底本
Platonis Opera, Tomus III: Tetralogia V-VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1903.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
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要旨
本書は、哲学者ソクラテスが少年たちとの対話を通じて、「友愛(フィリア)」の本質とは何かを追究するプラトンの対話篇である。舞台はアテナイの新設された体育館で、ソクラテスは美しく徳高い少年リュシスやその友人メネクセノスらと出会い、議論を交わす。冒頭では、両親の愛と自由の関係が知識の有無から紐解かれ、続いて「友(フィロス)」と呼ばれるべき者の定義が探求される。対話の中では、似たもの同士の友情、反対のもの同士の結びつき、あるいは悪から逃れるために善を求めるという仮説、そして愛着の根源である「第一の友」などの概念が次々と検討される。しかし、自分に「ふさわしいもの(オイケイオン)」を欲することが友愛であるという説も行き詰まりを見せ、最終的には定義を明確にできないまま、家庭教師たちの乱入によって議論はアポリア(行き詰まり)のうちに打ち切られる。
目次
15 チャンク
引用方式:section
- §203-204
体育館への招待とヒッポタレスの恋心
ソクラテスがアカデメイアからリュケイオンへ移動中、若者たちのグループと遭遇し、新設された体育館に招かれる。そこでソクラテスは、ヒッポタレスが少年リュシスに対して激しい恋心を抱いていることを見抜く。
- §205-206
愛児への賛美詩の害と体育場への入場
ソクラテスは、ヒッポタレスの詩作がリュシスを増長させ、結果的に彼を射止めるのを困難にすると指摘する。そして、対話を試みるためにクテシッポスとともに体育場へと入っていく。
- §207-208
リュシスとの対話の開始と自由への制限
ソクラテスは、美しく徳高い少年リュシスと会話を始める。友メネクセノスが席を外した後、ソクラテスは、両親から愛されているはずのリュシスが、実生活では奴隷や教師たちに厳しく管理され、自由に行動することを制限されている矛盾を対話によって引き出していく。
- §209
知識の有無による自由の制限と委託
ソクラテスはリュシスに対し、彼が両親に特定の行動を制限されるのは年齢ではなく、知識と能力の欠如が理由であることを、読み書きや竪琴演奏の例を通じて説明する。そして、優れた知識と智慧があれば、両親だけでなく隣人、国家、さらにはペルシア王までもが管理を委ねるようになると説く。
- §210
知恵による信頼の獲得と愛する者をへりくだらせる対話
ソクラテスは、人間が分別(知恵)を持つ分野においては誰もがその人を信頼し自由を認めるが、そうでない分野では親であっても彼を阻み、他人に従うことになると論じる。そして、知識を持たない者が誇り高くなることはできず、愛する者を教育するにはへりくだらせることが必要であると示す。
- §211
メネクセノスの復帰と友人への憧憬を語るソクラテス
メネクセノスが戻ってきたのを機に、リュシスは彼を交えた対話を望み、ソクラテスはメネクセノスに対して自分がいかに「友」を熱望しているかを語り始める。
- §212-213
愛する者と愛される者のいずれが友であるかの検討
ソクラテスとメネクセノスは、能動的に愛する者と受動的に愛される者のどちらが「友」と呼ばれるべきかを議論するが、双方の定義において自己矛盾に陥る。この議論を熱心に聞いていたリュシスが思わず口を挟み、ソクラテスは対話の相手をリュシスに戻す。
- §214
似た者同士が友であるという説の検討
ソクラテスは、詩人や自然哲学者たちの「似たものは似たものの友である」という説を検討し、悪人は自己矛盾しているため善人同士のみが友になり得ると結論づけるが、さらに似たもの同士が互いに提供できる便益があるのかという疑問を提示する。
- §215
善人の自足性と反対のもの同士の友情
ソクラテスは、善人は自足的であるため互いを必要とせず、したがって「似たもの」としての友情は成立しないのではないかと論じる。さらに、むしろ「反対のもの同士」が互いの欠落を埋めるために引き寄せられ、友になるという旧説を提示する。
- §216
反対のものの友情の反駁と善でも悪でもないもの
ソクラテスは、反対のものが友であるという説を、論敵が示す反例(敵意と友情、正義と不正など)によって反駁し、新たな仮説として「善でも悪でもないものが善の友である」という説を提示する。
- §217
悪の臨在により中性のものが善を愛する理由
ソクラテスは、善でも悪でもないものが「悪の存在」を理由に善の友となることを、病における身体と医術の関係や、髪に塗られた染料と老いによる白髪化の比喩を用いて説明する。
- §218-219
知を愛し求める者と第一の友の概念
ソクラテスは、善でも悪でもないものが悪の存在によって善の友になるという合意から、無知を自覚する「哲学者」の位置づけを議論する。さらに友愛の目的(「何かのために」)を順次遡及していくことで、最終的にあらゆる愛着の根源である「第一の友(根源的に愛されるもの)」の概念を提示し、実例を用いて説明する。
- §220
第一の友の真実性と悪の消滅による善の無用化
ソクラテスは、すべての愛されるものの帰結点である「根源的に愛されるもの」こそが真の友であり、それ以外のものは名目上の友にすぎないと論じる。さらに、もし悪が消滅すれば、悪に対する薬である善もまた不要になり、友ではなくなるという逆説を提示する。
- §221
欲望の残存と自己に固有なものを愛すること
ソクラテスは、悪が滅びても無害な欲望や中性の欲望は残り、それらは愛の原因となり得ることを指摘する。これにより、友愛や欲望の本質は、自分に欠けている「ふさわしいもの(固有のもの)」を欲することにあるという新たな仮説を提示する。
- §222-223
ふさわしいものの吟味とアポリアによる閉幕
ソクラテスは「おのれにふさわしいもの(オイケイオン)」が愛の原因であるという仮説を検証するが、これが「似ているもの」や「善」と同一視されると、以前に却下された議論へ逆戻りしてしまう。結局、議論はアポリアに陥ったまま、家庭教師たちの乱入によって対話は打ち切られ、彼らは「友」の定義を未だに突き止めていないことを自覚しつつ解散する。
