§5.36.1Μὴ ὁλοσχερῶς τῇ φαντασίᾳ συναρπάζεσθαι, ἀλλὰ βοηθεῖν μὲν κατὰ δύναμιν καὶ κατ’ ἀξίαν, κἂν εἰς τὰ μέσα ἐλαττῶνται, μὴ μέντοι βλάβην αὐτὸ φαντάζεσθαι·
表象にまったく連れ去られてしまわないようにせよ。 むしろ、力に応じて、また受けるに値する程度に応じて助けなさい。 たとえ彼らが中間のものにおいて不利益を被っているとしても、しかしそれを害悪であると思い込んではならない。
κακὸν γὰρ ἔθος.
それは悪い習慣だからである。
ἀλλ’ ὡς ὁ γέρων ἀπελθὼν τὸν τοῦ θρεπτοῦ ῥόμβον ἀπῄτει, μεμνημένος ὅτι ῥόμβος, οὕτως οὖν καὶ ὧδε.
そうではなく、あの老人が去るにあたって、養い子の独楽を、それが独楽にすぎないことを承知の上で求めたように、ここでもそのようにしなさい。
ἐπεί τοι γίνῃ καλῶν ἐπὶ τῶν ἐμβόλων.
なぜなら、君は演壇の上で叫ぶ者となっているからだ。
ἄνθρωπε, ἐπελάθου τί ταῦτα ἦν;
「友よ、これらが何であったか忘れたのか?
—ναί·
」――「そうだ。
ἀλλὰ τούτοις περισπούδαστα.
だがこれらは人々にとって熱心に求められているものなのだ。
—διὰ τοῦτ’ οὖν καὶ σὺ μωρὸς γένῃ;
」――「だからといって、君まで愚か者になるというのか?
Ἐγενόμην ποτέ, ὁπουδήποτε καταληφθείς, εὔμοιρος ἄνθρωπος·
」私はかつて、どこで見出されようとも、幸運な人間であった。
τὸ δὲ εὔμοιρος, ἀγαθὴν μοῖραν σεαυτῷ ἀπονείμας·
だが「幸運な」とは、自分自身に良い分け前を分け与えたということである。
ἀγαθαὶ δὲ μοῖραι ἀγαθαὶ τροπαὶ ψυχῆς, ἀγαθαὶ ὁρμαί, ἀγαθαὶ πράξεις.
そして、良い分け前とは、魂の良い傾向、良い衝動、良い行いのことである。