- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg006.humanitext-grc2:157
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-27
ソクラテスは変化の理論を感覚的性質全体に拡張し、関係性のみが実在を生むと述べる。彼は自分が産婆としてテアイテトスを助けていることを再確認し、夢や狂気などの知覚異常がこの説に与える反論について議論を始める。
ΣΩ. καὶ τἆλλα δὴ οὕτω, σκληρὸν καὶ θερμὸν καὶ πάντα, τὸν αὐτὸν τρόπον ὑποληπτέον, αὐτὸ μὲν καθʼ αὑτὸ μηδὲν εἶναι, ὃ δὴ καὶ τότε ἐλέγομεν, ἐν δὲ τῇ πρὸς ἄλληλα ὁμιλίᾳ πάντα γίγνεσθαι καὶ παντοῖα ἀπὸ τῆς κινήσεως, ἐπεὶ καὶ τὸ ποιοῦν εἶναί τι καὶ τὸ πάσχον αὐτῶν ἐπὶ ἑνὸς νοῆσαι,1 ὥς φασιν, οὐκ εἶναι παγίως. οὔτε γὰρ ποιοῦν ἐστί τι πρὶν ἂν τῷ πάσχοντι συνέλθῃ, οὔτε πάσχον πρὶν ἂν τῷ ποιοῦντι· τό τέ τινι συνελθὸν καὶ ποιοῦν ἄλλῳ αὖ προσπεσὸν πάσχον ἀνεφάνη. ὥστε ἐξ ἁπάντων τούτων, ὅπερ ἐξ ἀρχῆς ἐλέγομεν, οὐδὲν εἶναι ἓν αὐτὸ καθʼ αὑτό, ἀλλά τινι ἀεὶ γίγνεσθαι, τὸ δʼ εἶναι πανταχόθεν ἐξαιρετέον, οὐχ ὅτι ἡμεῖς πολλὰ καὶ ἄρτι ἠναγκάσμεθα ὑπὸ συνηθείας καὶ ἀνεπιστημοσύνης χρῆσθαι αὐτῷ. τὸ δʼ οὐ δεῖ, ὡς ὁ τῶν σοφῶν λόγος, οὔτε τι συγχωρεῖν οὔτε του οὔτʼ ἐμοῦ οὔτε τόδε οὔτʼ ἐκεῖνο οὔτε ἄλλο οὐδὲν ὄνομα ὅτι ἂν ἱστῇ,2 ἀλλὰ κατὰ φύσιν φθέγγεσθαι γιγνόμενα καὶ ποιούμενα καὶ ἀπολλύμενα καὶ ἀλλοιούμενα· ὡς ἐάν τί τις στήσῃ τῷ λόγῳ, εὐέλεγκτος ὁ τοῦτο ποιῶν. δεῖ δὲ καὶ κατὰ μέρος οὕτω λέγειν καὶ περὶ πολλῶν ἁθροισθέντων, ᾧ δὴ ἁθροίσματι ἄνθρωπόν τε τίθενται καὶ λίθον καὶ ἕκαστον ζῷόν τε καὶ εἶδος. ταῦτα δή, ὦ Θεαίτητε, ἆρʼ ἡδέα δοκεῖ σοι εἶναι, καὶ γεύοιο ἂν αὐτῶν ὡς ἀρεσκόντων; ΘΕΑΙ. οὐκ οἶδα ἔγωγε, ὦ Σώκρατες· καὶ γὰρ οὐδὲ περὶ σοῦ δύναμαι κατανοῆσαι πότερα δοκοῦντά σοι λέγεις αὐτὰ ἢ ἐμοῦ ἀποπειρᾷ. ΣΩ. οὐ μνημονεύεις, ὦ φίλε, ὅτι ἐγὼ μὲν οὔτʼ οἶδα οὔτε ποιοῦμαι τῶν τοιούτων οὐδὲν ἐμόν, ἀλλʼ εἰμὶ αὐτῶν ἄγονος, σὲ δὲ μαιεύομαι καὶ τούτου ἕνεκα ἐπᾴδω τε καὶ παρατίθημι ἑκάστων τῶν σοφῶν ἀπογεύσασθαι, ἕως ἂν εἰς φῶς τὸ σὸν δόγμα συνεξαγάγω· ἐξαχθέντος δὲ τότʼ ἤδη σκέψομαι εἴτʼ ἀνεμιαῖον εἴτε γόνιμον ἀναφανήσεται. ἀλλὰ θαρρῶν καὶ καρτερῶν εὖ καὶ ἀνδρείως ἀποκρίνου ἃ ἂν φαίνηταί σοι περὶ ὧν ἂν ἐρωτῶ. ΘΕΑΙ. ἐρώτα δή. ΣΩ. λέγε τοίνυν πάλιν εἴ σοι ἀρέσκει τὸ μή τι εἶναι ἀλλὰ γίγνεσθαι ἀεὶ ἀγαθὸν καὶ καλὸν καὶ πάντα ἃ ἄρτι διῇμεν. ΘΕΑΙ. ἀλλʼ ἔμοιγε, ἐπειδὴ σοῦ ἀκούω οὕτω διεξιόντος, θαυμασίως φαίνεται ὡς ἔχειν λόγον καὶ ὑποληπτέον ᾗπερ διελήλυθας. ΣΩ. μὴ τοίνυν ἀπολίπωμεν ὅσον ἐλλεῖπον αὐτοῦ. λείπεται δὲ ἐνυπνίων τε πέρι καὶ νόσων τῶν τε ἄλλων καὶ μανίας, ὅσα τε παρακούειν ἢ παρορᾶν ἤ τι ἄλλο παραισθάνεσθαι λέγεται. οἶσθα γάρ που ὅτι ἐν πᾶσι τούτοις ὁμολογουμένως ἐλέγχεσθαι δοκεῖ ὃν ἄρτι διῇμεν λόγον, ὡς παντὸς μᾶλλον ἡμῖν ψευδεῖς αἰσθήσεις ἐν αὐτοῖς γιγνομένας, καὶ πολλοῦ δεῖ3 τὰ φαινόμενα ἑκάστῳ ταῦτα καὶ εἶναι, ἀλλὰ πᾶν τοὐναντίον οὐδὲν ὧν φαίνεται εἶναι.
ソクラテス:そして他のものについても同様に、硬さや熱さ、その他すべてを同じように捉えねばならない。すなわち、それ自体で単独で存在するものは何もなく(これこそ私たちが先ほども言っていたことだ)、他者との交わりの中で、すべては運動によって生じ、あらゆる様態をとるのだ。なぜなら、それらのうちの能動的なものや受動的なものが、単一のものにおいて存在すると考えることは、彼らが言うように、確実には不可能だからである。なぜなら、受動的なものと出会う前には能動的なものは何もなく、能動的なものと出会う前には受動的なものもないからだ。また、あるものと出会って能動的であったものが、今度は別のものに衝突すると受動的であるものとして現れる。したがって、これらすべてから、私たちが最初から言っていたように、それ自体で単独で一であるものは何もなく、常に何ものかに対して生じるのであって、「ある」という言葉は至るところから排除されねばならない。もっとも、私たちは習慣と無知のせいで、たった今もそうであったように、しばしばそれを使わざるを得ないのではあるが。しかし、知者たちの説によれば、そのようなことはすべきではなく、「何か」も「誰かのもの」も「私のもの」も「これ」も「あれ」も、あるいはその他いかなる、静止させるような名前も認めてはならず、むしろ、自然に従って、生じるもの、作られるもの、滅びるもの、変化するものとして語らねばならない。なぜなら、もし誰かが言葉によって何かを静止させるなら、そうする者は容易に論破されるからである。そして、個々の部分についてもこのように語らねばならないし、多くのものが集まったものについても同様であって、その集合に対して人々は「人間」や「石」、そして個々の動物や種という名を与えるのだ。テアイテトス、これらのことは君にとって心地よく思われるかね。そして、それらを気に入ったものとして味わってみたいかね。 テアイテトス:私にはわかりません、ソクラテス。というのも、あなた自身についても、これをご自身の考えとして語っておられるのか、それとも私を試しておられるのか、理解することができないからです。 ソクラテス:友よ、君は覚えていないのかね。私はこのようなことについて何も知らず、自分自身のものとして何一つ生み出すことはなく、それらについては不妊なのだ。しかし、私は君に産婆術を施しているのであり、そのために、君が自分の意見を光のもとへと連れ出すまで、知者たちのそれぞれの教えを味わわせるために、呪文を唱え、それを君の前に差し出しているのだ。そして、それが連れ出されたなら、そのとき初めて、それがから風の卵であるか実りのあるものであるかを見極めることにしよう。だから、勇気と忍耐を持って、私が尋ねることについて、君に見える通りに立派に、勇敢に答えてくれたまえ。 テアイテトス:では、お尋ねください。 ソクラテス:それでは、善いものも美しいものも、そして私たちが先ほど挙げていったすべてのものも、「ある」のではなく、常に「生じる」のだという説が、君にとって気に入るかどうか、もう一度言ってくれたまえ。 テアイテトス:ですが、私にとっては、あなたがそのように詳しく説明されるのを聞いていると、驚くほど道理にかなっているように思われ、あなたが説明された通りに捉えねばならないように思われます。 ソクラテス:それでは、この説で欠けているところを残したままにしないでおこう。そして、夢や病気、とりわけ狂気、あるいは聞き違い、見違い、その他の知覚異常と言われるすべてのことが残されている。というのも、君もおそらく知っているように、これらすべての事例において、私たちが先ほど説明した説は、誰もが認めるところとして論破されると思われるからだ。すなわち、これらの状態においては何よりも偽りの感覚が私たちに生じるのであり、それぞれに現れるこれらのものがまさに存在することからは程遠く、むしろまったく反対に、現れるもののうち何一つ存在しないと思われるからだ。
- 157aἐπὶ ἑνὸς νοῆσαι
「単一のものにおいて(孤立させて)考えること」。前置詞 ἐπί に属格を伴い、「〜のケースにおいて」あるいは「〜に基づいて」の意。ここでは他者との関係や運動から切り離し、単独で存在する能動者や受動者を概念化することの不可能性を指摘している。
- 157bὅτι ἂν ἱστῇ
関係代名詞 ὅστις(ここでは対格中性 ὅτι)に ἄν と接続法 ἱστῇ(ἵστημι の現在能動態接続法3人称単数)が伴う一般的・制限的な関係節。「(事物を)静止させるような(いかなる名前も)」という制限的な形容詞節として機能している。
- 158aπολλοῦ δεῖ
非人称動詞 δεῖ を用いた慣用表現で、直訳すると「多くのものを欠いている」、すなわち「〜からは程遠い」「決して〜ではない」という強い否定を表す。ここでは、主語たる不定詞節「現れるものが存在するということ」を否定している。
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(1 件・最終 2026-09-21)
- 2026-09-21 AI校閲 — 訳文 1 件
