§4.19.1Ὁ περὶ τὴν ὑστεροφημίαν ἐπτοημένος οὐ φαντάζεται ὅτι ἕκαστος τῶν μεμνημένων αὐτοῦ τάχιστα καὶ αὐτὸς ἀποθανεῖται·
死後の名声に心を奪われている者は、自分のことを記憶にとどめる者の各々もまた、自分自身きわめて速やかに死んでいくということを思い浮かべることがない。
εἶτα πάλιν ὁ ἐκεῖνον διαδεξάμενος, μέχρι καὶ πᾶσα ἡ μνήμη ἀποσβῇ διὰ ἁπτομένων καὶ σβεννυμένων προιοῦσα.
そしてさらにその人を継ぐ者も同様であり、ついには、燃え上がっては消えていく者たちを通じて進むすべての記憶が完全に消え去ってしまう。
ὑπόθου δ᾽, ὅτι καὶ ἀθάνατοι μὲν οἱ μεμνησόμενοι, ἀθάνατος δὲ ἡ μνήμη·
だが、仮にあなたを記憶する人々が不死であり、記憶もまた不死であると仮定してみよ。
τί οὖν τοῦτο πρὸς σέ;
それでは、これがあなたにとって何になるというのか。
καὶ οὐ λέγω, ὅτι οὐδὲν πρὸς τὸν τεθνηκότα, ἀλλὰ πρὸς τὸν ζῶντα τί ὁ ἔπαινος, πλὴν ἄρα δι’ οἰκονομίαν τινά;
死者にとって無であると言うのは当然のこととして、生きている者にとって、称賛が何になるというのか。 何か実用的な目的のためである場合は除いて。
πάρες γὰρ νῦν ἀκαίρως τὴν φυσικὴν δόσιν ἄλλου τινὸς ἐχομένην λόγου λοιπόν.
なぜなら、君は今、他人の将来の言葉に依存している自然の贈り物を、場違いにも放棄してしまっているからである。