Humanitext Reader

ユスティニアヌス1世 · 学説彙纂 §50.16.42.pr

恥辱と不名誉の同一性と本性的醜悪さの区別

8856 / 9271 箇所 · ラテン語

要旨

ウルピアヌスは「恥辱」と「不名誉」が同義であることを示し、恥辱には本性的に醜悪なものと市民共同体の慣習によるものとの区別があることを、窃盗や後見訴訟での有罪判決を例に説明する。

[ULPIANUS libro quinquagensimo septimo ad edictum. ] §50.16.42.pr'Probrum' et obprobrium idem est.
[ウルピアヌス、告示注解第五十七巻] 「恥辱」と「不名誉」は同じことである。
probra quaedam natura turpia sunt, quaedam ciuiliter et quasi more ciuitatis.
ある種の恥辱は本性的に醜悪であり、あるものは市民法的に、またいわば市民共同体の慣習によって醜悪である。
ut puta furtum, adulterium natura turpe est: enimuero tutelae damnari hoc non natura probrum est, sed more ciuitatis: nec enim natura probrum est, quod potest etiam in hominem idoneum incidere.
例えば、手抜かりなく言えば、窃盗や姦通は本性的に醜悪である。 しかしながら、後見に関して有罪とされること、これは本性的に恥辱なのではなく、市民共同体の慣習によるものである。 というのも、適格な人物にさえ起こりうることは、本性的に恥辱ではないからである。

語釈・文法注

  1. §50.16.42.prtutelae damnari — tutelae は damnari(有罪宣告を受ける)を修飾する「罪名・訴因の属格」である。ここでは、後見人の義務違反に関する訴訟(actio tutelae)において有罪とされることを意味する。
  2. §50.16.42.prquod potest etiam in hominem idoneum incidere — 関係代名詞 quod は先行する事態(後見訴訟での有罪宣告)を指すか、あるいは節全体が nec enim... probrum est の主語となる名詞節を形成する。悪意がなくても過失等により誠実な(idoneum)人物にすら起こりうる(incidere in)事態であるため、本性的な醜悪さ(natura turpe)には当たらないという論理を示す。

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ユスティニアヌス1世, 学説彙纂 §50.16.42.pr. Humanitext Reader, https://reader.humanitext.ai/text/urn:cts:latinLit:phi2806.phi002.humanitext-lat1:50.16.42.pr

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訳文・注・要旨はAIによる草稿で、読者の指摘により改訂されています。