- 底本
- Diogenes Laertius. Hicks, R. D., editor. Cambridge, MA.: Harvard University Press; London: William Heinemann Ltd., 1925.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0004.tlg001.humanitext-grc2:7.4.166-7.4.167
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-09-28
眼病の激痛から快楽説へと転向したヘラクレイアのディオニュシオスの生涯、放蕩生活、著作目録が記され、最後にゼーノーンの正統な後継者クレアンテースへの言及で結ばれる。
Διονύσιος δʼ ὁ Μεταθέμενος τέλος εἶπε τὴν ἡδονὴν διὰ περίστασιν ὀφθαλμίας· ἀλγήσας γὰρ ἐπιπόνως ὤκνησεν εἰπεῖν1 τὸν πόνον ἀδιάφορον. Ἦν δὲ παῖς μὲν Θεοφάντου, πόλεως δʼ Ἡρακλείας. ἤκουσε δέ, καθά φησι Διοκλῆς, πρῶτον μὲν Ἡρακλείδου τοῦ πολίτου, ἔπειτʼ Ἀλεξίνου καὶ Μενεδήμου, τελευταῖον δὲ Ζήνωνος.
「転向者」ディオニュシオスは、眼病という災難のために快楽こそが究極目的であると主張した。激しい痛みを経験した結果、苦痛が無差別なものであると言うことを躊躇したのである。 彼はテオファントスの子で、ヘラクレイア市の出身であった。ディオクレースが言うところによれば、彼はまず同郷のヘラクレイデースに学び、次いでアレクシノスとメネデーモスに、最後にゼーノーンに学んだ。
Καὶ κατʼ ἀρχὰς μὲν φιλογράμματος ὢν παντοδαποῖς ἐπεχείρει ποιήμασιν, ἔπειτα δὲ καὶ Ἄρατον ἀπεδέχετο, ζηλῶν αὐτόν. ἀποστὰς δὲ τοῦ Ζήνωνος πρὸς τοὺς Κυρηναϊκοὺς ἀπετράπη καὶ εἴς τε τὰ χαμαιτυπεῖα εἰσῄει καὶ τἄλλʼ ἀπαρακαλύπτως ἡδυπάθει. βιοὺς δὲ πρὸς τὰ ὀγδοήκοντʼ ἀσιτίᾳ κατέστρεψε2. Βιβλία δʼ αὐτοῦ φέρεται τάδε· Περὶ ἀπαθείας β′. Περὶ ἀσκήσεως β′. Περὶ ἡδονῆς δ′. Περὶ πλούτου καὶ χάριτος καὶ τιμωρίας. Περὶ ἀνθρώπων χρήσεως. Περὶ εὐτυχίας. Περὶ ἀρχαίων βασιλέων. Περὶ τῶν ἐπαινουμένων. Περὶ βαρβαρικῶν ἐθῶν. Καὶ οὗτοι μὲν οἱ διενεχθέντες. διεδέξατο δὲ τὸν Ζήνωνα Κλεάνθης, περὶ οὗ λεκτέον.
初めのうちは学芸を好んで様々な詩作を試みており、その後にはアラートスをも受け入れ、彼を見習っていた。しかしゼーノーンから離反してキュレーネー派へと転向し、売春宿へと通い、その他あらゆる放蕩を臆面もなく楽しんだ。そして八十歳近くまで生きて、絶食によって生涯を閉じた。 彼の書物としては以下のものが伝えられている。 『情念なきことについて』二巻『修練について』二巻『快楽について』四巻『富と恩恵と処罰について』『人々の交わりについて』『幸運について』『古代の王たちについて』『賞賛される者たちについて』『蛮族の風習について』以上が異説を唱えた者たちである。そしてゼーノーンの後を継いだのはクレアンテースであり、彼について語らねばならない。
- 7.4.166ὤκνησεν εἰπεῖν
動詞 ὀκνέω(躊躇する、ためらう、嫌がる)に不定詞 εἰπεῖν が後続する構文。ここでは単なる心理的な迷いにとどまらず、「自らの激しい痛みの体験に直面して、苦痛が無差別(ἀδιάφορον)であると強弁することを潔しとしなかった/耐えられなくなった」という決断・態度の変化を表す。
- 7.4.167ἀσιτίᾳ κατέστρεψε
καταστρέφω は目的語 τὸν βίον を補って「生涯を閉じた」と解すか、自動詞的に用いられて「死んだ」を意味する。ἀσιτίᾳ は手段・原因の与格で、「飲食を断つことによって、絶食によって」を表す。
