- 底本
- Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
- 翻訳
- AI生成(gemini-3.5-flash) — 機械翻訳のため誤りを含む場合があります
- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg021.humanitext-grc2:280
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-27
ソクラテスは、知恵が常に人を正しい行動へと導き成功(幸運)をもたらすことを合意させ、さらに、幸福になるためには良いものを単に所有するだけでなく、正しく使用することが必要であることを論じる。
ΣΩ. τί δέ; στρατευόμενος μετὰ ποτέρου ἂν ἥδιον τοῦ κινδύνου τε καὶ τῆς τύχης μετέχοις, μετὰ σοφοῦ στρατηγοῦ ἢ μετὰ ἀμαθοῦς;— μετὰ σοφοῦ. —τί δέ; ἀσθενῶν μετὰ ποτέρου ἂν ἡδέως κινδυνεύοις, μετὰ σοφοῦ ἰατροῦ ἢ μετὰ ἀμαθοῦς;— μετὰ σοφοῦ. —ἆρʼ οὖν, ἦν δʼ ἐγώ, ὅτι1 εὐτυχέστερον ἂν οἴει πράττειν μετὰ σοφοῦ πράττων ἢ μετὰ ἀμαθοῦς;—συνεχώρει.—ἡ σοφία ἄρα πανταχοῦ εὐτυχεῖν ποιεῖ τοὺς ἀνθρώπους. οὐ γὰρ δήπου ἁμαρτάνοι γʼ ἄν ποτέ τι σοφία, ἀλλʼ ἀνάγκη ὀρθῶς πράττειν καὶ τυγχάνειν· ἦ γὰρ ἂν2 οὐκέτι σοφία εἴη. συνωμολογησάμεθα τελευτῶντες οὐκ οἶδʼ ὅπως3 ἐν κεφαλαίῳ οὕτω τοῦτο ἔχειν, σοφίας παρούσης, ᾧ ἂν παρῇ, μηδὲν προσδεῖσθαι εὐτυχίας· ἐπειδὴ δὲ τοῦτο συνωμολογησάμεθα, πάλιν ἐπυνθανόμην αὐτοῦ τὰ πρότερον ὡμολογημένα πῶς ἂν ἡμῖν ἔχοι. ὡμολογήσαμεν γάρ, ἔφην, εἰ ἡμῖν ἀγαθὰ πολλὰ παρείη, εὐδαιμονεῖν ἂν καὶ εὖ πράττειν.—συνέφη.—ἆρʼ οὖν εὐδαιμονοῖμεν ἂν διὰ τὰ παρόντα ἀγαθά, εἰ μηδὲν ἡμᾶς ὠφελοῖ ἢ εἰ ὠφελοῖ;— εἰ ὠφελοῖ, ἔφη.—ἆρʼ οὖν ἄν τι ὠφελοῖ, εἰ εἴη μόνον ἡμῖν, χρῴμεθα δʼ αὐτοῖς μή; οἷον σιτία εἰ ἡμῖν εἴη πολλά, ἐσθίοιμεν δὲ μή, ἢ ποτόν, πίνοιμεν δὲ μή, ἔσθʼ ὅτι ὠφελοίμεθʼ ἄν;— οὐ δῆτα, ἔφη.—τί δέ; οἱ δημιουργοὶ πάντες,4 εἰ αὐτοῖς εἴη πάντα τὰ ἐπιτήδεια παρεσκευασμένα ἑκάστῳ εἰς τὸ ἑαυτοῦ ἔργον, χρῷντο δὲ αὐτοῖς μή, ἆρʼ ἂν οὗτοι εὖ πράττοιεν διὰ τὴν κτῆσιν, ὅτι κεκτημένοι εἶεν πάντα ἃ δεῖ κεκτῆσθαι τὸν δημιουργόν; οἷον τέκτων, εἰ παρεσκευασμένος εἴη τά τε ὄργανα ἅπαντα καὶ ξύλα ἱκανά, τεκταίνοιτο δὲ μή, ἔσθʼ ὅτι ὠφελοῖτʼ ἂν ἀπὸ τῆς κτήσεως;— οὐδαμῶς, ἔφη.—τί δέ, εἴ τις κεκτημένος εἴη πλοῦτόν τε καὶ ἃ νυνδὴ ἐλέγομεν πάντα τὰ ἀγαθά, χρῷτο δὲ αὐτοῖς μή, ἆρʼ ἂν εὐδαιμονοῖ διὰ τὴν τούτων κτῆσιν τῶν ἀγαθῶν;— οὐ δῆτα, ὦ Σώκρατες. —δεῖ ἄρα, ἔφην, ὡς ἔοικεν, μὴ μόνον κεκτῆσθαι τὰ τοιαῦτα ἀγαθὰ τὸν μέλλοντα εὐδαίμονα ἔσεσθαι, ἀλλὰ καὶ χρῆσθαι αὐτοῖς· ἢ οὐδὲν ὄφελος τῆς κτήσεως γίγνεται.— ἀληθῆ λέγεις. —ἆρʼ οὖν, ὦ Κλεινία, ἤδη τοῦτο ἱκανὸν πρὸς τὸ εὐδαίμονα ποιῆσαί τινα, τό τε κεκτῆσθαι τἀγαθὰ καὶ τὸ χρῆσθαι αὐτοῖς;— ἔμοιγε δοκεῖ. —πότερον, ἦν δʼ ἐγώ, ἐὰν ὀρθῶς χρῆταί τις ἢ καὶ ἐὰν μή;— ἐὰν ὀρθῶς.
ソクラテス:「では、従軍するとして、どちらと共に危険と運命を分かち合う方がより嬉しいかね。知恵のある将軍とか、それとも無知な将軍とか」――「知恵のある方とです」――「では、病気であるとして、どちらと共に喜んで危険を冒すかね。知恵のある医者とか、それとも無知な医者とか」――「知恵のある方とです」――「それなら」と私は言った。「知恵のある人と共に行動する方が、無知な人と共にするよりも、より幸運にやっていけると思うからかね」――彼は同意した。――「すると、知恵こそが至る所で人々を幸運にするのだ。なぜなら、知恵が決して何事においても誤るはずはなく、正しく行い、目的を達成せざるを得ないからだ。さもなければ、それはもはや知恵ではないだろうからね。我々は結局のところ、どういうわけか、要するにこういうことだということで合意した。すなわち、知恵が備わっているとき、それが備わっている人には、さらに幸運が必要になることは全くない、と。そして我々がこのことに合意したとき、私は彼に、以前合意した事柄が我々にとってどうなるかを再び尋ねた。『というのも、もし多くの良いものが我々に備わっているなら、我々は幸福であり、よく生きるだろうと合意したからね』と私は言った」――彼は同意した。――「では、我々は手元にある良いものによって幸福になるのだろうか。もしそれらが我々を全く益しないとしたらだろうか、それとも益するとしたらだろうか」――「益するとしたらです」と彼は言った。――「では、もしそれらがただ我々にあるだけで、それらを使わないとしたら、何か益することがあるだろうか。例えば、もし多くの食べ物が我々にあってもそれを食べないとか、飲み物があってもそれを飲まないとかであるなら、我々が益されるようなことがあるかね」――「いいえ、決して」と彼は言った。――「では、すべての職人たちはどうだろう。もし彼らに、それぞれの仕事に必要なすべてのものが準備されていても、それらを使わないとしたら、職人が所有すべきすべてのものを所有しているからという理由で、その所有によって彼らはうまくやっていけるだろうか。例えば大工が、すべての道具と十分な木材を準備していながら、大工仕事を全くしないとしたら、その所有から何か益を得ることがあるだろうか」――「決してありません」と彼は言った。――「では、もしある人が富や、我々が先ほど言っていたすべての良いものを所有していながら、それらを使わないとしたら、これらの良いものを所有していることによって幸福になるだろうか」――「いいえ、決して、ソクラテス」――「それなら」と私は言った。「どうやら、幸福になろうとする者は、単にそのような良いものを所有するだけでなく、それらを使用しなければならないのだ。さもなければ、所有から何の益も生じないのだからね」――「おっしゃる通りです」――「では、クレイニアスよ、良いものを所有することとそれらを使用することの両方が、すでに人を幸福にするのに十分なのだろうか」――「私にはそう思われます」――「どちらの場合かね」と私は言った。「正しく使用する場合か、それともそうでない場合もかね」――「正しく使用する場合です」
- 280aὅτι
直前のクレイニアスの返答「知恵のある者と(μετὰ σοφοῦ)」を受けて、「それは(…だから)という理由からかね?」と問いかける理由節を導いている。あるいは、質問全体を導入するものではなく、οἴει(君は思うか)にかかる「〜ということを(君は思っているのか)」とする名詞節の解釈も可能だが、ここでは前者の理由説明として解釈するのが自然である。
- 280aἦ γὰρ ἂν
ここでの ἦ は接続詞 ἢ(さもなければ)の強意・異綴りと解釈される。条件文の代用として機能しており、「(正しく行動し成功しなければ)さもなければ、それはもはや知恵ではないだろうから」という意味を表す。
- 280bοὐκ οἶδʼ ὅπως
「どういうわけか」「どうにかして」を意味する慣用的な挿入表現。文全体の主動詞である συνωμολογησάμεθα(合意した)に修飾的にかかり、議論の推移に対する話者の謙遜や驚きを含意する。
- 280cοἱ δημιουργοὶ πάντες
主格の懸垂名詞(nominativus pendens)の例。文頭で主格として提示されているが、その後に条件節(εἰ αὐτοῖς εἴη...)が挟まれることで構文が破格(anacoluthon)となり、主節の主語としては指示代名詞 οὗτοι(これら)によって受け直されている。
