底本
Plutarch. Plutarchi Chaeronensis Moralia, Vol I. Vernardakēs, Grēgorios N., editor. Leipzig: Teubner, 1888.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0007.tlg080.perseus-grc2
Humanitext がクローン・再構成し、継続的に更新しています。
翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
AI校閲 2026-09-22:検出 Gemini 3.8 Flash/判定 Gemini 3.8 Flash・GPT-6 Astra — 日本語訳 4 件を修正
反映した修正(日本語訳と原文):AI校閲 4 件
最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、神々に対する無知から生じる二つの病弊、すなわち「無神論」と「迷信」を対比し、特に「迷信」が魂にもたらす深刻な害悪を鋭く批判する哲学論考である。著者のプルタルコスは、理性を麻痺させる最大の感情である「恐怖」が迷信の核心にあると指摘する。迷信深い者は、睡眠中も悪夢に怯え、逆境に直面すれば神の罰とみなして悲惨な自虐的儀礼に没頭し、死後さえも恐怖からの逃避先とならない。一方、神の存在を信じない無神論者は不合理な恐怖に支配されず、災厄にも静かに耐えるため、神を残酷な存在とみなす迷信のほうがはるかに不敬虔であると論じられる。さらに、迷信による野蛮な儀式こそが無神論を誘発する原因であると分析される。最終的に作品は、迷信を避けるあまりに極端な無神論へと陥ることなく、中庸としての真の敬虔(ユウセベイア)を保つことの重要性を説いて結ばれる。
目次
7 チャンク
引用方式:section
- §1-2
無神論と迷信の比較と迷信による害悪
神々に対する無知から生じる二つの病弊である無神論と迷信を対比し、感情を伴う迷信が魂に深い歪みと苦痛を与えることを論じる。
- §3
迷信が生む恐怖と睡眠すら奪われる苦痛
感情の中で最も無力で理性を麻痺させる「恐怖」が、特に「迷信」において顕著に現れることを説明し、睡眠中であっても悪夢に苦しみ続け、目が覚めても奇怪な儀式に走る迷信深い者の哀れさを、他人の喜劇やヘラクレイトスの言葉を引いて描き出す。
- §4-5
逃れられない神への恐怖と無神論との情念の差
迷信深い者にとって、神々からの逃避先はどこにもなく、死さえも恐怖からの解放を意味しないことを説明する。一方、無神論は無知による災いであるが、迷信のような病的な情念や狂気は伴わないことを対比する。
- §6-7
逆境に対する無神論者と迷信者の態度の相違
無神論者と迷信深い者の逆境に対する態度の相違が論じられる。無神論者が原因を自然や自身に求め沈黙して耐えるのに対し、迷信深い者はあらゆる災厄を神の罰とみなして治療や助言を拒絶し、極端な自虐的儀礼に没頭する。
- §8-9
災厄や祝祭における迷信者の不合理な絶望と恐怖
迷信深い者が災難に直面したとき、あるいは祭りのような喜ばしい機会において、自らの理性的な行動を放棄し、極度の恐怖と不合理な行動に陥る悲惨さを、無神論者の態度や歴史上の人物の例を交えて論じている。
- §10-11
無神論よりも不敬虔な迷信の神観と憎悪
プルタルコスは、神々を残酷で執念深いものとみなす迷信は、単に存在を認めない無神論よりはるかに不敬虔であると主張し、迷信深い者は恐怖ゆえに内心では神々を憎みつつも、不本意ながらも不信仰を恐れて隷従している状況を鋭く描き出す。
- §12-14
無神論を招く迷信の弊害と中庸としての敬虔
迷信が無神論を誘発する最大の原因であることを論じ、野蛮な人間犠牲や狂信的な儀式を挙げてその愚行を批判する。最後に、迷信を避けるあまりに中庸としての敬虔さを飛び越えて無神論に陥る極端を警告する。
