§12.5.1Πῶς ποτε πάντα καλῶς καὶ φιλανθρώπως διατάξαντες οἱ θεοὶ τοῦτο μόνον παρεῖδον, τὸ ἐνίους τῶν ἀνθρώπων καὶ πάνυ χρηστοὺς καὶ πλεῖστα πρὸς τὸ θεῖον ὥσπερ συμβόλαια θεμένους καὶ ἐπὶ πλεῖστον δι’ ἔργων ὁσίων καὶ ἱερουργιῶν συνήθεις τῷ θείῳ γενομένους, ἐπειδὰν ἅπαξ ἀποθάνωσι, μηκέτι αὖθις γίνεσθαι, ἀλλ’ εἰς τὸ παντελὲς ἀπεσβηκέναι;
すべてを美しく、かつ人間愛に満ちて配置された神々が、どうしてこの一点だけを見過ごされたのだろうか。 すなわち、人間たちの中の極めて善良な人々であり、神なるものといわば最も多くの契約を結び、最も多くの清らかな行いや聖なる儀式を通じて神なるものと親しくなった者たちが、一度死んだならば、もはや二度と存在することなく、完全に消滅してしまうということを。
τοῦτο δὲ εἴπερ ἄρα καὶ οὕτως ἔχει, εὖ ἴσθι ὅτι, εἰ ὡς ἑτέρως ἔχειν ἔδει, ἐποίησαν ἄν·
しかし、もしこれが実際そのようになっているのだとしても、よく知るがよい、もし別様であるべきであったなら、神々はそうされたであろうということを。
εἰ γὰρ δίκαιον ἦν, ἦν ἃν καὶ δυνατόν, καὶ εἰ κατὰ φύσιν, ἤνεγκεν ἂν αὐτὸ ἡ φύσις.
なぜなら、もしそれが正しいことであったなら、可能でもあったはずであり、またもし自然にかなっていたなら、自然自らがそれをもたらしたはずだからである。
ἐκ δὴ τοῦ μὴ οὕτως ἔχειν, εἴπερ οὐχ οὕτως ἔχει, πιστούσθω σοι τὸ μὴ δεῆσαι οὕτως γίνεσθαι·
それゆえ、もし実際にそのようになっていないのだとしたら、そのようになる必要がなかったのだということを、まさにそのようになっていないという事実から確信するがよい。
ὁρᾷς γὰρ καὶ αὐτὸς ὅτι τοῦτο παραζητῶν δικαιολογῇ πρὸς τὸν θεόν·
というのも、お前自身も、このことを詮索することによって神と義を争っているのを見ているからである。
οὐκ ἂν δ’ οὕτως διελεγόμεθα τοῖς θεοῖς, εἰ μὴ ἄριστοι καὶ δικαιότατοί εἰσιν.
もし神々が最善かつ最も正しい存在でないとすれば、私たちはこのように神々と議論をすることはなかったであろう。
εἰ δὲ τοῦτο, οὐκ ἄν τι περιεῖδον ἀδίκως καὶ ἀλόγως ἠμελημένον τῶν ἐν τῇ διακοσμήσει.
そして、もし神々が最善かつ最も正しいのであれば、宇宙の秩序の中にあるもののうち何かが不当かつ不合理に看過され放置されるのを、神々が見過ごされるはずはなかったのである。