§10ΣΩ. τάχʼ, ὠγαθέ, βέλτιον εἰσόμεθα.
ソクラテス:いや、お友達、すぐにわかるようになるさ。
ἐννόησον γὰρ τὸ τοιόνδε·
というのも、次のようなことを考えてみておくれ。
ἆρα τὸ ὅσιον ὅτι ὅσιόν ἐστιν φιλεῖται ὑπὸ τῶν θεῶν, ἢ ὅτι φιλεῖται ὅσιόν ἐστιν;
はたして虔なものは、それが虔であるから神々に愛されるのだろうか、それとも、愛されるから虔なのだろうか。
ΕΥΘ. οὐκ οἶδʼ ὅτι λέγεις, ὦ Σώκρατες.
エウテュプロン:おっしゃっている意味が分かりません、ソクラテス。
ΣΩ. ἀλλʼ ἐγὼ πειράσομαι σαφέστερον φράσαι.
ソクラテス:では、私がもっとはっきりと説明することに努めよう。
λέγομέν τι φερόμενον καὶ φέρον καὶ ἀγόμενον καὶ ἄγον καὶ ὁρώμενον καὶ ὁρῶν καὶ πάντα τὰ τοιαῦτα μανθάνεις ὅτι ἕτερα ἀλλήλων ἐστὶ καὶ ᾗ ἕτερα;
「運ばれるもの」と「運ぶもの」、「連れて行かれるもの」と「連れて行くもの」、「見られるもの」と「見るもの」があると私たちは言うが、これらすべてについて、それらが互いに異なるものであり、どのような点で異なっているかを君は理解しているかね。
ΕΥΘ. ἔγωγέ μοι δοκῶ μανθάνειν.
エウテュプロン:理解しているように思います。
ΣΩ. οὐκοῦν καὶ φιλούμενόν τί ἐστιν καὶ τούτου ἕτερον τὸ φιλοῦν;
ソクラテス:とすれば、「愛されるもの」というのもあり、これとは異なる「愛するもの」もあるのではないかね。
ΕΥΘ. πῶς γὰρ οὔ;
エウテュプロン:どうしてそうでないことがありましょう。
ΣΩ. λέγε δή μοι, πότερον τὸ φερόμενον διότι φέρεται φερόμενόν ἐστιν, ἢ διʼ ἄλλο τι;
ソクラテス:では教えておくれ、「運ばれるもの」は、それが「運ばれる」から「運ばれるもの」なのか、それとも何か他のことのためなのか。
γ
ΕΥΘ. οὔκ, ἀλλὰ διὰ τοῦτο.
エウテュプロン:いえ、そのためです。
ΣΩ. καὶ τὸ ἀγόμενον δὴ διότι ἄγεται, καὶ τὸ ὁρώμενον διότι ὁρᾶται;
ソクラテス:そして、「連れて行かれるもの」もそれが「連れて行かれる」からであり、「見られるもの」もそれが「見られる」からなのだね。
ΕΥΘ. πάνυ γε.
エウテュプロン:まったくその通りです。
ΣΩ. οὐκ ἄρα διότι ὁρώμενόν γέ ἐστιν, διὰ τοῦτο ὁρᾶται, ἀλλὰ τὸ ἐναντίον διότι ὁρᾶται, διὰ τοῦτο ὁρώμενον·
ソクラテス:ということは、それが「見られるもの」であるから見られるのではなく、その反対に、見られるからこそ「見られるもの」なのだ。
οὐδὲ διότι ἀγόμενόν ἐστιν, διὰ τοῦτο ἄγεται, ἀλλὰ διότι ἄγεται, διὰ τοῦτο ἀγόμενον·
また、それが「連れて行かれるもの」であるから連れて行かれるのではなく、連れて行かれるからこそ「連れて行かれるもの」なのだ。
οὐδὲ διότι φερόμενον φέρεται, ἀλλὰ διότι φέρεται φερόμενον.
さらに、それが「運ばれるもの」であるから運ばれるのではなく、運ばれるからこそ「運ばれるもの」なのだ。
ἆρα κατάδηλον, ὦ Εὐθύφρων, ὃ βούλομαι λέγειν;
エウテュプロン、私の言いたいことがはっきりしたかね。
βούλομαι δὲ τόδε, ὅτι εἴ τι γίγνεται ἤ τι πάσχει, οὐχ ὅτι γιγνόμενόν ἐστι γίγνεται, ἀλλʼ ὅτι γίγνεται γιγνόμενόν ἐστιν· οὐδʼ ὅτι πάσχον ἐστὶ πάσχει, ἀλλʼ ὅτι πάσχει πάσχον ἐστίν·
私が言いたいのはこういうことだ。 何かが生じる、あるいは何かが作用を受けるとすれば、それが「生じつつあるもの」であるから生じるのではなく、生じるからこそ「生じつつあるもの」なのであり、それが「作用を受けつつあるもの」であるから作用を受けるのではなく、作用を受けるからこそ「作用を受けつつあるもの」なのだ、とね。
ἢ οὐ συγχωρεῖς οὕτω;
それとも君は、そうであることに同意しないかね。
ΕΥΘ. ἔγωγε.
エウテュプロン:同意します。
ΣΩ. οὐκοῦν καὶ τὸ φιλούμενον ἢ γιγνόμενόν τί ἐστιν ἢ πάσχον τι ὑπό του;
ソクラテス:とすれば、「愛されるもの」というのもまた、誰かによって生じるか、あるいは何らかの作用を受けるものなのでのではないかね。
ΕΥΘ. πάνυ γε.
エウテュプロン:まったくその通りです。
ΣΩ. καὶ τοῦτο ἄρα οὕτως ἔχει ὥσπερ τὰ πρότερα·
ソクラテス:これもやはり先の例と同じようになっているのだね。
οὐχ ὅτι φιλούμενόν ἐστιν φιλεῖται ὑπὸ ὧν φιλεῖται, ἀλλʼ ὅτι φιλεῖται φιλούμενον;
すなわち、それが「愛されるもの」であるから愛する者たちによって愛されるのではなく、愛されるからこそ「愛されるもの」なのだ。
ΕΥΘ. ἀνάγκη.
エウテュプロン:必然的にそうなります。
ΣΩ. τί δὴ οὖν λέγομεν περὶ τοῦ ὁσίου, ὦ Εὐθύφρων;
ソクラテス:では、エウテュプロン、虔なものについて私たちは何と言うかね。
ἄλλο τι φιλεῖται ὑπὸ θεῶν πάντων, ὡς ὁ σὸς λόγος;
君の説によれば、それはすべての神々に愛されている、ということでいいかね。
γ
ΕΥΘ. ναί.
エウテュプロン:はい。
ΣΩ. ἆρα διὰ τοῦτο, ὅτι ὅσιόν ἐστιν, ἢ διʼ ἄλλο τι;
ソクラテス:では、それはそれが虔であるから愛されるのか、それとも何か他のことのためなのか。
ΕΥΘ. οὔκ, ἀλλὰ διὰ τοῦτο.
エウテュプロン:いえ、それが虔だからです。
ΣΩ. διότι ἄρα ὅσιόν ἐστιν φιλεῖται, ἀλλʼ οὐχ ὅτι φιλεῖται, διὰ τοῦτο ὅσιόν ἐστιν;
ソクラテス:ということは、それが虔であるから愛されるのであって、愛されるからこそ虔なのではないのだね。
ΕΥΘ. ἔοικεν.
エウテュプロン:そのようです。
ΣΩ. ἀλλὰ μὲν δὴ διότι γε φιλεῖται ὑπὸ θεῶν φιλούμενόν ἐστι καὶ θεοφιλές.
ソクラテス:しかし一方で、神々に愛されるからこそ、それは「愛されるもの」であり「神に愛されるもの」なのだ。
ΕΥΘ. πῶς γὰρ οὔ;
エウテュプロン:どうしてそうでないことがありましょう。
ΣΩ. οὐκ ἄρα τὸ θεοφιλὲς ὅσιόν ἐστιν, ὦ Εὐθύφρων, οὐδὲ τὸ ὅσιον θεοφιλές, ὡς σὺ λέγεις, ἀλλʼ ἕτερον τοῦτο τούτου.
ソクラテス:とすれば、エウテュプロン、「神に愛されるもの」が「虔なもの」なのではなく、また「虔なもの」が「神に愛されるもの」でもないのだ、君が言うようにはね。 これらは互いに別のものであるのだから。
ΕΥΘ. πῶς δή, ὦ Σώκρατες;
エウテュプロン:どうしてそうなるのですか、ソクラテス。
γ
ΣΩ. ὅτι ὁμολογοῦμεν τὸ μὲν ὅσιον διὰ τοῦτο φιλεῖσθαι, ὅτι ὅσιόν ἐστιν, ἀλλʼ οὐ διότι φιλεῖται ὅσιον εἶναι·
ソクラテス:なぜなら、私たちはこう合意しているからだ。 「虔なもの」は、それが虔であるから愛されるのであって、愛されるから虔であるのではない、とね。
ἦ γάρ;
そうではないかね。
ΕΥΘ. ναί.
エウテュプロン:はい。
ΣΩ. τὸ δέ γε θεοφιλὲς ὅτι φιλεῖται ὑπὸ θεῶν, αὐτῷ τούτῳ τῷ φιλεῖσθαι θεοφιλὲς εἶναι, ἀλλʼ οὐχ ὅτι θεοφιλές, διὰ τοῦτο φιλεῖσθαι.
ソクラテス:だが他方で、「神に愛されるもの」は、それが神々に愛されるからこそ、まさにその愛されるということ自体によって「神に愛されるもの」なのであって、それが「神に愛されるもの」であるから愛されるのではない。
ΕΥΘ. ἀληθῆ λέγεις.
エウテュプロン:おっしゃる通りです。