- 底本
- Diogenes Laertius. Hicks, R. D., editor. Cambridge, MA.: Harvard University Press; London: William Heinemann Ltd., 1925.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0004.tlg001.humanitext-grc2:6.4.84
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-09-27
ディオゲネスの弟子オネシクリトスの出身地と著作がクセノポンと対比され、さらにメナンドロス、ヘゲシアス、ピリスコスら他の弟子たちが列挙される。
Ὀνησίκριτος· τοῦτον οἱ μὲν Αἰγινήτην, Δημήτριος δʼ ὁ Μάγνης Ἀστυπαλαιᾶ φησιν εἶναι. καὶ οὗτος τῶν ἐλλογίμων Διογένους μαθητῶν. ἔοικε δέ τι ὅμοιον πεπονθέναι πρὸς Ξενοφῶντα. ἐκεῖνος μὲν γὰρ Κύρῳ συνεστράτευσεν, οὗτος δὲ Ἀλεξάνδρῳ· κἀκεῖνος μὲν Παιδείαν Κύρου, ὁ δὲ πῶς Ἀλέξανδρος ἤχθη1 γέγραφε· καὶ ὁ μὲν ἐγκώμιον Κύρου, ὁ δὲ Ἀλεξάνδρου πεποίηκε. καὶ τῇ ἑρμηνείᾳ δὲ παραπλήσιος, πλὴν ὅτι ὡς ἀπόγραφος ἐξ ἀρχετύπου δευτερεύει2. Γέγονε καὶ Μένανδρος Διογένους μαθητής, ὁ ἐπικαλούμενος Δρυμός, θαυμαστὴς Ὁμήρου, καὶ Ἡγησίας Σινωπεὺς ὁ Κλοιὸς ἐπίκλην, καὶ Φιλίσκος ὁ Αἰγινήτης, ὡς προειρήκαμεν.
オネシクリトス。彼をある人々はアイギナ人とし、マグネシアのデメトリオスはアステュパライア人であると言う。彼もまたディオゲネスの高名な弟子の一人であった。彼はクセノポンと何かしら似たような境遇にあったようである。というのも、かの男がキュロスとともに従軍したのに対し、この男はアレクサンドロスとともに従軍したからである。また、かの男が『キュロスの教育』を書いたのに対し、この男は『アレクサンドロスはいかに育てられたか』を著し、かの男がキュロスの賛辞をなしたのに対し、この男はアレクサンドロスの賛辞をなした。文体においても似通っているが、原本に対する写しのように一段劣るという点を除いてのことである。 また「森」と呼ばれるホメロス賛美者のメナンドロス、ならびに「首輪」とあだ名されるシノペのヘゲシアス、そして前に述べたようにアイギナのピリスコスも、ディオゲネスの弟子となった。
- 6.4.84πῶς Ἀλέξανδρος ἤχθη
動詞 ἄγω のアオリスト受動態 ἤχθη はここでは「導かれた、連れて行かれた」という通常の移動の意味ではなく、児童・青少年の「養育された、教育された」(παιδαγωγεῖν に類する用法)を意味する。直前の対比句にある『キュロスの教育(Παιδεία Κύρου)』の内容に対応する書名である。
- 6.4.84ὡς ἀπόγραφος ἐξ ἀρχετύπου δευτερεύει
δευτερεύει(第2位にある、劣る)に ὡς(〜のように)と前置詞句 ἐξ ἀρχετύπου(原本に由来して/原本に比して)が組み合わさった比喩表現。「原本から作られた写本が(原本よりも質的に)劣るように」という関係を表しており、オネシクリトスの著作がクセノポンの模倣であり一段劣ることを評価している。
