底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1913.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg018.perseus-grc2
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
AI校閲 2026-09-22:検出 Gemini 3.8 Flash/判定 Gemini 3.8 Flash・GPT-6 Astra — 日本語訳 4 件・原文 1 件を修正
反映した修正(日本語訳と原文):表記の統一 52 件・AI校閲 5 件・校訂者 1 件
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最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、魂の主要な美徳の一つである「節制(ソープロシュネー)」の本質をめぐって展開されるプラトンの哲学的な対話篇です。ポテイダイアの戦場から帰還したソクラテスが、アテナイの体育場において、美少年カルミデスとその従兄クリティアスを相手に議論を交わします。物語は、ソクラテスがカルミデスの頭痛を治療するための「呪文」として節制を導入するところから始まり、やがて節制の定義をめぐる対話へと発展します。カルミデスが提案する「静けさ」や「慎み」といった定義が退けられた後、議論を引き継いだクリティアスは、節制を「自分自身を知ること」や「知識の知識」として定義し直します。しかしソクラテスは、自己言及的な知識の可能性を疑い、それがどのように人間を益するのかを厳しく吟味していきます。最終的に、人を幸福にするのは単なる知識ではなく「善と悪に関する知識」であることが明らかになり、節制の定義自体は未解決のまま幕を閉じるものの、カルミデスたちは今後もソクラテスに学び続けることを決意します。
目次
18 チャンク
引用方式:section
- §153-154
ソクラテスの帰還と美少年カルミデスの登場
ソクラテスがポテイダイアの戦場から帰還し、タウレアスの体育場でクリティアスやカイレポンらと再会する。そこで現れた類稀なる美少年カルミデスに対し、ソクラテスはその肉体の美しさだけでなく、彼の魂が備えている美徳について対話を通じて確かめようとする。
- §155-156
頭痛の治療とザルモクシスの全体的医療
クリティアスはカルミデスをソクラテスのもとに呼び、頭痛の治療を口実に対話の機会を作る。ソクラテスは彼の美しさに圧倒されつつも、ザルモクシスの医者から学んだという、魂と体の全体的治療の思想を語り始める。
- §157
魂の治療による節制の獲得とカルミデスの評判
ソクラテスは、魂を治療して「節制」をもたらすことが身体の健康の前提であるというトラキア人の教えを伝え、カルミデスに魂の治療を先に受けるよう促す。これに対してクリティアスは、カルミデスがすでに同世代で最も節制に優れていると太鼓判を押す。
- §158
カルミデスの節制の有無と共同の吟味の開始
ソクラテスはカルミデスの高貴な家系と優れた容姿を称賛しつつ、彼に節制が備わっているかを尋ねる。カルミデスは謙虚に答えるのをためらい、二人は共同でそれを吟味することに合意する。
- §159
節制を静けさとする定義とその吟味
ソクラテスがカルミデスに「節制」の定義を求めると、彼はそれを「一種の静けさ」と定義する。これに対しソクラテスは、身体や知性の諸活動において「素早さ」の方が美しく立派であることを示し、この定義の矛盾を指摘する。
- §160-161
節制を慎みとする定義の反駁と自己の仕事
ソクラテスは、魂と身体の活動の多くにおいて「速さ」の方が「静けさ」よりも優れていることを示し、カルミデスの最初の定義(節制=静けさ)を退ける。続いてカルミデスは、節制を「慎み(アイドース)」と定義し直すが、ソクラテスはホメロスの詩を引用してこれも否定し、最終的に「自分の事を行うこと」という第3の定義が提出される。
- §162
自分の事を行うことの矛盾とクリティアスの登場
ソクラテスは「自分の事を行うこと」を文字通りに解釈すると矛盾が生じることを示し、この定義が一種の謎かけであると指摘する。それを聞いたカルミデスは、その発案者であるクリティアスを議論に引き込み、クリティアスが自ら定義の弁護を引き受けることになる。
- §163
制作と行為の区別と善いことを行う節制
ソクラテスとクリティアスは、「制作すること」と「行うこと」の違いについて議論する。クリティアスはヘシオドスの詩を引用して言葉の定義を整理し、節制とは善いことを行うことであると定義し直す。
- §164-165
汝自身を知れという碑文と節制の再定義
ソクラテスは、医師の治療を例にして、行為としては節制にかなっていながら本人がそれを自覚していないということが起こり得るのではないかと問いかける。これに対してクリティアスは、節制とはまさに「自分自身を知ること」であると定義し直し、デルポイの碑文を引いて自身の主張を擁護するが、ソクラテスはその知識がどのような独自の成果を生み出すのかを問い質す。
- §166
知識についての知識としての節制と自己吟味の目的
クリティアスは、節制が他の知識とは異なり、自分自身および他の知識についての知識であると主張する。ソクラテスは、自己吟味の目的は他人の論破ではなく真理の発見であると説き、節制の定義についての対話を再開する。
- §167
知識の知識の可能性と自己言及的能力の検討
ソクラテスとクリティアスは、節制を「知識の知識および無知の知識」と定義することの可能性について吟味を開始する。ソクラテスは、自己自身を対象とする感覚や欲求などの類比(視覚、聴覚、欲求、意志、愛)を挙げ、そのような自己言及的な能力が本当に成立し得るか疑問を呈する。
- §168
自己言及的な関係と諸感覚や数量の吟味
ソクラテスは、自分自身を対象とする力(自己言及的な関係)の不可能性を説明するために、恐怖や思い込みの例に続き、大小関係、二倍、さらには聴覚や視覚といった感覚の例を挙げ、それら自身の性質を伴わなければ不可能な事態が生じることを示す。
- §169
知識の知識の可能性の保留と知・不知の認識
ソクラテスは、自己に関わる能力の困難さを指摘してクリティアスに「知識の知識」の可能性と有益性の証明を求めるが、行き詰まったクリティアスは答えを濁す。そこでソクラテスはその可能性を一旦認めつつ、それがどのように自己の既知・未知を知ることにつながるのかを問い直す。
- §170
知と不知の知が専門知識の内容を区別できない難点
ソクラテスとクリティアスは、知識の知識としての節制が、「自分が知っていることと知らないことを知る」能力になりうるかを吟味する。二人は、節制だけでは具体的な専門知識(医学や建築等)の内容を識別できず、単に「知っている」という事実を認識するに留まることを確認する。
- §171
専門家の識別不能と節制による理想社会の仮定
ソクラテスとクリティアスは、節制が「知識の知識」にすぎない場合、専門的な知識を持たない人間が真の医師を偽物から見分けることは不可能であることを論じる。さらに、もし節制が「知っていることと知らないことを知ること」であったならば可能であったはずの、誤りのない理想的な生活や国家運営の可能性を反実仮想として語る。
- §172-173
節制の限定的な有用性と知識による幸福の不確かさ
ソクラテスは、自己の知と不知を知る「節制」がもたらすはずの極めて限定的な有益さについて指摘し、たとえ全ての行いが知識に基づいて行われたとしても、それだけでは人間が幸福になるとは限らないという疑念をクリティアスに提示する。
- §174
幸福をもたらす善悪の知識と諸知識の区別
ソクラテスは、幸福をもたらすのは単に「知識に基づいて生きること」ではなく、特定の一つの知識、すなわち「善と悪に関する知識」であることをクリティアスに認めさせる。
- §175-176
探求の失敗への嘆きとカルミデスの弟子入り
ソクラテスは、善悪の知識以外に人間に益をもたらす知識はないため、節制が無益なものと結論づけられたことを嘆く。しかし、カルミデスとクリティアスは節制を得るためにソクラテスの呪文を毎日聞き続けることを決定し、ソクラテスは彼らの実力行使的な懇願に同意して対話が幕を閉じる。
