- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg004.humanitext-grc2:73
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
ソクラテスは、人間の生前に魂が存在したことの証明として想起説を提示し、まず想起の定義を明らかにするため、ある物の知覚が別の関連する物を思い起こさせる日常的な例を挙げる。
ΦΑΙΔ. τοῦτο δὲ ἀδύνατον, εἰ μὴ ἦν1 που ἡμῖν ἡ ψυχὴ πρὶν ἐν τῷδε τῷ ἀνθρωπίνῳ εἴδει γενέσθαι· ὥστε καὶ ταύτῃ ἀθάνατον ἡ ψυχή τι ἔοικεν εἶναι. ἀλλά, ὦ Κέβης, ἔφη ὁ Σιμμίας ὑπολαβών, ποῖαι τούτων αἱ ἀποδείξεις; ὑπόμνησόν με· οὐ γὰρ σφόδρα ἐν τῷ παρόντι μέμνημαι. ἑνὶ μὲν λόγῳ, ἔφη ὁ Κέβης, καλλίστῳ, ὅτι ἐρωτώμενοι οἱ ἄνθρωποι, ἐάν τις καλῶς ἐρωτᾷ, αὐτοὶ λέγουσιν πάντα ᾗ ἔχει — καίτοι εἰ μὴ ἐτύγχανεν αὐτοῖς ἐπιστήμη ἐνοῦσα καὶ ὀρθὸς λόγος, οὐκ ἂν οἷοί τ’ ἦσαν2 τοῦτο ποιῆσαι — ἔπειτα ἐάν τις ἐπὶ τὰ διαγράμματα ἄγῃ ἢ ἄλλο τι τῶν τοιούτων, ἐνταῦθα σαφέστατα κατηγορεῖ ὅτι τοῦτο οὕτως ἔχει. εἰ δὲ μὴ ταύτῃ γε, ἔφη, πείθῃ, ὦ Σιμμία, ὁ Σωκράτης, σκέψαι ἂν τῇδέ πῄ σοι σκοπουμένῳ συνδόξῃ. ἀπιστεῖς γὰρ δὴ πῶς ἡ καλουμένη μάθησις ἀνάμνησίς ἐστιν; ἀπιστῶ μέν ἔγωγε, ἦ δ’ ὃς ὁ Σιμμίας, οὔ, αὐτὸ δὲ τοῦτο, ἔφη, δέομαι παθεῖν περὶ οὗ ὁ λόγος, ἀναμνησθῆναι. καὶ σχεδόν γε ἐξ ὧν Κέβης ἐπεχείρησε λέγειν ἤδη μέμνημαι καὶ πείθομαι· οὐδὲν μεντἂν ἧττον ἀκούοιμι νῦν πῇ σὺ ἐπεχείρησας λέγειν. τῇδ’ ἔγωγε, ἦ δ’ ὅς. ὁμολογοῦμεν γὰρ δήπου, εἴ τίς τι ἀναμνησθήσεται, δεῖν αὐτὸν3 τοῦτο πρότερόν ποτε ἐπίστασθαι. πάνυ γ᾽, ἔφη. ἆρ’ οὖν καὶ τόδε ὁμολογοῦμεν, ὅταν ἐπιστήμη παραγίγνηται τρόπῳ τοιούτῳ, ἀνάμνησιν εἶναι; λέγω δὲ τίνα τρόπον; τόνδε. ἐάν τίς τι ἕτερον ἢ ἰδὼν ἢ ἀκούσας ἤ τινα ἄλλην αἴσθησιν λαβὼν μὴ μόνον ἐκεῖνο γνῷ, ἀλλὰ καὶ ἕτερον ἐννοήσῃ οὗ μὴ4 ἡ αὐτὴ ἐπιστήμη ἀλλ’ ἄλλη, ἆρα οὐχὶ τοῦτο δικαίως λέγομεν ὅτι ἀνεμνήσθη, οὗ τὴν ἔννοιαν ἔλαβεν; πῶς λέγεις; οἷον τὰ τοιάδε· ἄλλη που ἐπιστήμη ἀνθρώπου καὶ λύρας. πῶς γὰρ οὔ; οὐκοῦν οἶσθα ὅτι οἱ ἐρασταί, ὅταν ἴδωσιν λύραν ἢ ἱμάτιον ἢ ἄλλο τι οἷς τὰ παιδικὰ αὐτῶν εἴωθε χρῆσθαι, πάσχουσι τοῦτο· ἔγνωσάν τε τὴν λύραν καὶ ἐν τῇ διανοίᾳ ἔλαβον τὸ εἶδος τοῦ παιδὸς οὗ ἦν ἡ λύρα; τοῦτο δέ ἐστιν ἀνάμνησις· ὥσπερ γε καὶ Σιμμίαν τις ἰδὼν πολλάκις κέβητος ἀνεμνήσθη, καὶ ἄλλα που μυρία τοιαῦτ’ ἂν εἴη. μυρία μέντοι νὴ Δία, ἔφη ὁ Σιμμίας. οὐκοῦν, ἦ δ’ ὅς, τὸ τοιοῦτον ἀνάμνησίς τίς ἐστι; μάλιστα μέντοι ὅταν τις τοῦτο πάθῃ περὶ ἐκεῖνα ἃ ὑπὸ χρόνου καὶ τοῦ μὴ ἐπισκοπεῖν ἤδη ἐπελέληστο; πάνυ μὲν οὖν, ἔφη. τί δέ; ἦ δ’ ὅς· ἔστιν ἵππον γεγραμμένον ἰδόντα καὶ λύραν γεγραμμένην ἀνθρώπου ἀναμνησθῆναι, καὶ Σιμμίαν ἰδόντα γεγραμμένον κέβητος ἀναμνησθῆναι; πάνυ γε.
「『そしてこれは不可能なことなのだ、もし私たちがこの人間の姿に生まれる前に、私たちの魂がどこかに存在していなかったのであれば。したがってこの点からも、魂は何か不死のものであるように思われる。』」 するとシミアスが引き取って言った。「しかしケベスよ、それらの証明はどのようなものかね?私に思い出させておくれ。今のところ、あまりよく覚えていないのだ。」 「一つの、しかも最も優れた議論で言えば、」とケベスは言った。「人間は問いを向けられたとき、誰かが上手に問うならば、彼ら自身ですべてがどうなっているかを語るということだ。――とはいえ、もし彼らの中に知識と正しい理性がたまたま内在していなかったならば、彼らにはこのようなことはできなかっただろうが。――さらに、誰かが図形やそれに類する他のものへと彼らを導くならば、そこにおいて、これがそのようになっているということが最も明白に示されるのだ。」 「もし君がこのやり方では納得しないなら、シミアスよ」とソクラテスは言った。「このように考察してみれば、同意できるかどうか見てみるがよい。というのも、君は、いわゆる学習というものがどのようにして想起であるのかについて、いまだ疑っているのかね?」 「いや、疑っているわけではありません」とシミアスは言った。「そうではなく、まさにこの議論が問題にしている事柄そのものを私が被ること、すなわち思い出すことを私は必要としているのです。そして、ケベスが語ろうとしたことから、私はすでにほぼ思い出し、納得しています。けれども、あなたがどのように語ろうとされたのか、今はそれを是非とも聞いてみたいのです。」 「私はこのように語ろう」と彼は言った。「というのも、もし誰かがあることを思い出すとすれば、その者はそれを以前のいつかに知っていなければならない、という点には私たちは確かに合意するね。」 「全くその通りです」と彼は言った。 「では、知識が次のような仕方で生じるとき、それが想起であるということにも私たちは合意するだろうか。私が言う『どのような仕方』とは、次のようなものだ。もし、誰かがあるものを、見るか、聞くか、あるいは他の何らかの感覚を得ることによって、単にそのものを知るだけでなく、それとは別の、同じ知識に属さず他の知識に属するものを心に思い浮かべるとしたら、その時その者は、心に思い浮かべたその別のものを思い出したと、私たちは正しく言うのではないだろうか?」 「どういう意味ですか?」 「例えば次のようなことだ。人間についての知識と、竪琴についての知識とは、おそらく別々のものだね。」 「当然そうです。」 「それでは、愛する者たちが、自分たちの愛童がいつも使っている竪琴や上着、あるいは他の何かを見るとき、次のようなことを経験するのを君は知っているね。彼らはその竪琴を認識すると同時に、その竪琴の持ち主であった少年の姿を心の中に思い浮かべるのだ。そして、これこそが想起にほかならない。ちょうど、誰かがシミアスを見て、しばしばケベスを思い出すようなものであり、これに類することは他にも無数にあるだろう。」 「ゼウスにかけて、確かに無数にあります」とシミアスは言った。 「それなら、」と彼は言った、「このようなことが、一種の想起なのだろうか。それも特に、時の経過や注意を払わなかったことによって、すでに忘れてしまっていたような事柄について、誰かがこのような経験をするときにね。」 「全くその通りです」と彼は言った。 「では、これはどうだろう」と彼は言った。「描かれた馬や描かれた竪琴を見て、人間を思い出すことや、描かれたシミアスを見て、ケベスを思い出すことはあり得るだろうか?」 「全くその通りです。」
- 73aεἰ μὴ ἦν
直説法未完了過去を用いる反実仮想(過去・現在の事実に反する仮定)の条件節。帰結節の「ἀδύνατον [ἦν]」では、可能性や必要性を表す形容詞にしばしば見られるように、助辞「ἄν」が省略されている。「もし私たちの魂が以前に存在していなかったのであれば、[学習が想起であるということは]不可能であっただろう」という含意を表す。
- 73aεἰ μὴ ἐτύγχανεν ... οὐκ ἂν οἷοί τ’ ἦσαν
条件節に「εἰ」+直説法未完了過去「ἐτύγχανεν」、帰結節に直説法未完了過去+「ἄν」(οὐκ ἂν οἷοί τ’ ἦσαν)を用いた典型的な反実仮想文。「ἐνοῦσα」は「ἐτύγχανεν」の補足分詞であり、「もし彼らに知識と正しい理性が内在していなかったのであれば、彼らはこれをすることができなかっただろう」という事実(実際にはできる)と反対の仮定を表す。
- 73cδεῖν αὐτὸν
主動詞「ὁμολογοῦμεν」に導かれる対格不定詞構文(間接話法)。非人称動詞「δεῖ」が不定詞「δεῖν」になり、その意味上の主語が対格「αὐτόν」で表されている。後ろの「ἐπίστασθαι」は「δεῖν」に依存する不定詞である。
- 73cοὗ μὴ
関係代名詞「οὗ」(属格・中性・単数)は先行詞である「ἕτερον」を指す。この属格は名詞「ἐπιστήμη」にかかる客観的属格(「それについての知識」)として機能している。
