§1.12.1ἐπεὶ οὖν φαίνεται ἐφʼ ἡμῖν ὂν τὸ σπουδαῖον εἶναι, ἀναγκαῖον τὸ μετὰ ταῦτα εἰπεῖν ὑπὲρ ἑκουσίου, τί ἐστι τὸ ἑκούσιον·
それゆえ、優れた者であることが私たち次第であることが明らかである以上、この次に自発的なものについて、自発的なものとは何かを語ることが必要である。
τοῦτο γάρ ἐστι τὸ κυριώτατον πρὸς τὴν ἀρετήν, τὸ ἑκούσιον.
なぜなら、自発的なものこそが、徳にとって最も決定的なものだからである。
ἔκούσιον δὲ ἁπλῶς μὲν οὕτως ῥηθῆναί ἐστιν ὃ πράττομεν μὴ ἀναγκαζόμενοι·
端的に言えば、自発的なものとは、私たちが強制されることなく行うことである。
ἀλλʼ ἴσως σαφέστερον λεκτέον ἐστὶν ὑπὲρ αὐτοῦ.
しかしおそらく、これについてはより明確に語らねばならない。
§1.12.2ἔστιν οὖν καθ᾿ ὃ πράττομεν ὄρεξις·
さて、私たちがそれに基づいて行動するところのものは欲求である。
ὀρέξεως δʼ ἐστὶν εἴδη τρία, ἐπιθυμία θυμὸς βούλησις.
そして欲求には三つの種、すなわち欲望、気概、願望がある。
πρῶτον μὲν οὖν τὴν κατʼ ἐπιθυμίαν πρᾶξιν ἐπισκεπτέον, πότερον ἑκούσιόν ἐστιν ἢ ἀκούσιον.
そこでまず、欲望に基づく行動について、それが自発的なものであるか非自発的なものであるかを検討しなければならない。
[οἷον]τὸ μὲν οὖν ἀκούσιον οὐκ ἂν δόξειεν.
ところで、非自発的なものであるとは思われないだろう。
διὰ τί καὶ πόθεν;
なぜ、いかなる根拠からか。
?ὅτι ὅσα μή ἑκόντες πράττομεν, ἀναγκαζόμενοι πράττομεν, ἐπὶ δὲ τοῖς ἐξ ἀνάγκης πραττομένοις πᾶσιν ἕπεται λύπη, τοῖς δὲ διʼ ἐπιθυμίαν πραττομένοις ἡδονὴ ἀκολουθεῖ, ὥστε οὑτωσί γε οὐκ ἂν εἴη τὰ διʼ ἐπιθυμίαν πραττόμενα ἀκούσια, ἀλλʼ ἑκούσια.
なぜなら、私たちが自発的にではなく行うことはすべて強制されて行うのであり、強制されて行うすべてのことには苦痛が伴うのに対し、欲望に基づいて行われることには快楽が追随するからであり、したがって、このように見れば、欲望に基づいて行われることが非自発的なものであることはあり得ず、自発的なものであるからである。
§1.12.3— ἀλλὰ πάλιν ἄλλος λόγος τις τούτῳ ἐναντιοῦται, ὁ ἐπὶ τῇ ἀκρασίᾳ.
――しかし一方で、これに反対する別の議論、すなわち無自制に関する議論がある。
οὐθεὶς γάρ, φησί, πράττει ἑκὼν τὰ κακά, εἰδὼς ὅτι κακὰ ἐστίν·
というのも、「誰も、それが悪であると知りながら、自発的に悪を行うことはない」と言われるからである。
ἀλλὰ μήν, φησίν, ὅ γε ἀκρατὴς εἰδὼς ὅτι ταῦτα φαῦλά ἐστιν ὅμως πράπττει, καὶ κατʼ ἐπιθυμίαν γε πράττει·
だがしかし、「無自制な者は、それらが劣ったことであると知りながらも、それを行い、しかもそれを欲望に基づいて行う」と言われる。
οὐκ ἄρα ἑκών·
とすれば、自発的に行っているのではない。
ἀναγκαζόμενος ἄρα.
したがって、強制されて行っているのである。
§1.12.4ἐνταῦθα πάλιν ὁ αὐτὸς λόγος ἀπαντήσεται.
ここにおいて再び同じ議論が立ち向かうことになる。
καὶ γὰρ εἰ κατʼ ἐπιθυμίαν, οὐκ ἐξ ἀνάγκης·
というのも、もし欲望に基づくのであるなら、強制によるのではないからである。
τῇ γὰρ ἐπιθυμίᾳ ἡδονὴ ἀκολουθεῖ, τὰ δὲ δι᾿ ἡδονὴν οὐκ ἐξ ἀνάγκης.
なぜなら欲望には快楽が追随し、快楽によることは強制によるものではないからである。
— καὶ ἄλλως τοῦτ᾿ ἂν γένοιτο δῆλον, ὅτι ὁ ἀκρατὴς ἑκὼν πράττει.
――そして別の点からも、無自制な者が自発的に行動していることは明らかになるだろう。
οἱ μὲν γὰρ ἀδικοῦντες ἑκόντες ἀδικοῦσιν, οἱ δὲ ἀκρατεῖς ἄδικοι καὶ ἀδικοῦσιν·
というのも、不正を行う者は自発的に不正を行うが、無自制な者たちは不正であり、不正を行うからである。
ὥστε ὁ ἀκρατὴς ἑκὼν ἂν πράττοι τὰ κατὰ τὴν ἀκρασίαν.
したがって、無自制な者は、無自制に基づく行動を自発的に行うことになるだろう。