- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg004.humanitext-grc2:72
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
ソクラテスは、生と死が相互に生成し合わなければ万物が最終的に死に絶えてしまうという議論(円環的生成の必要性)を用いて、死者の魂が冥府に存在することを証明し、ケベスはこれを全面的に認める。続けてケベスは、ソクラテスの持論である想起説を導入し、魂の先在を支持する新たな議論を提起する。
ΦΑΙΔ. οὐκοῦν, ἦ δ’ ὅς, εἴπερ ἔστι τὸ ἀναβιώσκεσθαι, ἐκ τῶν τεθνεώτων ἂν εἴη γένεσις εἰς τοὺς ζῶντας αὕτη, τὸ ἀναβιώσκεσθαι; πάνυ γε. ὁμολογεῖται ἄρα ἡμῖν καὶ ταύτῃ τοὺς ζῶντας ἐκ τῶν τεθνεώτων γεγονέναι οὐδὲν ἧττον ἢ τοὺς τεθνεῶτας ἐκ τῶν ζώντων, τούτου δὲ ὄντος ἱκανόν που ἐδόκει τεκμήριον εἶναι1 ὅτι ἀναγκαῖον τὰς τῶν τεθνεώτων ψυχὰς εἶναί που, ὅθεν δὴ πάλιν γίγνεσθαι. δοκεῖ μοι, ἔφη, ὦ Σώκρατες, ἐκ τῶν ὡμολογημένων ἀναγκαῖον οὕτως ἔχειν. ἰδὲ τοίνυν οὕτως, ἔφη, ὦ Κέβης, ὅτι οὐδ’ ἀδίκως ὡμολογήκαμεν, ὡς ἐμοὶ δοκεῖ. εἰ γὰρ μὴ ἀεὶ ἀνταποδιδοίη τὰ ἕτερα τοῖς ἑτέροις γιγνόμενα, ὡσπερεὶ κύκλῳ περιιόντα, ἀλλ’ εὐθεῖά τις εἴη ἡ γένεσις ἐκ τοῦ ἑτέρου μόνον εἰς τὸ καταντικρὺ καὶ μὴ ἀνακάμπτοι πάλιν ἐπὶ τὸ ἕτερον μηδὲ καμπὴν ποιοῖτο, οἶσθ’ ὅτι πάντα τελευτῶντα τὸ αὐτὸ σχῆμα ἂν σχοίη2 καὶ τὸ αὐτὸ πάθος ἂν πάθοι καὶ παύσαιτο γιγνόμενα; πῶς λέγεις; ἔφη. οὐδὲν χαλεπόν, ἦ δ’ ὅς, ἐννοῆσαι ὃ λέγω· ἀλλ’ οἷον εἰ τὸ καταδαρθάνειν μὲν εἴη, τὸ δ’ ἀνεγείρεσθαι μὴ ἀνταποδιδοίη γιγνόμενον ἐκ τοῦ καθεύδοντος, οἶσθ’ ὅτι τελευτῶντα πάντ’ ἂν λῆρον τὸν Ἐνδυμίωνα ἀποδείξειεν καὶ οὐδαμοῦ ἂν φαίνοιτο διὰ τὸ καὶ τἆλλα πάντα ταὐτὸν ἐκείνῳ πεπονθέναι, καθεύδειν. κἂν εἰ συγκρίνοιτο μὲν πάντα, διακρίνοιτο δὲ μή, ταχὺ ἂν τὸ τοῦ Ἀναξαγόρου γεγονὸς εἴη, ὁμοῦ πάντα χρήματα. ὡσαύτως δέ, ὦ φίλε Κέβης, καὶ εἰ ἀποθνῄσκοι μὲν πάντα ὅσα τοῦ ζῆν μεταλάβοι, ἐπειδὴ δὲ ἀποθάνοι, μένοι ἐν τούτῳ τῷ σχήματι τὰ τεθνεῶτα καὶ μὴ πάλιν ἀναβιώσκοιτο, ἆρ’ οὐ πολλὴ ἀνάγκη τελευτῶντα πάντα τεθνάναι καὶ μηδὲν ζῆν; εἰ γὰρ ἐκ μὲν τῶν ἄλλων τὰ ζῶντα γίγνοιτο, τὰ δὲ ζῶντα θνῄσκοι, τίς μηχανὴ μὴ οὐχὶ πάντα καταναλωθῆναι3 εἰς τὸ τεθνάναι; οὐδὲ μία μοι δοκεῖ, ἔφη ὁ Κέβης, ὦ Σώκρατες, ἀλλά μοι δοκεῖς παντάπασιν ἀληθῆ λέγειν. ἔστιν γάρ, ἔφη, ὦ Κέβης, ὡς ἐμοὶ δοκεῖ, παντὸς μᾶλλον οὕτω, καὶ ἡμεῖς αὐτὰ ταῦτα οὐκ ἐξαπατώμενοι ὁμολογοῦμεν, ἀλλ’ ἔστι τῷ ὄντι καὶ τὸ ἀναβιώσκεσθαι καὶ ἐκ τῶν τεθνεώτων τοὺς ζῶντας γίγνεσθαι καὶ τὰς τῶν τεθνεώτων ψυχὰς εἶναι. καὶ μήν, ἔφη ὁ Κέβης ὑπολαβών, καὶ κατ’ ἐκεῖνόν γε τὸν λόγον, ὦ Σώκρατες, εἰ ἀληθής ἐστιν, ὃν σὺ εἴωθας θαμὰ λέγειν, ὅτι ἡμῖν ἡ μάθησις οὐκ ἄλλο τι ἢ ἀνάμνησις τυγχάνει οὖσα, καὶ κατὰ τοῦτον ἀνάγκη που ἡμᾶς ἐν προτέρῳ τινὶ χρόνῳ μεμαθηκέναι ἃ νῦν ἀναμιμνῃσκόμεθα.
「それなら、」と彼は言った、「もし生き返ることが本当にあるなら、この生き返るということは、死者から生者への生成にほかならないのではないかね?」 「全くその通りです。」 「それなら、生者は死者から生まれるのであり、死者が生者から生まれるのと些かも変わらないということは、この点からも私たちによって合意されたことになる。そしてこれが事実であるなら、死者の魂はどこかに存在し、そこから再び生まれてくるということが必然であるための、十分な証拠になると思われるのだが、どうだろう。」 「ソクラテスよ、」と彼は言った、「これまでの合意事項からして、そのようにあることが必然であると私にも思われます。」 「それなら、ケベスよ、私たちが不当に合意したのではないということを、次のように見てみるがよい。私の思うところではこうだ。もし、生じるものが常に一方から他方へと互いに対応して返されず、あたかも円環を描いてぐるぐる回るようにならずに、生成が一方からその真反対のものへと向かうだけの直線的なものであり、再び他方へと折り返さず、曲がり角も作らないとしたら、最終的にはすべてのものが同じ姿になり、同じ状態を被り、生成することをやめてしまうということを、君は知っているかね?」 「どういう意味ですか?」と彼は言った。 「私の言うことを理解するのは、何も難しいことではない」と彼は言った。「例えば、もし眠りに就くことはあるのに、それに対応して、眠っているものから目覚めることが生じないとしたら、最終的にはすべてのものがエンデュミオンを他愛のないお伽話にしてしまうだろうし、彼がどこにも現れなくなることを君は知っているだろう。他のすべてのものも、彼と同じ状態、すなわち眠り続けることを被ってしまうからだ。また、もしすべてのものが結合するだけで、分離することがないとしたら、たちまちアナクサゴラスの言う『万物はともにあった』という状態になってしまうだろう。 これと同様に、親愛なるケベスよ、もし生を分かち持っていたすべてのものが死に、そして死んでしまった後、それら死んだものがその姿のままに留まって、再び生き返ることがないとしたら、最終的にはすべてのものが死に絶え、生きているものは何もなくなってしまうという、大いなる必然性があるのではないかね? なぜなら、もし生きているものが他のものから生まれ、かつ、生きているものが死んでいくのだとしたら、すべてが死の中に消費し尽くされてしまわないための、いかなる手立てがあり得ようか?」 「ソクラテスよ、いかなる手立てもあり得ないと私には思われます」とケベスは言った。「それどころか、あなたは全面的に真実を言っておられるように思われます。」 「ケベスよ、」と彼は言った、「私の思うところでは、何よりもその通りなのだ。そして私たちは、自分自身を欺くことなく、まさにこれらのことを合意しているのだ。すなわち、生き返ることは真実に存在し、死者から生者が生まれるのであり、死者の魂は存在するのだということを。」 するとケベスが引き取って言った。「ソクラテスよ、あなたがよく口にされるあの議論、すなわち私たちにとって学習とは想起にほかならないという議論が真実であるとするなら、その議論に従ってもまた、私たちが今想起していることを、以前のどこかの時間において既に学んでいたということが、どうしても必然になりますね。」
- 72aτούτου δὲ ὄντος ἱκανόν που ἐδόκει τεκμήριον εἶναι
前半の τούτου δὲ ὄντος は独立属格(指示代名詞と分詞の属格)であり、「これがそうであるならば/この事実がある以上は」という前提条件を表す。続く ὅτι 節(ὅτι ἀναγκαῖον...)は、名詞 τεκμήριον(証拠)の内容を説明する同格節(名詞節)として機能している。
- 72aεἰ γὰρ μὴ ἀεὶ ἀνταποδιδοίη ... ἂν σχοίη
条件節に εἰ +希求法(ἀνταποδιδοίη, εἴη, ἀνακάμπτοι, ποιοῖτο)、帰結節に ἂν +希求法(ἂν σχοίη, ἂν πάθοι, παύσαιτο)を用いる、いわゆる潜在・仮定の条件文(希求法条件文)。現実には起こらない、あるいは仮定的な状況を提示して論理的帰結を導くために用いられている。
- 72dτίς μηχανὴ μὴ οὐχὶ πάντα καταναλωθῆναι
疑問文「どのような方法があろうか(いや、ない)」という実質的な否定の文脈において、妨げや回避の含みを持つ表現(τίς μηχανὴ)に導かれ、不定詞の前に二重否定 μὴ οὐχὶ が置かれている。「すべてが死に消費し尽くされないようにするためのいかなる手段があろうか」という、強い否定の帰結を表す。
