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ソピステス

§249-250

運動と静止の双方に関わる存在をめぐる難問

異郷人とテアイテトスは、完全に存在するもののうちに知性、命、魂が含まれるため、実在は静止しているだけではないと合意するが、これにより存在は運動と静止のどちらの定義にも収まらない第三のものであることが明らかになり、非存在の探究に匹敵する大きな困難に直面する。

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§249

ΞΕ. τί δὲ πρὸς Διός; ὡς ἀληθῶς κίνησιν καὶ ζωὴν καὶ ψυχὴν καὶ φρόνησιν ἦ ῥᾳδίως πεισθησόμεθα τῷ παντελῶς ὄντι μὴ παρεῖναι,1 μηδὲ ζῆν αὐτὸ μηδὲ φρονεῖν, ἀλλὰ σεμνὸν καὶ ἅγιον, νοῦν οὐκ ἔχον, ἀκίνητον ἑστὸς εἶναι;2 ΘΕΑΙ. δεινὸν μεντἄν, ὦ ξένε, λόγον συγχωροῖμεν. ΞΕ. ἀλλὰ νοῦν μὲν ἔχειν, ζωὴν δὲ μὴ φῶμεν; ΘΕΑΙ. καὶ πῶς; ΞΕ. ἀλλὰ ταῦτα μὲν ἀμφότερα ἐνόντʼ αὐτῷ λέγομεν, οὐ μὴν ἐν ψυχῇ γε φήσομεν αὐτὸ ἔχειν αὐτά; ΘΕΑΙ. καὶ τίνʼ ἂν ἕτερον ἔχοι τρόπον; ΞΕ. ἀλλὰ δῆτα νοῦν μὲν καὶ ζωὴν καὶ ψυχὴν ἔχειν, ἀκίνητον μέντοι τὸ παράπαν ἔμψυχον ὂν ἑστάναι; ΘΕΑΙ. πάντα ἔμοιγε ἄλογα ταῦτʼ εἶναι φαίνεται. ΞΕ. καὶ τὸ κινούμενον δὴ καὶ κίνησιν συγχωρητέον ὡς ὄντα. ΘΕΑΙ. πῶς δʼ οὔ; ΞΕ. συμβαίνει δʼ οὖν, ὦ Θεαίτητε, ἀκινήτων τε ὄντων νοῦν μηδενὶ περὶ μηδενὸς εἶναι μηδαμοῦ. ΘΕΑΙ. κομιδῇ μὲν οὖν. ΞΕ. καὶ μὴν ἐὰν αὖ φερόμενα καὶ κινούμενα πάντʼ εἶναι συγχωρῶμεν, καὶ τούτῳ τῷ λόγῳ ταὐτὸν τοῦτο ἐκ τῶν ὄντων ἐξαιρήσομεν. ΘΕΑΙ. πῶς; ΞΕ. τὸ κατὰ ταὐτὰ καὶ ὡσαύτως καὶ περὶ τὸ αὐτὸ δοκεῖ σοι χωρὶς στάσεως γενέσθαι ποτʼ ἄν; ΘΕΑΙ. οὐδαμῶς. ΞΕ. τί δʼ; ἄνευ τούτων νοῦν καθορᾷς ὄντα ἢ γενόμενον ἂν καὶ ὁπουοῦν; ΘΕΑΙ. ἥκιστα. ΞΕ. καὶ μὴν πρός γε τοῦτον παντὶ λόγῳ μαχετέον, ὃς ἂν ἐπιστήμην ἢ φρόνησιν ἢ νοῦν ἀφανίζων ἰσχυρίζηται περί τινος ὁπῃοῦν. ΘΕΑΙ. σφόδρα γε. ΞΕ. τῷ δὴ φιλοσόφῳ καὶ ταῦτα μάλιστα τιμῶντι πᾶσα, ὡς ἔοικεν, ἀνάγκη διὰ ταῦτα μήτε τῶν ἓν ἢ καὶ τὰ πολλὰ εἴδη λεγόντων τὸ πᾶν ἑστηκὸς ἀποδέχεσθαι, τῶν τε αὖ πανταχῇ τὸ ὂν κινούντων μηδὲ τὸ παράπαν ἀκούειν, ἀλλὰ κατὰ τὴν τῶν παίδων εὐχήν, ὅσα ἀκίνητα καὶ κεκινημένα, τὸ ὄν τε καὶ τὸ πᾶν συναμφότερα λέγειν. ΘΕΑΙ. ἀληθέστατα. ΞΕ. τί οὖν; ἆρʼ οὐκ ἐπιεικῶς ἤδη φαινόμεθα περιειληφέναι τῷ λόγῳ τὸ ὄν; ΘΕΑΙ. πάνυ μὲν οὖν. ΞΕ. βαβαὶ μέντʼ ἂν ἄρα, ὦ Θεαίτητε, ὥς μοι δοκοῦμεν νῦν αὐτοῦ γνώσεσθαι πέρι τὴν ἀπορίαν τῆς σκέψεως. ΘΕΑΙ. πῶς αὖ καὶ τί τοῦτʼ εἴρηκας; ΞΕ. ὦ μακάριε, οὐκ ἐννοεῖς ὅτι νῦν ἐσμεν ἐν ἀγνοίᾳ τῇ πλείστῃ περὶ αὐτοῦ, φαινόμεθα δέ τι λέγειν ἡμῖν αὐτοῖς; ΘΕΑΙ. ἐμοὶ γοῦν· ὅπῃ δʼ αὖ λελήθαμεν οὕτως ἔχοντες, οὐ πάνυ συνίημι.

客人:では、ゼウスにかけて、私たちは、運動や命や魂や思慮が、完全に存在するもののうちに現に存在しないとか、あるいは、それ自体が生きておらず、思考もせず、かえって、厳かで神聖でありながら、知性を持たず、静止して不動のまま存在しているのだなどということを、本当に容易に信じ込んでしまうのでしょうか。テアイテトス:異郷人よ、それでは恐ろしい議論を認めることになってしまいます。客人:しかし、知性は持っているが、命は持っていないと言うべきでしょうか。テアイテトス:どうしてそんなことがあり得ましょう。客人:しかし、これら両方がそのもののうちに宿っていると言うのであれば、それがそれらを魂のうちに宿しているのだ、とは言わないのでしょうか。テアイテトス:ほかにどのようなあり方があり得ましょう。客人:では、知性と命と魂を持っているにもかかわらず、魂を備えたものであるのに、全く動かずに静止していると言うのでしょうか。テアイテトス:私には、それらはすべて理に合わないことのように思われます。客人:では、動かされるもの、そして運動をも、存在するものであると認めねばなりません。テアイテトス:当然のことです。客人:テアイテトスよ、すると結局、もしすべてのものが静止しているなら、誰にとっても、何についても、どこにおいても、知性は一切存在しないということになります。テアイテトス:全くその通りです。客人:さらにまた、もし逆に、すべてのものが運ばれ、動いているのだと認めるならば、その議論によっても、私たちは存在するもののうちから、これと同じものを排除することになるでしょう。テアイテトス:どのようにしてですか。客人:同一のあり方で、同様に、そして同一のものに関してあり続けるということが、静止なしにいつか生じることがあると、君には思われますか。テアイテトス:決してありません。客人:では、これらなしに、知性がどこかに存在している、あるいは生じることがあるのを目にすることができますか。テアイテトス:いいえ、全く見えません。客人:それゆえ、知識や思慮や知性を消し去りながら、いかなるものについても何らかの主張をする者に対しては、あらゆる議論を尽くして戦わねばなりません。テアイテトス:大いに戦うべきです。客人:それゆえ、知恵を愛する者であり、これらを何よりも重んじる者にとっては、次のことがどうしても必要であるように思われます。すなわち、すべては静止しているとして、形相を一つ、あるいは多く語る者たちの説を受け入れないこと、また逆に、存在するものを至るところで動かしている者たちの言うことにも全く耳を貸さないことであり、むしろ、子供たちの願いのように、動かないものも動くものもすべて、存在するものであり、すべてであると、その両方をあわせて言うことです。テアイテトス:全くその通りです。客人:ではどうでしょう。私たちは今や、存在するものを議論によって十分に把握したように見えるでしょうか。テアイテトス:確かにその通りに見えます。客人:おやまあ、しかしテアイテトスよ、私たちは今こそ、存在するものの認識をめぐる探究の困難に直面しているのだと、私は思うのですが。テアイテトス:それはまたどうして、どのような意味で言われたのですか。客人:友よ、私たちは今、存在するについて最大の無知の中にいるのに、自分たち自身では何かを語っているかのように見えているのだということに、君は気づいていませんか。テアイテトス:私には確かにそのように見えます。しかし、私たちがいつの間にそのような状態に陥ってしまったのかは、よく分かりません。

§250

ΞΕ. σκόπει δὴ σαφέστερον εἰ τὰ νῦν συνομολογοῦντες δικαίως ἂν ἐπερωτηθεῖμεν ἅπερ αὐτοὶ τότε ἠρωτῶμεν τοὺς λέγοντας εἶναι τὸ πᾶν θερμὸν καὶ ψυχρόν. ΘΕΑΙ. ποῖα; ὑπόμνησόν με. ΞΕ. πάνυ μὲν οὖν· καὶ πειράσομαί γε δρᾶν τοῦτο ἐρωτῶν σὲ καθάπερ ἐκείνους τότε, ἵνα ἅμα τι καὶ προΐωμεν. ΘΕΑΙ. ὀρθῶς. ΞΕ. εἶεν δή, κίνησιν καὶ στάσιν ἆρʼ οὐκ ἐναντιώτατα λέγεις ἀλλήλοις; ΘΕΑΙ. πῶς γὰρ οὔ; ΞΕ. καὶ μὴν εἶναί γε ὁμοίως φῂς ἀμφότερα αὐτὰ καὶ ἑκάτερον; ΘΕΑΙ. φημὶ γὰρ οὖν. ΞΕ. ἆρα κινεῖσθαι λέγων ἀμφότερα καὶ ἑκάτερον, ὅταν εἶναι συγχωρῇς; ΘΕΑΙ. οὐδαμῶς. ΞΕ. ἀλλʼ ἑστάναι σημαίνεις λέγων αὐτὰ ἀμφότερα εἶναι; ΘΕΑΙ. καὶ πῶς; ΞΕ. τρίτον ἄρα τι παρὰ ταῦτα τὸ ὂν ἐν τῇ ψυχῇ τιθείς,3 ὡς ὑπʼ ἐκείνου τήν τε στάσιν καὶ τὴν κίνησιν περιεχομένην, συλλαβὼν καὶ ἀπιδὼν αὐτῶν πρὸς τὴν τῆς οὐσίας κοινωνίαν, οὕτως εἶναι προσεῖπας ἀμφότερα; ΘΕΑΙ. κινδυνεύομεν ὡς ἀληθῶς τρίτον ἀπομαντεύεσθαί τι τὸ ὄν, ὅταν κίνησιν καὶ στάσιν εἶναι λέγωμεν. ΞΕ. οὐκ ἄρα κίνησις καὶ στάσις ἐστὶ συναμφότερον τὸ ὂν ἀλλʼ ἕτερον δή τι τούτων. ΘΕΑΙ. ἔοικεν. ΞΕ. κατὰ τὴν αὑτοῦ φύσιν ἄρα τὸ ὂν οὔτε ἕστηκεν οὔτε κινεῖται. ΘΕΑΙ. σχεδόν. ΞΕ. ποῖ δὴ χρὴ τὴν διάνοιαν ἔτι τρέπειν τὸν βουλόμενον ἐναργές τι περὶ αὐτοῦ παρʼ ἑαυτῷ βεβαιώσασθαι; ΘΕΑΙ. ποῖ γάρ; ΞΕ. οἶμαι μὲν οὐδαμόσε ἔτι ῥᾴδιον. εἰ γάρ τι μὴ κινεῖται, πῶς οὐχ ἕστηκεν;4 ἢ τὸ μηδαμῶς ἑστὸς πῶς οὐκ αὖ κινεῖται; τὸ δὲ ὂν ἡμῖν νῦν ἐκτὸς τούτων ἀμφοτέρων ἀναπέφανται. ἦ δυνατὸν οὖν τοῦτο; ΘΕΑΙ. πάντων μὲν οὖν ἀδυνατώτατον. ΞΕ. τόδε τοίνυν μνησθῆναι δίκαιον ἐπὶ τούτοις. ΘΕΑΙ. τὸ ποῖον; ΞΕ. ὅτι τοῦ μὴ ὄντος ἐρωτηθέντες τοὔνομα ἐφʼ ὅτι ποτὲ δεῖ φέρειν, πάσῃ συνεσχόμεθα ἀπορίᾳ. μέμνησαι; ΘΕΑΙ. πῶς γὰρ οὔ; ΞΕ. μῶν οὖν ἐν ἐλάττονί τινι νῦν ἐσμεν ἀπορίᾳ περὶ τὸ ὄν; ΘΕΑΙ. ἐμοὶ μέν, ὦ ξένε, εἰ δυνατὸν εἰπεῖν, ἐν πλείονι φαινόμεθα.

客人:それでは、私たちが今合意している事柄に照らして、かつて私たちが「万物は熱いものと冷たいものである」と主張していた人々に対して問いかけたのと同じ質問を、今度は自分たちが問いかけられても当然ではないか、もっと明確に考えてみてください。テアイテトス:それはどのような質問ですか。私に思い出させてください。客人:ええ、そうしましょう。あのとき彼らにしたように、君に問いかけることでそれを試みてみましょう。それによって、私たちは同時に少し前進することにもなるでしょうから。テアイテトス:その通りにしてください。客人:さて、君は運動と静止を、互いに最も反対のものであると言いますね。テアイテトス:当然、そう言います。客人:しかも、それらの両方も、それぞれの片方も、同様に存在する、と君は言いますね。テアイテトス:確かにその通り言います。客人:では、それらが存在することを認めるとき、君は両方も、それぞれの片方も、動いていると言っているのですか。テアイテトス:決してそうではありません。客人:あるいは、それら両方が存在すると言うことで、それらが静止していることを意味しているのですか。テアイテトス:どうしてそんなことがあり得ましょう。客人:とすれば、君はこれらのほかに、第三のものとして「存在する」を魂の中に想定し、それによって静止と運動の両方が包摂されていると考え、それらを一括して、それらの実在への参与に着目することによって、このように「両方は存在する」と呼んだのですね。テアイテトス:私たちは、運動と静止が存在すると言うとき、本当に、第三のものとして「存在する」を予感しているようですね。客人:そうすると、存在するとは、運動と静止の双方を合わせたものではなく、これらとは異なる別のあるものですね。テアイテトス:そのようです。客人:それゆえ、存在するとは、それ自身の本性においては、静止してもおらず、動いてもいないことになります。テアイテトス:ほぼそのようになりますね。客人:では、それについて自分自身の中で何か明確なことを確認したいと望む者は、もはやどこに思考を向ければよいのでしょうか。テアイテトス:本当に、どこに向けたらよいのでしょう。客人:私は、もはやどこに向けても容易ではないと思います。なぜなら、あるものが動いていないとすれば、どうしてそれが静止していないと言えるでしょうか。あるいは、全く静止していないものが、どうして逆に動いていないと言えるでしょうか。ところが、存在するは、今や私たちにとって、これら両方の外にあるものとして現れてしまいました。このようなことが果たして可能でしょうか。テアイテトス:絶対に不可能なことです。客人:それゆえ、これらのことに際して、次のことを思い出すのが当然です。テアイテトス:それはどのようなことですか。客人:「存在しないもの」という名前を、一体どのようなものに適用すべきかと問われたとき、私たちが全くの困難に陥ってしまったことです。覚えていますか。テアイテトス:ええ、もちろんです。客人:では、私たちが今、存在するものをめぐって陥っている困難は、あのときよりはいくらかでも小さいと言えるでしょうか。テアイテトス:異郷人よ、私には、もしそう言うことが許されるなら、むしろより大きな困難の中にいるように思われます。

構文注4 件
  1. 249ὡς ἀληθῶς κίνησιν καὶ ζωὴν καὶ ψυχὴν καὶ φρόνησιν ἦ ῥᾳδίως πεισθησόμεθα τῷ παντελῶς ὄντι μὴ παρεῖναι

    疑問を表す小辞 ἦ が使われており、「本当に〜を容易に信じてしまうのか」という反語的な疑問文を導いている。πεισθησόμεθα(πείθω の未来受動態/中動態一人称複数)は、対格不定詞を伴うか、あるいは与格(τῷ παντελῶς ὄντι)+不定詞(μὴ παρεῖναι)を取る。ここでは、τῷ παντελῶς ὄντι(完全に存在するもの)が不定詞 μὴ παρεῖναι の与格補語として機能している。

  2. 249aἀλλὰ σεμνὸν καὶ ἅγιον, νοῦν οὐκ ἔχον, ἀκίνητον ἑστὸς εἶναι;

    不定詞 εἶναι は、前の παρεῖναι や ζῆν/φρονεῖν と並列され、同じく πεισθησόμεθα に導かれている。この対格不定詞構文における意味上の主語(中性の αὐτό、すなわち「完全に存在するもの」)を修飾する補語として、中性単数対格の σεμνὸν, ἅγιον, νοῦν οὐκ ἔχον, ἀκίνητον ἑστὸς(ἵστημι の完了分詞)が並べられている。

  3. 250bτρίτον ἄρα τι παρὰ ταῦτα τὸ ὂν ἐν τῇ ψυχῇ τιθείς

    現在分詞 τιθείς(主格陽性単数)は、主節の動詞 προσεῖπας(二人称単数)の主語を修飾する。その直接目的語は τὸ ὄν(存在する部分/存在)であり、τρίτον τι ... παρὰ ταῦτα(これらとは別の第三のもの)は目的格補語として機能している。

  4. 250cεἰ γάρ τι μὴ κινεῖται, πῶς οὐχ ἕστηκεν;

    条件文において否定小辞 μή が直説法 κινεῖται と共に用いられており、一般的・仮定的な条件を表す。議論の核心は、本来は排他的な二者択一関係にあるはずの「運動」と「静止」のどちらでもない場所に「存在する(存在)」が位置づけられてしまうという、論理的な不条理を指摘することにある。

翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(1 件・最終 2026-09-21)
  • 2026-09-21 AI校閲 — 注 1 件
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