Humanitext Reader

マルクス・アウレリウス · 自省録 §7.41.1

神々に顧みられないことにもある道理

237 / 486 箇所 · ギリシア語

要旨

神々に自分と子供たちが顧みられなくても、そこには道理があるというエウリピデスからの引用を示す。

§7.41.1Εἰ δ’ ἠμελήθην ἐκ θεῶν καὶ παῖδ’ ἐμώ, ἔχει λόγον καὶ τοῦτο.
しかし、もし私と私の二人の子供たちが神々から顧みられなかったとしても、このことにもまた道理はある。

語釈・文法注

  1. §7.41.1ἠμελήθην... καὶ παῖδ’ ἐμώ — 動詞 ἠμελήθην は1人称単数受動態アオリストであるが、接続詞 καὶ を介して双数主格の παῖδ’ ἐμώ(私の二人の子供たち)が主語として追加されている。文法的には「私と私の二人の子供たちが顧みられなかった」という複数(または双数)の主語を構成するが、動詞は最初の主語「私」に人称・数を一致させている。
  2. §7.41.1ἔχει λόγον — 「ロゴス(理由、道理)を持つ」という慣用表現で、「道理にかなっている」または「合理的な説明がつく」という意味。ここでは、神々の配慮から外れたように見える不条理な出来事にも、宇宙の秩序や理性(ロゴス)に基づいた何らかの理由が存在することを示唆している。

この箇所を引用する

マルクス・アウレリウス, 自省録 §7.41.1. Humanitext Reader, https://reader.humanitext.ai/text/urn:cts:greekLit:tlg0562.tlg001.humanitext-grc2:7.41.1

AIによる草稿訳である旨と閲覧日を添えてください。

訳文・注・要旨はAIによる草稿で、読者の指摘により改訂されています。