι ἄρʼ ἐστὶ τὸ ψευδῆ δοξάζειν τοῦ τὰ μὴ ὄντα δοξάζειν. ΘΕΑΙ. ἄλλο ἔοικεν. ΣΩ. οὔτʼ ἄρʼ οὕτως οὔτε ὡς ὀλίγον πρότερον ἐσκοποῦμεν, ψευδής ἐστι δόξα ἐν ἡμῖν. ΘΕΑΙ. οὐ γὰρ οὖν δή. ΣΩ. ἀλλʼ ἆρα ὧδε γιγνόμενον τοῦτο προσαγορεύομεν; ΘΕΑΙ. πῶς; ΣΩ. ἀλλοδοξίαν2 τινὰ οὖσαν ψευδῆ φαμεν εἶναι δόξαν, ὅταν τίς τι τῶν ὄντων ἄλλο αὖ τῶν ὄντων ἀνταλλαξάμενος τῇ διανοίᾳ φῇ εἶναι. οὕτω γὰρ ὂν μὲν ἀεὶ δοξάζει, ἕτερον δὲ ἀνθʼ ἑτέρου, καὶ ἁμαρτάνων οὗ ἐσκόπει δικαίως ἂν καλοῖτο ψευδῆ δοξάζων. ΘΕΑΙ. ὀρθότατά μοι νῦν δοκεῖς εἰρηκέναι. ὅταν γάρ τις ἀντὶ καλοῦ αἰσχρὸν ἢ ἀντὶ αἰσχροῦ καλὸν δοξάζῃ, τότε ὡς ἀληθῶς δοξάζει ψευδῆ. ΣΩ. δῆλος εἶ, ὦ Θεαίτητε, καταφρονῶν μου καὶ οὐ δεδιώς. ΘΕΑΙ. τί μάλιστα; ΣΩ. οὐκ ἂν οἶμαι σοὶ δοκῶ τοῦ ἀληθῶς ψευδοῦς3 ἀντιλαβέσθαι, ἐρόμενος εἰ οἷόν τε ταχὺ βραδέως ἢ κοῦφον βαρέως ἢ ἄλλο τι ἐναντίον μὴ κατὰ τὴν αὑτοῦ φύσιν ἀλλὰ κατὰ τὴν τοῦ ἐναντίου γίγνεσθαι ἑαυτῷ ἐναντίως. τοῦτο μὲν οὖν, ἵνα μὴ μάτην θαρρήσῃς, ἀφίημι. ἀρέσκει δέ, ὡς φῄς, τὸ τὰ ψευδῆ δοξάζειν ἀλλοδοξεῖν εἶναι; ΘΕΑΙ. ἔμοιγε. ΣΩ. ἔστιν ἄρα κατὰ τὴν σὴν δόξαν ἕτερόν τι ὡς ἕτερον καὶ μὴ ὡς ἐκεῖνο τῇ διανοίᾳ τίθεσθαι. ΘΕΑΙ. ἔστι μέντοι. ΣΩ. ὅταν οὖν τοῦθʼ ἡ διάνοιά του δρᾷ, οὐ καὶ ἀνάγκη αὐτὴν ἤτοι ἀμφότερα ἢ τὸ ἕτερον διανοεῖσθαι; ΘΕΑΙ. ἀνάγκη μὲν οὖν· ἤτοι ἅμα γε ἢ ἐν μέρει. ΣΩ. κάλλιστα. τὸ δὲ διανοεῖσθαι ἆρʼ ὅπερ ἐγὼ καλεῖς; ΘΕΑΙ. τί καλῶν;

ソクラテス:とすれば、何かを聞いている者も、少なくとも一つのあるものを、しかも存在するものを聞いているのだね。テアイテトス:はい。ソクラテス:そしてまた、何かに触れている者も、もし一つのものに触れているなら、少なくとも一つのもの、しかも存在する何かに触れているのだね。テアイテトス:これもその通りです。ソクラテス:では、思いなしを抱く者は、少なくとも一つの何かを思いなしているのではないかね。テアイテトス:必然的にそうです。ソクラテス:そして、一つの何かを思いなす者は、存在する何かを思いなしているのではないかね。テアイテトス:同意します。ソクラテス:とすれば、存在しないことを思いなす者は、何をも思いなしていないことになる。テアイテトス:そのようには思われませんね。ソクラテス:しかし、およそ何をも思いなしていない者は、そもそも思いなすことすらしていないのだ。テアイテトス:どうやら明らかなようです。ソクラテス:それゆえ、存在する事柄についてであれ、それ自体としてであれ、存在しないことを思いなすことは不可能なのだ。テアイテトス:そのようには思われません。ソクラテス:とすれば、偽なる思いなしを抱くことと、存在しないことを思いなすこととは、別のものであるのだね。テアイテトス:別のことであるように思われます。ソクラテス:それゆえ、このような仕方でも、また少し前に私たちが検討した仕方でも、私たちの内に偽なる思いなしは存在しないことになる。テアイテトス:まさにその通り、ありません。ソクラテス:それでは、このような形で生じる事態を、私たちはそう呼んでいるのだろうか。テアイテトス:どのようにですか。ソクラテス:私たちは、偽なる思いなしとは一種の「他想」であると言っているのだ。すなわち、誰かがある存在するものを、心の中で他の存在する別のものと取り違えて、それであると主張するときがそれだ。というのも、このようにすれば、その人は常に存在するものを思いなしていることになるが、あるものの代わりに別のものを思いなしているのであり、目指していたものを見誤っているという点において、正当にも偽なる思いなしを抱いていると呼ばれることになるからだ。テアイテトス:今のお言葉は、私にはこの上なく正しく言われたように思われます。というのも、誰かが美しいものの代わりに醜いものを、あるいは醜いものの代わりに美しいものを思いなすとき、そのときこそ本当に偽を思いなしていることになるからです。ソクラテス:テアイテトスよ、君が僕を侮っており、怖がっていないことは明らかだね。テアイテトス:特にどうしてですか。ソクラテス:僕が君の「真に偽なる」という言葉尻を捉えて、速いものが遅く、あるいは軽いものが重く、あるいは何か他の反対のものが、それ自体の本性に従ってではなく、その反対の本性に従って、自分自身に対して反対に生じることが可能なのだろうか、などと尋ねることはないだろうと君は思っているのだろう。しかし、君を無駄に怖がらせないために、この問いは不問に付すことにしよう。ともかく、君の言うように、偽なる思いなしを抱くとは「他想」であるということで、意見は一致しているね。テアイテトス:はい、同意します。ソクラテス:とすれば、君の考えによれば、あるものを他のものとして、そしてそれを本来のものではないものとして、思考の中で設定することが可能だということだね。テアイテトス:確かにそうです。ソクラテス:では、誰かの思考がこれを行うとき、その思考は両方のものを、あるいはそのどちらか一方を考えていることが必然ではないかね。テアイテトス:まさしく必然的です。同時にであれ、あるいは交互にであれ。ソクラテス:素晴らしい。ところで、君は「考える」ということを、僕と同じように呼んでいるだろうか。テアイテトス:どのように呼んでおられるのですか。

§190

ΣΩ. λόγον ὃν αὐτὴ πρὸς αὑτὴν ἡ ψυχὴ διεξέρχεται περὶ ὧν ἂν σκοπῇ. ὥς γε μὴ εἰδώς σοι ἀποφαίνομαι. τοῦτο γάρ μοι ἰνδάλλεται διανοουμένη οὐκ ἄλλο τι ἢ διαλέγεσθαι, αὐτὴ ἑαυτὴν ἐρωτῶσα καὶ ἀποκρινομένη, καὶ φάσκουσα καὶ οὐ φάσκουσα. ὅταν δὲ ὁρίσασα, εἴτε βραδύτερον εἴτε καὶ ὀξύτερον ἐπᾴξασα, τὸ αὐτὸ ἤδη φῇ καὶ μὴ διστάζῃ, δόξαν ταύτην τίθεμεν αὐτῆς.4 ὥστʼ ἔγωγε τὸ δοξάζειν λέγειν καλῶ καὶ τὴν δόξαν λόγον εἰρημένον, οὐ μέντοι πρὸς ἄλλον οὐδὲ φωνῇ, ἀλλὰ σιγῇ πρὸς αὑτόν· σὺ δὲ τί; ΘΕΑΙ. κἀγώ. ΣΩ. ὅταν ἄρα τις τὸ ἕτερον ἕτερον δοξάζῃ, καὶ φησίν, ὡς ἔοικε, τὸ ἕτερον ἕτερον εἶναι πρὸς ἑαυτόν. ΘΕΑΙ. τί μήν; ΣΩ. ἀναμιμνῄσκου δὴ εἰ πώποτʼ εἶπες πρὸς σεαυτὸν ὅτι παντὸς μᾶλλον τό τοι καλὸν αἰσχρόν ἐστιν ἢ τὸ ἄδικον δίκαιον. ἢ καί, τὸ πάντων κεφάλαιον, σκόπει εἴ ποτʼ ἐπεχείρησας σεαυτὸν πείθειν ὡς παντὸς μᾶλλον τὸ ἕτερον ἕτερόν ἐστιν, ἢ πᾶν τοὐναντίον οὐδʼ ἐν ὕπνῳ πώποτε ἐτόλμησας εἰπεῖν πρὸς σεαυτὸν ὡς παντάπασιν ἄρα τὰ περιττὰ ἄρτιά ἐστιν ἤ τι ἄλλο τοιοῦτον. ΘΕΑΙ. ἀληθῆ λέγεις. ΣΩ. ἄλλον δέ τινα οἴει ὑγιαίνοντα ἢ μαινόμενον τολμῆσαι σπουδῇ πρὸς ἑαυτὸν εἰπεῖν ἀναπείθοντα αὑτὸν ὡς ἀνάγκη τὸν βοῦν ἵππον εἶναι ἢ τὰ δύο ἕν; ΘΕΑΙ. μὰ Δίʼ οὐκ ἔγωγε. ΣΩ. οὐκοῦν εἰ τὸ λέγειν πρὸς ἑαυτὸν δοξάζειν ἐστίν, οὐδεὶς ἀμφότερά γε λέγων καὶ δοξάζων ἐφαπτόμενος ἀμφοῖν τῇ ψυχῇ εἴποι ἂν καὶ δοξάσειεν ὡς τὸ ἕτερον ἕτερόν ἐστιν. ἐατέον δὲ καὶ σοὶ τὸ ῥῆμα·5 λέγω γὰρ αὐτὸ τῇδε, μηδένα δοξάζειν ὡς τὸ αἰσχρὸν καλὸν ἢ ἄλλο τι τῶν τοιούτων. ΘΕΑΙ. ἀλλʼ, ὦ Σώκρατες, ἐῶ τε καί μοι δοκεῖ ὡς λέγεις. ΣΩ. ἄμφω μὲν ἄρα δοξάζοντα ἀδύνατον τό γε ἕτερον ἕτερον δοξάζειν. ΘΕΑΙ. ἔοικεν. ΣΩ. ἀλλὰ μὴν τὸ ἕτερόν γε μόνον δοξάζων, τὸ δὲ ἕτερον μηδαμῇ, οὐδέποτε δοξάσει τὸ ἕτερον ἕτερον εἶναι. ΘΕΑΙ. ἀληθῆ λέγεις· ἀναγκάζοιτο γὰρ ἂν ἐφάπτεσθαι καὶ οὗ μὴ δοξάζει. ΣΩ. οὔτʼ ἄρʼ ἀμφότερα οὔτε τὸ ἕτερον δοξάζοντι ἐγχωρεῖ ἀλλοδοξεῖν. ὥστʼ εἴ τις ὁριεῖται δόξαν εἶναι ψευδῆ τὸ ἑτεροδοξεῖν, οὐδὲν ἂν λέγοι· οὔτε γὰρ ταύτῃ οὔτε κατὰ τὰ πρότερα φαίνεται ψευδὴς ἐν ἡμῖν οὖσα δόξα. ΘΕΑΙ. οὐκ ἔοικεν. ΣΩ. ἀλλὰ μέντοι, ὦ Θεαίτητε, εἰ τοῦτο μὴ φανήσεται ὄν, πολλὰ ἀναγκασθησόμεθα ὁμολογεῖν καὶ ἄτοπα. ΘΕΑΙ. τὰ ποῖα δή;

ソクラテス:魂が、自ら検討している事柄について、自分自身に対して語り通す「対話」のことだ。よく分かっていない者として君に提示するのだがね。というのも、思考しているときの魂は、他でもなく対話をしており、自分自身に対して問いかけ、答え、肯定し、否定しているように僕には思われるからだ。そして、ゆっくりであれ、あるいは敏速にであれ、決断へと至って、ついに同じことを主張し、もはや迷わなくなったとき、私たちはこれをその魂の「思いなし」と定める。だからこそ、僕は「思いなすこと」を「語ること」と呼び、また「思いなし」を「語られた言葉」と呼ぶのだ。ただし、他人に対して語られたり、声に出されたりする言葉ではなく、沈黙の中で自分自身に対して語られた言葉のことだがね。君はどう考えるかね。テアイテトス:私も同意見です。ソクラテス:とすれば、誰かがあるものを他のものとして思いなすとき、その人はどうやら、あるものは他のものであると、自分自身に対して語っているのだね。テアイテトス:まさにその通りです。ソクラテス:では、思い起こしてみてほしい。君はこれまでに、美なるものは醜いものであるとか、不正なものは正しいものであるなどと、自分自身に対して極めて真剣に語ったことがあっただろうか。あるいはまた、すべての極めつけとして、あるものは他のものであると自分自身を説得しようと試みたことがあったかどうか、考えてみてほしい。それとも全く逆に、夢の中でさえ、「絶対に奇数は偶数である」とか、その他のそのようなことを、自分自身に敢えて語ったことなど一度もなかったのではないかね。テアイテトス:おっしゃる通り、言ったことはありません。ソクラテス:それでは、正気であるにせよ狂気であるにせよ、他の誰かが、牛は馬であるとか、二は一であるとか、真面目に自分自身を説得して語りかけるなどという大胆なことをすると思うかね。テアイテトス:ゼウスにかけて、私はそうは思いません。ソクラテス:とすれば、自分自身に対して語ることが思いなすことであるなら、両方の事柄について語り、思いなしており、かつ魂によってその両方に触れている者は、誰も「あるものは他のものである」と語り、思いなすことはないはずだ。そして、君も私の言葉遣いを容認してくれなければならない。というのは、僕はその表現を次のような意味で用いているからだ。すなわち、誰も「醜いものは美しいものである」とか、その他その種のことを思いなすことはない、という意味でね。テアイテトス:はい、ソクラテスよ、おっしゃる通り容認しますし、あなたの言う通りだと思われます。ソクラテス:それゆえ、両方を思いなしている者にとって、あるものを他のものであると思いなすことは不可能なのだ。テアイテトス:そのようです。ソクラテス:だがしかし、どちらか一方だけを思いなし、他方を全く思いなしていない者も、あるものが他のものであると思いなすことは決してないだろう。テアイテトス:おっしゃる通りです。というのも、そうしようとすれば、思いなしていないものにも触れることを強いられることになるからです。ソクラテス:それゆえ、両方を思いなしている者にとっても、あるいは一方のみを思いなしている者にとっても、「他想」をすることは許されない。したがって、もし誰かが偽なる思いなしを「異想」であると定義するなら、その人は何の意味もないことを語っていることになる。なぜなら、このやり方によっても、またそれ以前のやり方によっても、私たちの内に偽なる思いなしが存在しているようには見えないからだ。テアイテトス:そのようには思われませんね。ソクラテス:しかし本当に、テアイテトスよ、もしこの事態が存在しないことが明らかになるなら、私たちは多くの、しかも奇妙な事柄を認めざるを得なくなるだろう。テアイテトス:いったい、どのようなことですか。

構文注5 件
  1. 189aοὐ φαίνεται

    直前のソクラテスの否定的な主張(「存在しないものを思いなす者は何も思いなしていない」)に対し、肯定的な同意(「何も思いなしていないように思われます」)を表す二重否定的な表現。ギリシア語の φαίνεται は、前の文の否定(οὐδέν)を受けて「(〜でないように)見える」という強い同意のニュアンスを持つ。

  2. 189bἀλλοδοξίαν

    主節の動詞 φαμέν(私たちは言う)に導かれる対話の目的格不定詞句において、ψευδῆ δόξαν(偽なる思いなし)が不定詞 εἶναι の意味上の主語、ἀλλοδοξίαν τινὰ οὖσαν がその述語名詞として機能している。「他想(他を思いなすこと)」を意味するプラトンの造語的表現。

  3. 189cτοῦ ἀληθῶς ψευδοῦς

    テアイテトスが直前に発した「本当に(真実を伴って)偽を思いなしている(ὡς ἀληθῶς δοξάζει ψευδῆ)」という言葉に対し、ソクラテスが「真なる偽(真実に反する偽)」という矛盾語法的表現(oxymoron)を見逃さずに、からかいの対象としている箇所。

  4. 190aδόξαν ταύτην τίθεμεν αὐτῆς

    分詞 ὁρίσασα(境界を定める、決定する)および ἐπᾴξασα(飛びかかる、突進する)の主語は、前文の「魂(ἡ ψυχὴ)」である。したがって、指示代名詞の属格 αὐτῆς は、その決定を下した「魂の」所有・主体を表している。

  5. 190cἐατέον δὲ καὶ σοὶ τὸ ῥῆμα

    動詞 ἐάω(そのままにしておく、許容する)から派生した必要・当為を表す形容動詞(動形容詞) ἐατέον を用いた非人称構文であり、与格の行為者(σοὶ)を伴って「あなたによっても、その表現はそのままにしておかれねばならない(容認されねばならない)」という意味になる。

翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg006.humanitext-grc2:189-190