底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg019.perseus-grc2
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
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最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、若者の優れた教育と、そのために不可欠な徳の一種である「勇気(アンドレイア)」の本質を追究するプラトンのソクラテス対話篇です。物語は、アテナイの市民リュシマコスらが、息子たちに最善の教育を施すため、高名な将軍であるラケスとニキアス、そして哲学者ソクラテスに助言を求めるところから始まります。議論はまず重装歩兵術という武芸の是非から始まりますが、ソクラテスは教育の真の目的が「魂の配慮」にあるとし、探究を「勇気とは何か」という根本的な問いへと導きます。将軍ラケスは「戦列に踏みとどまること」や「魂の忍耐力」といった定義を提案しますが、ソクラテスの鋭い吟味によってその不十分さが暴かれます。続いてニキアスが「恐ろしいことと恐るるに足りぬことに関する知識」という知的な定義を試みるものの、これも最終的には勇気だけでなく徳の全体を指すことになり、矛盾に陥ります。最終的に、登場人物たちは誰も勇気の真の定義に到達できず、自らの無知を認め、若者たちと共に改めて優れた教師を探して学び続けることを誓い合って対話は幕を閉じます。
目次
16 チャンク
引用方式:section
- §178-179
息子の教育と武芸の是非についての相談
リュシマコスは、自分とメレシアスが偉大な父親を持ちながら平凡に育ってしまった反省から、息子たちには最善の教育を施したいと考え、武芸(重装歩兵術)の学習が有益かどうかについてニキアスとラケスに助言を求める。
- §180-181
教育の相談役としてのソクラテスの推薦
リュシマコスが若者の教育方針について助言を求めると、ラケスとニキアスは、同区民であり若者の教育に熱心なソクラテスを相談役として推薦する。ソクラテスの素性と優れた人格を知ったリュシマコスは彼を歓迎し、まずは先輩二人に武芸の是非についての意見を促す。
- §182-183
重装歩兵術の効用を巡るニキアスとラケスの対立
ニキアスは重装歩兵術が若者の身体を鍛え、隊列内でも個人戦でも役立ち、将帥の術へ導く有益なものであると称賛する。これに対してラケスは、戦を重んじるスパルタ人がこの技術を導入していないこと、および実際の戦場でこの術の専門家たちがまったく役に立たなかったという実例(ステシラオスの失敗など)を挙げ、その実用性に強い疑念を示す。
- §184
多数決ではなく専門知識による判断の必要性
ラケスはステシラオスの失態の顛末を語って重装歩兵術の不毛さを強調し、ソクラテスに助言を求める。ソクラテスは、優れた体育教師の例を引き、重大な判断は多数決ではなく知識に基づいてなされるべきだと説く。
- §185
魂の配慮の専門家と議論の目的の明確化
ソクラテスは、息子たちの教育という極めて重要な事柄については多数決ではなく魂を配慮する専門家の意見に従うべきだと主張し、その専門家を特定する前提として、そもそも何のために何を検討しているのかを明確にすべきだと説く。
- §186-187
教育者の資格の提示の要求とソクラテスの告白
ソクラテスは、魂の配慮について自分には優れた教師もおらず十分な技術もないと謙遜して告白し、ラケスとニキアスの二人にその専門知識や実績について問い質すようリュシマコスに促す。ニキアスはリュシマコスに対し、彼がソクラテスのことを本人の活動を通じてではなく、父親の代からしか真に知っていないのだろうと指摘する。
- §188
ソクラテスの吟味に対するニキアスとラケスの態度
ニキアスがソクラテスによる対話を通じた自己吟味の性質を語り、自身はそれを歓迎すると述べる。続いてラケスは、言行一致の優れた者が語る議論のみを自分は愛し、そうではない者の議論を嫌悪するという自身の基準を表明する。
- §189
ラケスの吟味の受容と教育の根本原理への探究の着手
ラケスはソクラテスの過去の戦功を称えて彼による吟味を歓迎し、ソクラテスも応じる。リュシマコスの要請を受け、ソクラテスは教育についての探究をより根本的な原理から開始することを提案する。
- §190
徳の知識の必要性とラケスによる勇気の最初の定義
ソクラテスは、あるものを獲得する方法を助言するためにはそのもの自体の本質(徳)を知る必要があると説き、まずは徳の一部である「勇気」について探究することを提案し、ラケスがそれに対する最初の定義を述べる。
- §191
多様な場面に共通する勇気の一般的定義の要請
ソクラテスは、退却しながら戦うスキタイ人やプラタイアイでのラケダイモン人の例を挙げ、勇敢さとは単に戦列に留まることだけではないと指摘し、苦痛や快楽、欲望など様々な状況における共通の「勇気」の定義をラケスに促す。
- §192-193
魂の忍耐力としての勇気と知恵をめぐる検討
ソクラテスは「速さ」を例に挙げ、あらゆる状況に共通する「勇気」の本質的定義を求める。ラケスは「魂の忍耐力」と答えるが、それが「思慮深さ」を伴うべきか否かをめぐって矛盾に直面する。
- §194-195
ニキアスによる知識としての勇気の定義とラケスの反論
困惑するソクラテスとラケスは、定義を試みるためニキアスを議論に誘い入れ、ニキアスは勇気を「恐ろしいことと恐るるに足りぬことに関する知識」と定義する。これに対してラケスは、医師や技術者の知識を例に挙げ、それは予言者の領分ではないかとニキアスの見解を批判する。
- §196
予言者の知と動物に勇気があるかどうかの問題
ニキアスは、予言者であっても未来の吉凶の兆候を知るだけで、それが本人にとって良いか悪いかを判断する知識(=勇気)は持たないと主張する。ソクラテスは彼の定義に従えば、動物はすべてその知識を持たないため、ライオンも鹿も等しく勇敢ではあり得ないと指摘する。
- §197-198
勇気と恐れ知らずさの区別と恐れの対象
ラケスとニキアスは勇敢さと恐れ知らずさの区別をめぐって議論し、ニキアスは獣を勇敢とは呼ばない立場を主張する。ソクラテスは対話を整理し、恐ろしいものとそうでないものの定義、および知識の時間的普遍性について確認し始める。
- §199
善悪の知識としての勇気の破綻と徳の全体
ソクラテスは、いかなる専門知識も過去・現在・未来を一貫して対象とすることを示し、ニキアスの定義する「将来の善悪の知識としての勇気」は、実際にはあらゆる時代の善悪を網羅する「徳の全体」になってしまうと指摘する。これにより、当初の前提(勇気は徳の一部である)と矛盾し、定義は失敗に終わる。
- §200-201
全員の無知の承認と共同での教師の探求
勇気の定義に行き詰まった一同は誰を若者の指導者にすべきかを議論する。ソクラテスは自分も含めた全員の無知と困難を認め、一同が共同で優れた教師を探して学ぶことを提案して対話を締めくくる。
