底本
Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
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要旨
本作は、プラトンによる中・後期の対話篇であり、「ソフィスト」とはいかなる存在かを定義することを主題としています。物語は、ソクラテスや数学者テオドロスが見守る中、エレアから来た「異邦人」と若きテアイテトスの対話を中心に進行します。二人はまず、定義の予備練習として「釣り人」の定義を行い、その手法を用いてソフィストの定義を試みますが、彼らが金儲けや論争、教育など多様な姿を示すため、議論は難航します。特に、ソフィストが「実在しない偽りのもの」を信じ込ませる技術を持つという点から、「非存在(あらぬもの)」がいかにして存在するのかという、パルメニデス以来の哲学的なアポリア(難問)に直面します。この難問を解決するため、異邦人は「存在」「静止」「運動」「同一」「他」という五つの最大類の交わりを論証し、非存在を「存在の反対」ではなく「他なるもの」として再定義します。これにより、名詞と動詞の結合による「偽なる言論(ロゴス)」の成立が基礎づけられます。最終的に二人は、ソフィストを「無知を自覚しながらも、私的な対話で相手に矛盾を強いる模倣的な奇術師」として明確に定義することに成功します。
目次
30 チャンク
引用方式:section
- §216-217
エレアの異邦人の紹介と三つの呼称への問い
テオドロスがエレアの異邦人を伴って現れ、ソクラテスと挨拶を交わす。ソクラテスは異邦人に、エレアの学派において「ソフィスト」「政治家」「哲学者」の三つの概念が同一のものとして扱われていたのか、それとも区別されていたのかを尋ね、対話を始める。
- §218-219
釣り人の定義による技術の二分割と分類の試み
ソフィストを定義するための予備練習として、より単純な「釣り人」の定義から始めることに合意し、すべての技術を「制作の技術」と「獲得の技術」に二分した上で、釣り人の技術を獲得の技術内の「狩猟技術」へと分類していく。
- §220-221
釣り術の定義の完成とソピステスへの適用
異邦人とテアイテトスは、「獲得術」の分類を進め、最終的に「釣り術」の厳密な定義に達する。その後、二人はこの分類方法を用いて、釣り人と類縁関係にある「ソフィスト」の定義へと議論を進め始める。
- §222-223
富裕な青年を狩る者としてのソピステスの第一の定義
異邦人とテアイテトスは陸上狩猟のうち人間を対象とする「人間狩猟術」を「暴力的狩猟」と「説得術」に分け、後者を私的な「愛の技術」と報酬を得る「お世辞術」「ソフィスト術」に分類することで、ソフィストの最初の定義を得る。さらに、獲得術のもう一つの分肢である「交換術」の観点からソフィストの新たな定義を模索し始める。
- §224-225
知識の商人および私的な争論者としてのソピステス
異邦人とテアイテトスは、ソフィストの定義の第二から第三の試みとして、美德や様々な知識を切り売り・転売する「知識販売術」の側面を定義する。その後、新たな切り口として「闘争術」の区分に入り、私的な論争によって金を稼ぐ「争論術(ソフィスト術)」という第四の定義を導き出す。
- §226-227
判別術の定義と身体および魂の浄化
異邦人とテアイテトスは、ソフィストを「争論術による金儲け」の類として一旦特定した後、ソフィストを捉えるための次なる足がかりとして、各種の家事作業に共通する「判別術」を定義し、さらにそこから「浄化(良いものを残し、悪いものを排除すること)」を抽出し、これを身体の浄化と魂の浄化に二分する。
- §228-229
魂の悪の区分と無知を正す教育の術
異邦人とテアイテトスは、魂における二つの悪(病としての邪悪、および醜さとしての無知)を区別し、無知に対する教示術の中に、最大の愚昧(知らないのに知っていると思うこと)を正す教育(パイデイア)を見出す。
- §230-231
魂の浄化法としての吟味と高貴なソピステス
異邦人とテアイテトスは、無知のうちで最も深刻な「無知の知の欠如」を治療する「エレンコス(吟味)」の手続きと、それが魂の不浄な思い込みを祓う最大の浄化法であることを議論し、この術を行う者を「高貴なソフィスト」と呼ぶ。その後、これまでに見出されたソフィストの六つの定義を振り返る。
- §232-233
万象を語るソピステスと見かけの知
異邦人とテアイテトスは、あらゆる事柄について反論できるというソフィストの主張の矛盾を暴き、一人の人間が万物を知ることは不可能なため、彼らの知識は真理ではなく、すべてのことを知っているように見せるだけの「思惑の知識」にすぎないという結論に達する。
- §234-235
模倣術の区分と似像制作術の定義
異邦人とテアイテトスは、万物について語るソフィストの技法を模倣術や魔術に類比し、これをもとに分割を適用してその正体を捕らえようとする。第一の段階として、原本の比率や色彩を忠実に再現する「似像制作術(エイカスティケー)」が提示される。
- §236-237
幻影制作術の区分と非存在を語る困難
異邦人は像制作術を、実在の比率を保つ「似像制作術」と視覚的な美しさを装う「幻影制作術」に分割する。さらに、ソフィストの分類をめぐり、「あらぬもの(非存在)」を語ることの困難についてパルメニデスの教えを引きながら検討を開始する。
- §238-239
あらぬものの言語化不可能性と像の定義
異郷人は、「あらぬもの」に単数や複数といった数の概念を適用することすら自己矛盾を伴うため、「あらぬもの」自体は思考も言語化も不可能であることを示す。さらに二人は、ソフィストが逃げ込んだ「像(エイドーロン)」という概念の定義について検討し始める。
- §240
像の逆説的本質と偽の思いなしの難問
異邦人はソフィストが「像」という言葉の定義を問い返して論駁を逃れようとすることを指摘し、テアイテトスとの問答を通じて、像(似姿)の本質が「本当に存在しない、しかし本当に存在する」という矛盾したあり方をしていることを明らかにする。さらに、偽りの思いなし(意見)が成立するためには「あらぬものが存在する」ことを認めねばならないというアポリアを整理する。
- §241-242
パルメニデス批判の決意と過去の存在論の概観
異邦人は、偽りの言論や思いなしを定義するためにはパルメニデスの教えに挑む(父殺しを行う)必要があると語り、テアイテトスもこれに同意する。そして、存在するものの数や性質を規定しようとした過去の哲学者たちの様々な学説を振り返り始める。
- §243
古代自然学の曖昧さと存在の意味への問い
異邦人は古代の自然哲学者たちの議論(一者や多者、対立する諸要素)がいかに曖昧で難解であるかを指摘し、まず「存在する」という言葉の真意について、当事者たちに問いただす形式で探究を始めることを提案する。
- §244
一者論の吟味と名前と全体をめぐる難問
異郷人は複数原理論者に対する議論をまとめ、次に一者のみが存在すると主張する人々(一者論者)に対する吟味へ移行する。一者論における「名前」と「存在」の同一性の矛盾や、パルメニデスの記述に基づく「全体」と「部分」の論理的帰結について問いを立てる。
- §245-246
全体と一をめぐる難問と存在をめぐる巨人の戦い
存在するものを「一」とする説が抱える「全体」と「部分」をめぐる矛盾を論じた後、実在の定義をめぐる唯物論者(地の巨人)と形相論者(天の神々)の対立(ギガントマキア)に焦点を移す。そして、唯物論者の議論を検討するため、彼らを言論の上でより優れた存在とみなして対話を進める。
- §247-248
能力としての存在の定義と形相の友の検討
異郷人とテアイテトスは、唯物論者との対話を通じて、存在するものを「作用を及ぼすか受ける能力」と定義する。次いで「形相の友」の説に移り、魂が実在を「認識する」ことが実在に受動(運動)をもたらすのではないかと論じる。
- §249-250
運動と静止の双方に関わる存在をめぐる難問
異郷人とテアイテトスは、完全に存在するもののうちに知性、命、魂が含まれるため、実在は静止しているだけではないと合意するが、これにより存在は運動と静止のどちらの定義にも収まらない第三のものであることが明らかになり、非存在の探究に匹敵する大きな困難に直面する。
- §251-252
一と多の述語づけと諸類の交わりの三つの可能性
存在する者と存在しない者のアポリアを踏まえ、異郷人とテアイテトスは一つのものを多くの名前で呼ぶことの可能性を論じる。彼らは、事物の相互の交わりについて、全く交わらない、すべてが交わる、一部が交わるという三つの仮説を検討し、一部のみが交わるという第三の道を選択する。
- §253-254
弁証術の定義と最重要の三つの類
異郷人とテアイテトスは、類(形相)の相互の交わりを体系的に見極める知識を「弁証術」と呼び、それが哲学者の本質的な能力であることを確認する。その上で、探求のために最も重要な類である「存在」「静止」「運動」の三つを選び出し、それらの関係性の分析に着手する。
- §255
同一と他なるものの導入と五つの最大類
異邦人とテアイテトスは、「同一なるもの」と「他なるもの」(他者性)が、すでに合意された三つの最大類(存在、静止、運動)とは異なる独立した類であることを論証し、最大類が計五つになることを確定する。
- §256
運動における同一と差異および非存在の必然性
異邦人とテアイテトスは、運動が「同一なるもの」でありながら「同一なるもの」ではないという二面性を明らかにし、さらに運動が「存在するもの(存在)」とは異なること、ひいては「存在しないもの(非存在)」が運動や他のすべての類において必然的に存在することを論じる。
- §257-258
他なるものとしての非存在の実在証明
「存在するもの」も「他なるもの」との関係で無限に「あらぬもの」であることを確認し、「あらぬもの」が反対ではなく「他なるもの」であることを論じる。さらに「他なるもの」が知識のように分割され、「美しくない」などの否定が「美」に対立する別の存在であることを示すことで、「あらぬもの」の実在を証明し、パルメニデスの禁令を越えたことを宣言する。
- §259
非存在の結論と言論を可能にする形相の結合
客人は、存在するものと他なるものの相互の交わりを前提とし、存在しないことが多重の意味で成立することを論証する。また、単なる言葉の揚げ足取り的な反論を排し、形相同士の結びつきこそが言論(ロゴス)を可能にしているのだと主張する。
- §260-261
言論と哲学の成立および名前の結合の検討
異郷人は、言論(ロゴス)が諸類の結合によって成立しているからこそ哲学が可能になることを強調し、偽なる言論や思いなしが生じる仕組みを検討するため、言葉(名前)の適合関係の分析へと議論を進める。
- §262
名詞と動詞の結合による言論の成立
異郷人は、言論を構成する最小単位として「名詞」(行為の主体)と「動詞」(行為そのもの)を定義し、これらが結合して初めて言論が成立することを説明する。また、言論は常に何かについて語るものであり、一定の性質を帯びる必要があると指摘する。
- §263-264
偽なる言論の証明と思索や思いなしの真偽
異郷人は「テアイテトスは座っている」と「テアイテトスは飛んでいる」という二つの言論を対比し、偽なる言論が実際に存在することを証明する。さらに、言論と同族である思索、思いなし、現われもまた真偽を持ちうることを示し、ソフィストの定義の基礎を固める。
- §265-266
制作術の再分割と実物および像の制作
異郷人とテアイテトスは、ソフィストを追い詰めるために「制作術」の再分割を開始する。彼らは制作術を「神的なもの」と「人間的なもの」に分けた後、さらにそれぞれを「事物そのものの制作」と「像の制作」に四分割する。
- §267-268
模倣術の分類とソフィストの最終定義
異郷人とテアイテトスは、現れ制作術(ファンタスティコン)を道具を用いるものと自らを道具とするもの(模倣)に分割し、さらに模倣を知識に基づくものと思いなしに基づくものに分ける。そして、最終的にソフィストとは、自己の無知を自覚しつつ私的な対話で相手に矛盾を強いる「人間的・模倣的・皮肉的な驚異制作術(奇術)」の血統に属する者であると定義する。
