§8.47.1Εἰ μὲν διά τι τῶν ἐκτὸς λυπῇ, οὐκ ἐκεῖνό σοι ἐνοχλεῖ, ἀλλὰ τὸ σὸν περὶ αὐτοῦ κρῖμα, τοῦτο δὲ ἤδη ἐξαλεῖψαι ἐπὶ σοί ἐστιν.
もし君が何か外部のもののために苦しんでいるなら、君を悩ませているのはそれではなく、それに対する君自身の判断なのだ。 そして、これをただちに消し去ることは君の力の中にある。
εἰ δὲ λυπεῖ σέ τι τῶν ἐν τῇ σῇ διαθέσει, τίς ὁ κωλύων διορθῶσαι τὸ δόγμα;
しかし、もし君自身の心のあり方における何かが君を苦しめているなら、その判断を正すのを妨げる者が誰かあろうか。
ὁμοίως δὲ καὶ εἰ λυπῇ ὅτι οὐχὶ τόδε τι ἐνεργεῖς ὑγιές σοι φαινόμενον, τί οὐχὶ μᾶλλον ἐνεργεῖς ἢ λυπῇ;
同様にまた、もし君が、自分にとって健全であると思われるこれこれの活動を行っていないことに苦しんでいるなら、なぜ苦しむよりもむしろそれを行わないのか。
—ἀλλὰ ἰσχυρότερόν τι ἐνίσταται.
――「しかし、何かより強力なものが立ちふさがっているのだ。
—μὴ οὖν λυποῦ·
」――それなら苦しむな。
οὐ γὰρ παρὰ σὲ ἡ αἰτία τοῦ μὴ ἐνεργεῖσθαι.
行われないことの原因は君の側にあるのではないのだから。
—ἀλλὰ οὐκ ἄξιον ζῆν μὴ ἐνεργουμένου τούτου.
――「しかし、これが実行されないのであれば、生きている価値がない。
—ἄπιθι οὖν ἐκ τοῦ ζῆν εὐμενής, ᾗ καὶ ὁ ἐνεργῶν ἀποθνῄσκει, ἅμα ἵλεως τοῖς ἐνισταμένοις.
」――それなら、実際にそれを行っている者も死んでいくのと同じように、立ちはだかるものたちに対しても同時に寛大でありながら、好意を抱いて生から去るがよい。