§8.34.1Εἴ ποτε εἶδες χεῖρα ἀποκεκομμένην ἢ πόδα ἢ κεφαλὴν ἀποτετμημένην, χωρίς πού ποτε ἀπὸ τοῦ λοιποῦ σώματος κειμένην· τοιοῦτον ἑαυτὸν ποιεῖ, ὅσον ἐφ’ ἑαυτῷ, ὁ μὴ θέλων τὸ συμβαῖνον καὶ ἀποσχίζων ἑαυτὸν ἢ ὁ ἀκοινώνητόν τι πράσσων.
もしお前が、切り落とされた手、あるいは足、あるいは切り離された頭が、体の残りの部分から離れてどこか別の場所に横たわっているのをいつか見たことがあるなら、自分の身に起こる運命を受け入れず、自らを切り離す者、あるいは共同体に反する行動をする者は、自分に関する限り、自分自身をそのようなものにしているのだ。
ἀπέρριψαί πού ποτε ἀπὸ τῆς κατὰ φύσιν ἑνώσεως·
お前は自然な結合から自らをどこかへ投げ捨ててしまった。
ἐπεφύκεις γὰρ μέρος·
お前は元々部分として生まれていたのだ。
νῦν δὲ σεαυτὸν ἀπέκοψας.
だが、今や自らを切り離してしまった。
ἀλλ’ ὧδε κομψὸν ἐκεῖνο, ὅτι ἔξεστί σοι πάλιν ἑνῶσαι σεαυτόν.
しかし、ここにおいて次の素晴らしい点がある。 それは、お前が自分自身を再び結合させることが許されているということだ。
τοῦτο ἄλλῳ μέρει οὐδενὶ θεὸς ἐπέτρεψεν, χωρισθέντι καὶ διακοπέντι πάλιν συνελθεῖν, ἀλλὰ σκέψαι τὴν χρηστότητα ᾗ τετίμηκε τὸν ἄνθρωπον·
神は、他のいかなる部分に対しても、切り離され切断された後に再び合体することを許されなかった。 だが、神が人間を遇されたその慈悲深さを考えてみよ。
καὶ γὰρ ἵνα τὴν ἀρχὴν μὴ ἀπορραγῇ ἀπὸ τοῦ ὅλου ἐπ’ αὐτῷ ἐποίησε, καὶ ἀπορραγέντι πάλιν ἐπανελθεῖν καὶ συμφῦναι καὶ τὴν τοῦ μέρους τάξιν ἀπολαβεῖν ἐποίησεν.
というのも、そもそも全体から引き裂かれないようにすることは人間の力に委ねられたし、たとえ引き裂かれたとしても、再び戻り、合体して、部分としての地位を取り戻すことができるように神はなされたのだから。