§1.29.1αἰδὼς δʼ ἐστὶ μεσότης ἀναισχυντίας καὶ καταπλήξεως, ἔστιν δὲ περὶ πράξεις καὶ λόγους.
慎み(羞恥心)は、破廉恥さ(恥知らず)と、おののき(気おくれ)の中間であり、行為と言葉に関するものである。
ὁ μὲν γὰρ ἀναίσχυντός ἐστιν ὁ ἐν παντὶ καὶ πρὸς πάντας λέγων καὶ πράττων ἃ ἔτυχεν, ὁ δὲ καταπεπληγμένος ὁ ἐναντίος τούτῳ, ὁ πάντα καὶ [πρὸς] πάντας εὐλαβούμενος καὶ πρᾶξαι καὶ εἰπεῖν (ἄπρακτος γὰρ ὁ τοιοῦτος, ὁ πάντα καταπληττόμενος)·
なぜなら、破廉恥な人とは、あらゆる状況において、すべての人に対して、たまたま思いついたことを言ったり行ったりするような者だからであり、他方、おののいている人はこれと反対の者であり、すべての事柄およびすべての人に対して、行うことも言うことも恐れはばかる者だからである(なぜなら、そのような者、すなわちすべてのことにおののいている者は、何も実行できないからである)。
§1.29.2ἡ δὲ αἰδὼς καὶ ὁ αἰδήμων μεσότης τις τούτων.
これに対して、慎みおよび慎み深い人は、これらの中間のようなものである。
οὔτε γὰρ ἅπαντα καὶ πάντως, ὡς ὁ ἀναίσχυντος, καὶ ἐρεῖ καὶ πράξει, οὔτε ὡς ὁ καταπλήξ, ἐν παντὶ καὶ πάντως εὐλαβηθήσεται, ἀλλὰ πράξει καὶ ἐρεῖ ἐν οἷς δεῖ καὶ ἃ δεῖ καὶ ὅτε δεῖ.
なぜなら、[慎み深い人は]破廉恥な人のように、すべてのことを、またあらゆる仕方で、言ったり行ったりするわけではなく、また、おののいている人のように、あらゆる状況において、またあらゆる仕方で恐れはばかるわけでもなく、むしろ、なすべき状況において、なすべきことを、なすべき時に行い、かつ言うであろうからである。