底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg021.perseus-grc2
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
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最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、ソクラテスと友人クリトンの対話という枠組みの中で、ソフィストであるエウテュデモスとディオニュソドロスの兄弟が披露する「論駁術」と、ソクラテスが示す「真の哲学」との対比を描いた哲学対話篇です。物語は、ソフィストの兄弟が若者クレイニアスを相手に、言葉の多義性を利用した執拗な二者択一の罠で翻弄する場面から始まります。これに対しソクラテスは、人間が幸福になるためには「知恵」こそが唯一の善であり、あらゆるものを正しく使用するための知識が必要であると説き、少年に寄り添いながら対話を導きます。その後、ソクラテスは「作る技術」と「使う技術」が一致した、幸福をもたらす究極の知識である「王者術」を追求しますが、定義が循環してアポリア(行き詰まり)に陥ります。一方でソフィストたちは、「嘘は不可能である」や「万物を常に知っている」といった極端な詭弁をエスカレートさせ、神々の所有にまつわる奇妙な結論で対話を締めくくります。最後にソクラテスは、世間の哲学批判に惑わされず、哲学そのものの価値を吟味して追求すべきであることをクリトンに語りかけ、作品は幕を閉じます。
目次
25 チャンク
引用方式:section
- §271-272
万能の智者エウテュデモス兄弟の紹介
クリトンがソクラテスに、昨日リュケイオンで彼と対話していた二人の異邦人について尋ねる。ソクラテスは、彼らがエウテュデモスとディオニュソドロスというあらゆる戦闘術と議論術に通じた万能の智者であることを説明し、自分も彼らに弟子入りするつもりであると述べる。
- §273-274
更衣室での集いと徳を教える宣言
エウテュデモスらが更衣室に入り、若者クレイニアスらも交えて人々が集まる。ソクラテスが彼らの知恵を紹介すると、二人は徳を他者に教えることが自分たちの本業であると宣言する。
- §275-276
学ぶ者は知者か愚者かをめぐる論駁術の開始
ソクラテスはソフィストたちに、少年クレイニアスに哲学と徳を勧めるよう依頼する。エウテュデモスとディオニュソドロスは、「学ぶ者は知者か愚者か」という二者択一の罠を用いて、得意の詭弁(論駁術)のデモンストレーションを開始する。
- §277-278
ソクラテスの介入と言葉の多義性の指摘
クレイニアスがソフィストの二重の意味論的な問いに惑わされて論破される中、ソクラテスは介入し、彼らの問いを儀式的な戯れに例えて少年を慰め、言葉の多義性を暴いた上で、真の勧誘の知恵を示すよう二人に求める。
- §279
幸福に必要な善いものと知恵が幸運であること
ソクラテスとクレイニアスは、人間が幸福になるための「良いもの」のリストアップを始め、富や健康、徳などを挙げた後、最大の「良いもの」として「幸運」を想起する。しかしソクラテスは、「知恵こそが幸運である」と主張し、様々な専門技術者がその分野において最も幸運であることを例示してクレイニアスを驚かせる。
- §280
知恵の確実性と善いものの正しい使用
ソクラテスは、知恵が常に人を正しい行動へと導き成功(幸運)をもたらすことを合意させ、さらに、幸福になるためには良いものを単に所有するだけでなく、正しく使用することが必要であることを論じる。
- §281
知恵が唯一の善であり無知が唯一の悪であること
ソクラテスは、富や健康、各種の技術など、一般に良いとされるものが本当に良いものであるかどうかは、それらを導く知恵(知識)があるかどうかにかかっていると論じる。知恵が伴わなければそれらは大きな悪となり、知恵が伴うことで初めて本当の善となり、したがって知恵こそが唯一の善であり、無知こそが唯一の悪であると結論づける。
- §282-283
哲学への勧奨とディオニュソドロスの新たな詭弁
ソクラテスは知恵の重要性と哲学の必要性を説き、クレイニアスから同意を得る。その後、ディオニュソドロスが対話を再開し、「無知なクレイニアスが知恵ある者になることを望むのは、彼が死ぬことを望むことだ」という詭弁を弄してクテシッポスを激怒させる。
- §284
嘘をつくことの不可能性とクテシッポスの反論
エウテュデモスとディオニュソドロスは、「嘘をつくことは不可能である」というソフィスト的詭弁をクテシッポスに対して提示する。これに対し、クテシッポスは言葉の二重の意味を用いて皮肉を込めて反撃する。
- §285
ソクラテスの仲裁と反論の不可能性の主張
ソクラテスがクテシッポスとソフィストたちの間の険悪な雰囲気を和らげるために介入し、自分を若者の代わりに実験台として捧げる。その後、ディオニュソドロスが「反論することは不可能である」というソフィスト的議論を提起する。
- §286
反論の不可能性とプロタゴラス説への追及
ディオニュソドロスは、万物にはそれぞれのあり方に応じた説明があるため反論することは不可能であるという議論を展開し、ソクラテスはこれが「偽りを語ることは不可能である」というプロタゴラス的な説であることを指摘して追及する。
- §287-288
誤りの不可能性への反論と知恵の探究の再開
ソクラテスは、誤りを犯すことが不可能であるなら徳を教えることも不可能であると指摘し、ディオニュソドロスの矛盾を突く。その後、ソクラテスはクテシッポスをなだめ、クレイニアスと共に、人生に益をもたらす知識の探究(哲学)を再開する。
- §289
作ることと使うことが一致する知識の探究
ソクラテスとクレイニアスは、獲得すべき真の知識は「作ること」と「使うこと」が一致したものでなければならないと合意し、竪琴製作術や言論執筆(ロゴグラフィー)の技術はその条件を満たさないことを確認する。
- §290-291
将軍術の検討と統治術への着目
幸福をもたらす知識の探求が続く。クレイニアスは将軍術を退ける。それは人間を対象とした狩猟術の一種にすぎず、将軍は狩り取った都市や軍勢を自ら用いえずに政治家へ引き渡すからであり、幾何学者や天文学者もまた発見したものを問答法家に委ねるという。少年がそこまで論じたことに驚くクリトンとのやり取りを挟み、探求は他の技術の成果を用いる王者術(政治術)に行き着くが、その固有の成果を問うた途端に迷宮に陥り、振り出しへ戻る。
- §292
王者術がもたらす成果と無限循環のアポリア
ソクラテスとクリトンは、すべてを支配する王者術がもたらす成果について検討するが、人々を善くする知識の定義が無限循環に陥ってしまい、幸福をもたらす究極の知識を同定できずに行き詰まっていることを確認する。
- §293
全知に関するエウテュデモスの詭弁
ソクラテスは行き詰まりから救われるためにソフィストの二人を呼び求め、エウテュデモスはソクラテスが何かを「知っている」ことを足がかりに、「一つでも知っていれば、すべてを知っていることになり、したがって探している知識もすでに持っている」という詭弁を展開する。
- §294-295
万人の全知という主張と問答法をめぐる応酬
ソクラテスとディオニュソドロス、エウテュデモスとの対話において、ソフィストたちが「何一つ知らないものはなく、常にすべてを知っている」と主張し、クテシッポスやソクラテスがその不条理さをからかいを交えて追及する。ソクラテスは、彼らの問答の詭弁に引き込まれつつも、質問方法をめぐって議論を交わし、最終的には彼らの指示に従って魂による認識をめぐる対話を再開する。
- §296-297
全知の反論と親族関係をめぐる詭弁
エウテュデモスはソクラテスが常にすべてを知っていることを証明しようとし、ソクラテスはこれに反論しつつソフィストたちの矛盾を突く。さらに、ディオニュソドロスは親族関係をめぐる詭弁を用いてソクラテスを追い詰めようとする。
- §298
犬の父親論と親族関係についての詭弁
ディオニュソドロスとエウテュデモスは、異なる父を持つことは父を持たないことであるという詭弁を用い、さらに自分たちの父親がすべての人間や動物の父親であるという極論を展開する。さらにディオニュソドロスは、クテシッポスの飼い犬が父親であることから、クテシッポスが自分の父親(犬)を叩いているという不条理な結論を導き出す。
- §299
善きものは多ければ多いほど善いかという議論
クテシッポスはエウテュデモスらの父親に皮肉を述べた後、エウテュデモスと「良いものは多ければ多いほど良いか」という論題で議論する。クテシッポスは薬や武器、黄金の過剰の不条理さを指摘し、スキタイ人の風習を例に挙げてソフィストの議論をからかう。
- §300-301
沈黙と発言の詭弁と美の臨在を巡る問答
エウテュデモスとディオニュソドロスは、「見る能力」や「沈黙と発言」を巡る言葉の多義性を用いた詭弁をクテシッポスに仕掛けるが、反論される。その後、ディオニュソドロスはソクラテスに対し、美の臨在(イデア説)や「ふさわしい行為」の定義を巡る極端な議論を展開する。
- §302
所有の定義と神々の処分に関する詭弁
ディオニュソドロスは、所有の定義(支配権を持ち処分できること)と、神々が「生き物」かつ「ソクラテスのもの」であるという前提から、ソクラテスが自らの神々を売買したり生贄にしたりできるという奇妙な結論を導き、ソクラテスを論理的窮地に追い込む。
- §303
神々の売買の帰結とソフィストの技法への称賛
ディオニュソドロスらは、ソクラテスが神々を「自分のもの」かつ「生き物」と認めたことを利用し、神々をも売買可能であると論じて対話を締めくくる。ソクラテスは、彼らの知恵と、誰もが即座に模倣できるその技術的容易さを逆説的に称賛する。
- §304-305
哲学への批判と哲学と政治の境界に立つ者たち
§304でソクラテスは、問答の技術を秘匿し、限られた人々や弟子たちにのみ教えるようエウテュデモスらに勧め、その後、クリトンに彼らのもとに通うよう促すが、クリトンはある演説撰稿人から哲学の営みを酷評されたことを語る。§305でソクラテスは、その批判者が「哲学者と政治家の境界」にいる中途半端な人々であることを明かし、彼らが二つの領域で成功していると自惚れて哲学者を目の敵にしているのだと指摘する。
- §306-307
中間者の劣等性と哲学そのものの吟味
ソクラテスは、哲学と政治の中間に立つと自負する文筆家たちが実際には両者より劣る「三番手」に過ぎないことを論理的に示す。これに対してクリトンが息子の教育についての悩みを打ち明けると、ソクラテスは活動の従事者ではなく哲学そのものの価値を吟味して追求するよう助言する。
