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プラトン · Plato

プロタゴラス

Protagoras

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ジャンル
Philosophy
引用方式
section
チャンク数
33
§309-310–§361-362
対訳文数
4,090
日本語 1477 · English 526 · 简体中文 1022 · 한국어 1065

底本

Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.

原文データ出典

Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)

元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg022.perseus-grc2

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翻訳と校閲

翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)

AI校閲 2026-09-22:検出 Gemini 3.8 Flash/判定 Gemini 3.8 Flash・GPT-6 Astra — 日本語訳 16 件・原文 1 件を修正

反映した修正(日本語訳と原文):AI校閲 17 件

最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧

要旨

本作は、人間の「徳」(アレテー)が教育可能なものであるのか、そして徳の本質とは何かを追究するプラトンの対話篇です。ソクラテスは、アテナイを訪れた高名なソフィストであるプロタゴラスとカリアス邸で対峙し、知的な探求を繰り広げます。序盤、プロタゴラスは神話や社会のあり方を引き合いに出して徳は教えられると主張しますが、ソクラテスは政治家の息子たちの例などからこれに疑問を投げかけます。中盤では、正義や節制、勇気といった個々の徳が「知恵」(ソピアー)という一つのものに帰せられるか否かが議論の焦点となります。終盤、ソクラテスは「快楽に負ける」という現象が実は善悪を測定する知識の欠如(無知)によるものであることを論証し、すべての徳は知識であると結論づけます。最終的に、当初「徳は教育不可能」としたソクラテスが徳を知識(教育可能)と論じ、「徳は教育可能」としたプロタゴラスがそれを拒むという、奇妙な立場の逆転が明らかになり、議論は未完のまま将来へと持ち越されます。

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33 チャンク

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