- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg004.humanitext-grc2:105
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
ソクラテスは、ある性質を常にもたらすものがその反対の性質を受け入れないというルールをまとめ、これを魂に適用する。魂は常に生をもたらすため、生の反対である死を決して受け入れず、したがって魂は不死であることが証明される。
ΦΑΙΔ. ὃ τοίνυν ἔλεγον ὁρίσασθαι,1 ποῖα οὐκ ἐναντία τινὶ ὄντα ὅμως οὐ δέχεται αὐτό, τὸ ἐναντίον — οἷον νῦν ἡ τριὰς τῷ ἀρτίῳ οὐκ οὖσα ἐναντία οὐδέν τι μᾶλλον αὐτὸ δέχεται, τὸ γὰρ ἐναντίον ἀεὶ αὐτῷ ἐπιφέρει, καὶ ἡ δυὰς τῷ περιττῷ καὶ τὸ πῦρ τῷ ψυχρῷ καὶ ἄλλα πάμπολλα — ἀλλ’ ὅρα δὴ εἰ οὕτως ὁρίζῃ, μὴ μόνον τὸ ἐναντίον τὸ ἐναντίον μὴ δέχεσθαι, ἀλλὰ καὶ ἐκεῖνο, ὃ ἂν ἐπιφέρῃ τι ἐναντίον ἐκείνῳ, ἐφ’ ὅτι ἂν αὐτὸ ἴῃ, αὐτὸ τὸ ἐπιφέρον τὴν τοῦ ἐπιφερομένου ἐναντιότητα2 μηδέποτε δέξασθαι. πάλιν δὲ ἀναμιμνῄσκου· οὐ γὰρ χεῖρον πολλάκις ἀκούειν. τὰ πέντε τὴν τοῦ ἀρτίου οὐ δέξεται, οὐδὲ τὰ δέκα τὴν τοῦ περιττοῦ, τὸ διπλάσιον. τοῦτο μὲν οὖν καὶ αὐτὸ ἄλλῳ ἐναντίον, ὅμως δὲ τὴν τοῦ περιττοῦ οὐ δέξεται· οὐδὲ δὴ τὸ ἡμιόλιον οὐδὲ τἆλλα τὰ τοιαῦτα, τὸ ἥμισυ, τὴν τοῦ ὅλου,3 καὶ τριτημόριον αὖ καὶ πάντα τὰ τοιαῦτα, εἴπερ ἕπῃ τε καὶ συνδοκεῖ σοι οὕτως. πάνυ σφόδρα καὶ συνδοκεῖ, ἔφη, καὶ ἕπομαι. πάλιν δή μοι, ἔφη, ἐξ ἀρχῆς λέγε. καὶ μή μοι ὃ ἂν ἐρωτῶ ἀποκρίνου, ἀλλὰ μιμούμενος ἐμέ. λέγω δὴ παρ’ ἣν τὸ πρῶτον ἔλεγον ἀπόκρισιν, τὴν ἀσφαλῆ ἐκείνην, ἐκ τῶν νῦν λεγομένων ἄλλην ὁρῶν ἀσφάλειαν. εἰ γὰρ ἔροιό με ᾧ ἂν τί4 ἐν τῷ σώματι ἐγγένηται θερμὸν ἔσται, οὐ τὴν ἀσφαλῆ σοι ἐρῶ ἀπόκρισιν ἐκείνην τὴν ἀμαθῆ, ὅτι ᾧ ἂν θερμότης, ἀλλὰ κομψοτέραν ἐκ τῶν νῦν, ὅτι ᾧ ἂν πῦρ· οὐδὲ ἂν ἔρῃ ᾧ ἂν σώματι τί ἐγγένηται νοσήσει, οὐκ ἐρῶ ὅτι ᾧ ἂν νόσος, ἀλλ’ ᾧ ἂν πυρετός· οὐδ’ ᾧ ἂν ἀριθμῷ τί ἐγγένηται περιττὸς ἔσται, οὐκ ἐρῶ ᾧ ἂν περιττότης, ἀλλ’ ᾧ ἂν μονάς, καὶ τἆλλα οὕτως. ἀλλ’ ὅρα εἰ ἤδη ἱκανῶς οἶσθ’ ὅτι βούλομαι. ἀλλὰ πάνυ ἱκανῶς, ἔφη. ἀποκρίνου δή, ἦ δ’ ὅς, ᾧ ἂν τί ἐγγένηται σώματι ζῶν ἔσται; ὧι ἂν ψυχή, ἔφη. οὐκοῦν ἀεὶ τοῦτο οὕτως ἔχει; πῶς γὰρ οὐχί; ἦ δ’ ὅς. ψυχὴ ἄρα ὅτι ἂν αὐτὴ κατάσχῃ, ἀεὶ ἥκει ἐπ’ ἐκεῖνο φέρουσα ζωήν; ἥκει μέντοι, ἔφη. πότερον δ’ ἔστι τι ζωῇ ἐναντίον ἢ οὐδέν; ἔστιν, ἔφη. τί; θάνατος. οὐκοῦν ψυχὴ τὸ ἐναντίον ᾧ αὐτὴ ἐπιφέρει ἀεὶ οὐ μή ποτε δέξηται, ὡς ἐκ τῶν πρόσθεν ὡμολόγηται; καὶ μάλα σφόδρα, ἔφη ὁ Κέβης. τί οὖν; τὸ μὴ δεχόμενον τὴν τοῦ ἀρτίου ἰδέαν τί νυνδὴ ὠνομάζομεν; ἀνάρτιον, ἔφη. τὸ δὲ δίκαιον μὴ δεχόμενον καὶ ὃ ἂν μουσικὸν μὴ δέχηται; ἄμουσον, ἔφη, τὸ δὲ ἄδικον. εἶεν· ὃ δ’ ἂν θάνατον μὴ δέχηται τί καλοῦμεν; ἀθάνατον, ἔφη. οὐκοῦν ψυχὴ οὐ δέχεται θάνατον; οὔ. ἀθάνατον ἄρα ψυχή. ἀθάνατον. εἶεν, ἔφη· τοῦτο μὲν δὴ ἀποδεδεῖχθαι φῶμεν; ἢ πῶς δοκεῖ; καὶ μάλα γε ἱκανῶς, ὦ Σώκρατες.
「そこで、私が定義しようと言っていたこと、すなわち、あるものに対して反対ではないのに、それにもかかわらずその反対のものを受け入れないのはどのようなものかということ――例えば、今見たように、三は偶数に対して反対ではないけれど、だからといって少しもそれを受け入れることはなく、なぜなら三は常にそれに対する反対のものを[自分自身が占有するものに]もたらすからであり、また二が奇数に対して、そして火が冷たさに対しても同様であり、その他にも非常に多くのものがあるが――、ともかく、君がこのように定義するかどうか、よく考えてみてほしい。すなわち、反対のものが反対のものを受け入れないだけでなく、それ自身が赴く先が何であれ、そこに何か反対のものをもたらすあのものもまた、もたらす側であるそれ自身が、もたらされるものの反対の性質を決して受け入れることはない、と。しかし、もう一度思い出してほしい。何度も聞くことは少しも悪いことではないからね。五は偶数の形相を受け入れないだろうし、十(すなわち二倍)も奇数の形相を受け入れないだろう。この十は、それ自体がまた別のものに対して反対のものであるが、それにもかかわらず奇数の形相を受け入れないだろう。また、一と半分(一・五倍)や、その他そのようなもの、すなわち半分(二分の一)も、全体の形相を受け入れないだろう。さらに三分の一やその他そのようなすべてのものも同様だ。もし君がついてきてくれて、このように同意してくれるならね。」「まったくその通り同意しますし、ついていきます」と彼は言した。「それでは、もう一度最初から私に答えてくれ」とソクラテスは言いました。「そして、私が尋ねることにただ答えるのではなく、私を真似て答えるのだ。私がこのように言うのは、最初に述べていたあの安全な答えのほかに、いま語られたことから別の安全な答えが見えているからだ。というのも、もし君が、体に何が生じればそれは熱くなるかと尋ねるなら、私は君に対して、あの安全ではあるが無知な答え、すなわち『熱が生じるもの』とは答えず、今語られたことに基づく、より洗練された答え、すなわち『火が生じるもの』と答えるだろうからだ。また、体に何が生じれば病気になるかと尋ねられても、『病気が生じるもの』とは答えず、『熱が生じるもの』と答えるだろう。また、数に何が生じれば奇数になるかと尋ねられても、『奇数性が生じるもの』とは答えず、『一(単位)が生じるもの』と答えるだろう。他もすべて同様だ。そこで、私が望んでいることを君がすでに十分に理解したかどうか、見てほしい。」「はい、十分に理解しました」と彼は言いました。「それでは答えてくれ」とソクラテスは言いました。「体に何が生じれば、それは生きているものになるかね。」「魂が生じるものです」と彼は言いました。「それでは、これは常にそのようになるかね。」「どうしてそうならないことがありましょう」と彼は言いました。「それなら、魂が占有するものは何であれ、魂は常にそこに命をもたらしてやって来るのだね。」「確かにやって来ます」と彼は言いました。「では、生に対して何か反対のものがあるかね、それとも何もないかね。」「あります」と彼は言いました。「それは何か。」「死です。」「それなら、魂は、自分が常にもたらすものに対する反対のものを、決して受け入れることはないのだね。先ほど合意されたことに従えば。」「まったくその通りです」とケベスは言いました。「それでは、偶数の形相を受け入れないものを、私たちは先ほど何と呼んだかね。」「非・偶数です」と彼は言いました。「では、正義を受け入れないものや、文芸を受け入れないものは何と呼ぶかね。」「文芸なきもの、そして不正なものです」と彼は言いました。「よろしい。では、死を受け入れないものは何と呼ぶかね。」「不死なるものです」と彼は言いました。「それでは、魂は死を受け入れないのだね。」「受け入れません。」「したがって、魂は不死なるものだね。」「不死なるものです。」「よろしい」とソクラテスは言いました。「このことは、いまや証明されたと主張してよいかね。それとも、どう思うかね。」「ええ、十分に証明されました、ソクラテスよ」と彼は言いました。
- 105ὃ τοίνυν ἔλεγον ὁρίσασθαι
関係代名詞 ὃ(および不定詞 ὁρίσασθαι「定義すること」)は、文頭に提示された提示的対格(関係節全体の先取り的トピック提示)として機能している。主動詞となるべき文脈は、長い挿入句の末に ἀλλ’ ὅρα δὴ εἰ οὕτως ὁρίζῃ(「しかし、君がこのように定義するかどうかよく見てほしい」)へと合流し、そこで文構造が再編されている。
- 105aτὴν τοῦ ἐπιφερομένου ἐναντιότητα
「もたらされるものの反対(の性質)」という意味。中性現在分詞属格 τὸ ἐπιφερόμενον は、あるもの(三など)が赴く先にもたらす性質(奇数など)を指す。したがって、その「反対(の性質)」(ἐναντιότης)とは、もたらされる奇数の反対である「偶数の性質」を指し、もたらす側(三)はそれを受け入れない、という議論の骨格を示している。
- 105bτὸ ἡμιόλιον ... τὴν τοῦ ὅλου
τὴν の後には ἰδέαν(形相)が省略されている。したがって「一と半分(一・五倍)も、全体の形相を受け入れないだろう」と訳される。分数・比率の概念(ἡμιόλιον 1.5倍、ἥμισυ 0.5倍、τριτημόριον 1/3)が、「整数・全体」(ὅλον)という形相と相容れないことを述べている。
- 105bᾧ ἂν τί
関係代名詞与格 ᾧ(+ ἄν + 接続法 ἐγγένηται「〜に何かが生じるならば、その何かに」)の中に、疑問代名詞主格 τί(「何が」)が埋め込まれた二重代名詞的構成。「それ(体)の中に何が生じれば、それが熱くなるか」という二重の問いの関係節化である。
