§12.28.1Πρὸς τοὺς ἐπιζητοῦντας· ποῦ γὰρ ἰδὼν τοὺς θεοὺς ἢ πόθεν κατειληφὼς ὅτι εἰσὶν οὕτως σέβεις;
「いったい神々をどこで見たから、あるいは彼らが存在することをどこから把握したから、そのように崇拝しているのか」と問いかける人々に対しては、第一に、彼らは目によっても見ることができる(可視的である)。
πρῶτον μὲν καὶ ὄψει ὁρατοί εἰσιν· ἔπειτα μέντοι οὐδὲ τὴν ψυχὴν τὴν ἐμαυτοῦ ἑώρακα καὶ ὅμως τιμῶ·
第二に、私は自分自身の魂さえ見たことはないが、それでもこれを重んじている。
οὕτως οὖν καὶ τοὺς θεούς, ἐξ ὧν τῆς δυνάμεως αὐτῶν ἑκάστοτε πειρῶμαι, ἐκ τούτων ὅτι τε εἰσὶ καταλαμβάνω καὶ αἰδοῦμαι.
それゆえ同様に神々についても、私が彼らの力をその都度経験している、まさにそのことによって、彼らが存在することを理解し、畏敬するのである。