§10.36.1Οὐδείς ἐστιν οὕτως εὔποτμος ᾧ ἀποθνῄσκοντι οὐ παρεστήξονταί τινες ἀσπαζόμενοι τὸ συμβαῖνον κακόν.
これほど幸運な者は誰もいない。 自分が死ぬときに、起こる災い(=自分の死)を歓迎するような人々が傍らに立たないほどには。
σπουδαῖος καὶ σοφὸς ἦν·
「彼は立派で賢い人だった」と[人は言うかもしれない。
μὴ τὸ πανύστατον ἔσται τις ὁ καθ’ αὑτὸν λέγων· ἀναπνεύσομέν ποτε ἀπὸ τούτου τοῦ παιδαγωγοῦ;
] だが、そのまさに最期において、「ようやくこの教育係から私たちは一息つけるぞ。
χαλεπὸς μὲν οὐδενὶ ἡμῶν ἦν, ἀλλὰ ᾐσθανόμην ὅτι ἡσυχῇ καταγινώσκει ἡμῶν.
彼は私たちに決して厳しくはなかったが、内心では私たちを軽蔑しているのを私は感じていた」と心の中で言う者が誰かしらいるのではないだろうか。
ταῦτα μὲν οὖν ἐπὶ τοῦ σπουδαίου, ἐφ’ ἡμῶν δὲ πόσα ἄλλα ἐστί, δι’ ἃ πολὺς ὁ ἀπαλλακτιῶν ἡμῶν.
さて、これは立派な人の場合であるが、私たちの場合はどうだろう。 私たちから解放されたがっている者が、ほかにどれほど多くいることか!
τοῦτο οὖν ἐννοήσεις ἀποθνῄσκων καὶ εὐκολώτερον ἐξελεύσῃ, λογιζόμενος·
それゆえ、死ぬときにこのことを念頭に置くなら、より安らかに去ることができるだろう。 こう考えることによって。
ἐκ τοιούτου βίου ἀπέρχομαι, ἐν ᾧ αὐτοὶ οἱ κοινωνοί, ὑπὲρ ὧν τὰ τοσαῦτα ἠγωνισάμην, ηὐξάμην, ἐφρόντισα, αὐτοὶ ἐκεῖνοι θέλουσί με ὑπάγειν, ἄλλην τινὰ τυχὸν ἐκ τούτου ῥᾳστώνην ἐλπίζοντες.
「私はこのような生から去ろうとしているのだ。 そこでは、私がそのためにあれほど奮闘し、祈り、心を配ったまさにその仲間たち自身が、私の退場を望んでおり、おそらくそれによって何か別の気楽さを得られると期待しているのだ」と。
τί ἂν οὖν τις ἀντέχοιτο τῆς ἐνταῦθα μακροτέρας διατριβῆς;
それなら、どうして人がここでのより長い滞在にしがみつくことがあろうか。
μὴ μέντοι διὰ τοῦτο ἔλαττον εὐμενὴς αὐτοῖς ἄπιθι, ἀλλὰ τὸ ἴδιον ἔθος διασῴζων, φίλος καὶ εὔνους καὶ ἵλεως·
しかしながら、だからといって彼らに対して好意を減じて立ち去ってはならない。 むしろ自分自身の本性を守り通し、友好的で、親切で、寛大であり続けよ。
καὶ μὴ πάλιν ὡς ἀποσπώμενος, ἀλλ’ ὥσπερ ἐπὶ τοῦ εὐθανατοῦντος εὐκόλως τὸ ψυχάριον ἀπὸ τοῦ σώματος ἐξειλεῖται, τοιαύτην καὶ τὴν ἀπὸ τούτων ἀποχώρησιν δεῖ γίνεσθαι·
また、引き裂かれるようにしてではなく、安らかに死を迎える人の場合、その魂が肉体からたやすく滑り出るように、彼らからの離脱もそのようであるべきだ。
καὶ γὰρ τούτοις ἡ φύσις συνῆψε καὶ συνέκρινεν, ἀλλὰ νῦν διαλύει.
自然があなたを彼らと結びつけ、一体化させたのだが、今や解き放つのだ。
διαλύομαι ὡς ἀπὸ οἰκείων μέν, οὐ μὴν ἀνθελκόμενος ἀλλ̓ ἀβιάστως·
「私は親しい人々から離れるようにして解き放たれる。 しかし、引き戻されることなく、無理強いされずにである。
ἓν γὰρ καὶ τοῦτο τῶν κατὰ φύσιν.
なぜなら、これもまた自然にかなったことの一つだからである。 」