底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg025.perseus-grc2
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
AI校閲 2026-09-22:検出 Gemini 3.8 Flash/判定 Gemini 3.8 Flash・GPT-6 Astra — 日本語訳 3 件を修正
AI校閲 2026-10-12:検出 Gemini 3.8 Flash/判定 Claude Opus 5.5 — 日本語訳の修正なし
AI校閲 2026-10-18:検出 Gemini 4 Argon/判定 Claude Opus 5.5 — 日本語訳の修正なし
反映した修正(日本語訳と原文):表記の統一 6 件・AI校閲 3 件
最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、プラトンの対話篇の一つであり、「美」の本質を定義することをテーマにしています。アテナイを訪れた高名なソフィストであるヒッピアスとソクラテスが、皮肉とユーモアを交えながら対話を繰り広げます。ソクラテスは「美そのものとは何か」を問いかけますが、ヒッピアスは「美しい乙女」や「金」など、具体的かつ相対的な例を挙げてはソクラテスの反論に窮します。議論が抽象的な次元へと移り、「適合するもの」「有用なもの」「視覚と聴覚の快」といった定義が検討されるものの、ことごとく論理的な自己矛盾やパラドックスに陥ります。最終的に、二人は明確な答えに到達できず、ソクラテスが「美しいものは難しい」という諺を噛み締めながら対話を終える、いわゆる「アポリア」で結ばれます。
目次
20 チャンク
引用方式:section
- §281-282
ヒッピアスの使節活動と智者の莫大な収入
アテナイを訪れたソフィストのヒッピアスがソクラテスと再会し、自らの使節としての実績や知識の進歩、さらに現代のソフィストたちの並外れた高額所得について語り、古の賢者たちの態度と比較する。
- §283
スパルタで稼げない理由についての問い
ソクラテスは、知恵の基準を金を稼ぐ能力とするヒッピアスの見解に皮肉交じりに同意しつつ、なぜヒッピアスが最も頻繁に訪れているスパルタ(ラケダイモン)で全く金を稼げなかったのかを問い詰める。
- §284-285
スパルタの法律の矛盾と古代史への関心
ソクラテスとヒッピアスは、ラケダイモンにおいて法律が教育の妨げになっている矛盾を突き、彼らの言う「有益なことこそが真に合法的である」という定義から、ラケダイモンが不法を行っていることを論証する。その後、ラケダイモン人がヒッピアスの知恵のなかで唯一好むのが、難解な科学ではなく古代の神話や歴史話(古代史)であることを明らかにする。
- §286-287
美そのものの問いと美しい乙女という答え
ソクラテスはヒッピアスの並外れた記憶力を称賛し、かつてある人物から「美とは何か」と問われて答えに窮した経験を明かし、美そのものの定義をヒッピアスに請う。ヒッピアスはこれに同意し、最初の回答として「美しい乙女こそが美しい」と答える。
- §288
牝馬や竪琴や土鍋の美についての反論
ソクラテスはヒッピアスの「美しい乙女」という回答を自身の空想上の質問者にぶつけるシミュレーションを始め、質問者が牝馬、竪琴、そしてスープ鍋といった他の個別的なものも「美しい」と言えるのではないかと追及してくる様子を描写する。
- §289-290
美の相対性と金をめぐる反論とふさわしさ
ソクラテスは、ヒッピアスが提示した乙女、牝馬、スープ鍋が、上位の存在と対比されると醜いものになるという議論を投げかけ、美が相対的なものであることを指摘する。さらに、ヒッピアスが絶対的な美として「金」を提案すると、ソクラテスはペイディアスのアテナ像を例に挙げ、「美とはそれぞれにふさわしいもの(適度)である」という概念へ議論を導く。
- §291
イチジクの木杓子と幸福な生涯という美の定義
ソクラテスは、金のしゃもじよりもイチジクの木で作ったしゃもじの方がスープ鍋にふさわしく美しいことを論じ、ヒッピアスに認めさせる。その後、ヒッピアスは誰にとっても常に美しいものとして、富と健康に恵まれて長寿を全うし、両親を葬り、自らも子孫に葬られることという定義を提示する。
- §292
美の定義の不備による質問者の折檻の警告
ヒッピアスは、対話相手の男が自分たちの答えを理解せずあざ笑うなら、自らが笑いものになるだけだと主張する。しかしソクラテスは、美そのものの定義を求めている相手に対して具体的・個別的な例を答えたために、「的外れな長歌(ディテュランボス)を歌った」と罵られ、正当に殴られかねないと警告する。
- §293
神々と英雄への反論とふさわしいものとしての美
ソクラテスは、不死である神々やアキレウスなどの英雄の例を引くことで、ヒッピアスの「先祖を葬り子に葬られること」という定義が普遍的な「美」たり得ないことを暴き、対話者は新たに「適合するもの」が美の本性ではないかと提案する。
- §294
美の定義としての適合するものの吟味と破綻
ソクラテスとヒッピアスは、「適合するもの」が実際よりも美しく見せるものなのか、それとも実際に美しくあらせるものなのかを議論する。最終的に、適合するものを美とみなす定義はどちらの解釈をとっても矛盾が生じ、定義として成り立たないことに合意する。
- §295
美を有用なものとする定義の提案と検討
美の探求を諦めないソクラテスは、ヒッピアスの自信に満ちた言葉を受け止めつつ、新しい定義として「有用なものが美である」という説を提案し、様々な具体例からその適合性を吟味する。
- §296
美を有用なものから有益なものへと修正する議論
能力や有用性を単に美と定義すると、悪事を行う能力をも美と認めざるを得なくなる矛盾が生じるため、ソクラテスとヒッピアスは美を「善をもたらすのに有用なもの」、すなわち「有益なもの(ὠφέλιμον)」へと定義を改める。
- §297
美を善の原因とする定義の検討と破綻
ソクラテスとヒッピアスは「美は善の原因である」という定義を検討するが、原因と結果は別物であるという前提から、美は善ではなく、善も美ではないという不合理な結論に至り、この定義を断念する。
- §298
美を視覚と聴覚による快とする定義の提案
ソクラテスは「美とは聴覚と視覚を通じて得られる快である」という新しい定義を提案し、ヒッピアスもこれに賛同する。しかし、この定義が法律や習俗といった抽象的な美、および他の感覚による快楽とどう関わるかについて、ソクラテスは早くも新たな問題を見出し始める。
- §299
視覚と聴覚の快に共通する美の原因の吟味
ソクラテスとヒッピアスは、視覚と聴覚の快楽のみを美とする定義に対する敵対者の予想される反論を検討する。相手は、他の快楽を美から排除する世間的な理由(恥の意識など)を退け、二つの快楽に共通し、かつ快楽一般とは異なる「美」の原因となる特有の性質を問い詰める。
- §300
全体と個々の属性に関する論理的対立
ソクラテスとヒッピアスは、美が視覚と聴覚の快楽に共通する性質に起因するはずだと議論するが、個々にはない属性が全体に備わるかという論理的パラドックスについて対立する。
- §301
全体と個の混同に対する数の例による反論
ヒッピアスは、個々の属性は必ず全体(両方)にも当てはまると主張してソクラテスの議論の仕方を非難するが、ソクラテスはヒッピアスの論理を逆手に取り、自分たちが「二人(二)」であるなら「それぞれも二人」になるのかと皮肉を込めて問い詰める。
- §302
偶数と奇数の例による反証と快楽の美
ソクラテスはヒッピアスの「両方にある性質はそれぞれにもある」という主張に対し、奇数と偶数の例を挙げて反証し、視覚と聴覚の快楽の美しさを再び検討する。
- §303
快楽の定義の破綻と有益な快楽としての美
ソクラテスとヒッピアスは、美が「個々に備われば全体にも備わり、全体に備われば個々にも備わる」性質のグループに属することに同意する。その結果、全体にしか備わらない「視覚と聴覚の快楽」は美であり得ないことになり、美の定義を「有益な快楽」へと修正する。
- §304
対話の行き詰まりと美しいものは難しいという諺
ソクラテスは「有益な快楽」という定義も前の矛盾に逆戻りすることを指摘し、ヒッピアスは細かな議論を嫌って実用的な弁論の重要性を唱える。ソクラテスは自身の無知を暴く「同居の男」を引き合いに出し、最後に「美しいものは難しい」という諺の意味を理解したと述べて対話を終える。
