底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
Humanitext がクローン・再構成し、継続的に更新しています。
要旨
本作は、ソクラテスとソフィストのヒッピアスがホメロスの英雄たちを比較することから始め、真実と偽り、そして人間の魂のあり方へと迫る哲学対話篇です。オリンピアを舞台に、ヒッピアスはアキレウスを真実を語る者、オデュッセウスを偽る者と定義しますが、ソクラテスは様々な技術や知識の例を引きながら、真実を語る能力のある者こそが自発的に嘘をつく能力をも備えていることを論証します。議論はさらに深まり、自発的に間違いや悪事を犯す能力を持つ者の方が、不本意にそれらを行う者よりも優れているのではないかという問いへと発展します。身体能力や技術、魂の卓越性を検証した末に、対話は「意図的に不正を行う者こそが善い人である」という不条理な結論(アポリア)に到達します。最終的にソクラテスもヒッピアスもこの結論に困惑し、明確な答えを得られないまま対話は幕を閉じます。
目次
8 チャンク
引用方式:section
- §363-364
アキレウスとオデュッセウスの比較の開始
オリンピアでのヒッピアスの実演終了後、エウディコスとソクラテスが彼に問いかけ、アキレウスとオデュッセウスの優劣や性格についての対話を始める。
- §365-366
偽りを語る者の能力と知恵の定義
ヒッピアスは、アキレウスを単純で真実を語る者、オデュッセウスを臨機応変で偽りを語る者と定義し、ソクラテスと議論を始める。ソクラテスは、偽りを語る者とは騙す能力と知恵を備えた者であるという前提をヒッピアスに認めさせ、計算術を例に能力の定義を問い詰める。
- §367
計算や学芸において真偽を語る専門家の能力
ソクラテスはヒッピアスに対し、嘘をつく場合でも計算の達人(優れた者)こそが意図通りに嘘を突き通せる能力を持つ一方で、無知な者は意に反して真実を言ってしまうことを認めさせ、幾何学など他の分野でも同様に、その分野の「優れた者」こそが真実も偽りも語る最高の能力を持つことを示す。
- §368-369
あらゆる技術における真偽の同一性とヒッピアスの反論
ソクラテスは天文学でも同様に、能力ある者が偽りと真実の両方を語れる同一人物であることを示す。さらにヒッピアスの多才さと記憶術をからかいながら、あらゆる技術において偽る者と真実を語る者が同一であることを認めさせ、アキレウスとオデュッセウスも同様に似た者同士であるという不都合な結論を突きつけるが、ヒッピアスは不満を呈し反論を試みる。
- §370-371
アキレウスの嘘と自発的な偽りの優位性
ソクラテスは『イリアス』の詩句を引用し、アキレウスがオデュッセウスとアイアスに対して矛盾する計画を語っており、彼こそが計画的に嘘をつく策士であることを示す。ヒッピアスはアキレウスの言葉の変遷は心変わりによるものであり、オデュッセウスの意図的な嘘とは異なると弁明するが、ソクラテスは自発的な嘘の優位性を再び提起する。
- §372-373
対話の再開と競走者の比喩による検証
ヒッピアスは自発的に悪事を行う者が不本意な者より優れているという結論に反対する。ソクラテスは自身の無知を認めつつ、自発的に過ちを犯す者の方が優れているという自らの奇妙な直感を検証するため、エウディコスの仲介を得て、ヒッピアスと競走(ランナー)の喩えを用いた対話を再開する。
- §374
身体運動や器官における自発的失敗の優位
ソクラテスとヒッピアスは、競走や相撲などの身体活動、足や目などの器官、さらに舵などの道具を例に、自発的に不全な結果を生み出せるものの方が、意図せず機能低下に陥るものよりも優れているという見解を共有していく。
- §375-376
魂の優秀性と自発的に不正を行う者の逆説
ソクラテスとヒッピアスは、技能や知的活動において自発的に間違える優れた魂の方が、不本意に間違える劣った魂よりも優れていることを議論する。そして最終的に、自発的に不正を行う者こそが善い人であるという不条理な結論に至り、両者ともに困惑したまま対話を終える。
