§7.10C.1ἐγὼ δὲ οὐδεμιῇ σοφίῃ οἰκηίῃ αὐτὸς ταῦτα συμβάλλομαι, ἀλλʼ οἷον κοτὲ ἡμέας ὀλίγου ἐδέησε καταλαβεῖν πάθος, ὅτε πατὴρ σὸς ζεύξας Βόσπορον τὸν Θρηίκιον, γεφυρώσας δὲ ποταμὸν Ἴστρον διέβη ἐπὶ Σκύθας.
私自身は、自分自身のいかなる知恵によってこれらを推測しているわけではありません。 そうではなく、かつてあなたの父上が、トラキアのボスボロスに橋を架け、さらにイストロス川に架橋してスキタイ人に立ち向かって渡られたとき、私たちに今一歩で降りかかるところであったような、あの災難の記憶から推測しているのです。
τότε παντοῖοι ἐγένοντο Σκύθαι δεόμενοι Ἰώνων λῦσαι τὸν πόρον, τοῖσι ἐπετέτραπτο ἡ φυλακὴ τῶν γεφυρέων τοῦ Ἴστρου.
その時、スキタイ人たちは、イストロス川の橋の守備を委ねられていたイオニア人たちに対して、渡しを破壊するようにと、あらゆる手段を尽くして懇願しました。
§7.10C.2καὶ τότε γε Ἱστιαῖος ὁ Μιλήτου τύραννος εἰ ἐπέσπετο τῶν ἄλλων τυράννων τῇ γνώμῃ μηδὲ ἠναντιώθη, διέργαστο ἂν τὰ Περσέων πρήγματα.
そしてあの時、もしミレトスの僭主ヒスティアイオスが、他の僭主たちの意見に従って、それに対立しなかったならば、ペルシアの国家は完全に滅びていたことでしょう。
καίτοι καὶ λόγῳ ἀκοῦσαι δεινόν, ἐπʼ ἀνδρί γε ἑνὶ πάντα τὰ βασιλέος πρήγματα γεγενῆσθαι.
それにしても、ただ一人の人物に王のすべての運命が委ねられることになったというのは、言葉に聞いてさえ恐ろしいことです。