§8.20.1Ἡ φύσις ἐστόχασται ἑκάστου οὐδέν τι ἔλασσον τῆς ἀπολήξεως ἢ τῆς ἀρχῆς τε καὶ διεξαγωγῆς, ὡς ὁ ἀναβάλλων τὴν σφαῖραν·
自然は、各々のものの始まりや経過に劣らず、その終わりをも目指している。 それはボールを上に投げる者のようである。
τί οὖν ἀγαθὸν τῷ σφαιρίῳ ἀναφερομένῳ ἢ κακὸν καταφερομένῳ ἢ καὶ πεπτωκότι;
では、上昇するボールにとって何の善があり、下降する、あるいはすでに落ちてしまったボールにとって何の悪があるだろうか。
τί δὲ ἀγαθὸν τῇ πομφόλυγι συνεστώσῃ ἢ κακὸν διαλυθείσῃ;
また、保たれている泡にとって何の善があり、消滅した泡にとって何の悪があるだろうか。
τὰ ὅμοια δὲ καὶ ἐπὶ λύχνου.
同様のことは、ともしびについても言える。