底本
Platonis Opera, Tomus II: Tetralogia III-IV. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1910.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
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要旨
本作は、アテナイの若き野心家アルキビアデスと哲学者ソクラテスとの対話を通じ、「自己を知ること」と政治的指導者に求められる「徳(arete)」の本質を追究する哲学対話篇です。世界を支配する野望を抱きながらも、政治への参加を急ぐアルキビアデスに対し、ソクラテスは彼の知識の源泉を問い始めます。対話が進むにつれ、アルキビアデスは自分が「正義」や「有益さ」について全く無知であることを自覚させられ、自身の「二重の無知」に直面します。さらにソクラテスは、競うべき真の相手はスパルタやペルシアの王たちであり、自己鍛錬が不可欠であることを説きます。そして、「汝自身を知れ」というデルポイの神託をめぐり、真の自己とは身体ではなく「魂」であること、また魂が自己を知るにはその最良の部分である知恵や神的なものを鏡としなければならないことが論じられます。最終的にアルキビアデスは、国家を導く者には魂の徳(正義と節制)が必要であることを確信し、ソクラテスに従って自己の探求に努めることを決意します。
目次
21 チャンク
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- §103-104
ソクラテスの沈黙の理由と対話の開始
ソクラテスがアルキビアデスに対し、これまで沈黙を守りつつ彼を追いかけ続けた理由がダイモニオンの指示によるものであったと明かし、他の恋人たちがアルキビアデスの高慢さゆえに去っていった背景を語る。アルキビアデスもまた、ソクラテスにその意図を尋ねようとしていたと応じ、二人の対話が本格的に始まる。
- §105
アルキビアデスの野望とソクラテスの役割
ソクラテスは、アルキビアデスが既存の条件に満足せず世界を支配する野望を抱いていることを見抜き、自分だけがその野望を叶える助けとなり得るため、神がようやく対話を許したのだと語る。
- §106
民衆への助言とアルキビアデスの知識の検証
アルキビアデスは、ソクラテスが自分の野心を見抜いていることを認めつつ、それがなぜソクラテスなしには実現できないのかと問い返す。ソクラテスは、彼がアテナイの民衆に助言をするつもりであるという前提に立って、彼の知識の源泉を検証する対話を始める。
- §107-108
助言を行う分野と専門技術における望ましさの基準
ソクラテスは、アテナイ人が国事を審議する際に、アルキビアデスが他者よりもうまく助言できる分野が何であるかを問い、体育や音楽といった専門的な技術とそこにおける「より望ましい」基準の存在を例として示す。
- §109
正義の知識の有無と学習や探求の欠如
ソクラテスはアルキビアデスを追及し、戦争と平和における「より望ましい」ものとは「より正しい(正義に適った)」ものに他ならないことを認めさせる。さらに、アルキビアデスが正邪を区別する教育を誰からも受けておらず、かつそれを自ら探求したこともない点を明らかにしていく。
- §110-111
正義の探求の欠如と教師としての大衆への反駁
ソクラテスは、アルキビアデスがこれまでに正義を知らないと自覚した時期がないことを突いて彼自身の発見を否定し、アルキビアデスは大衆から学んだのだと主張する。ソクラテスは、教える側の一致が知識の前提であるとし、大衆は単純な識別や言語の面では一致するが、正義のような問題では意見が食い違うため優れた指導者にはなれないことを示す。
- §112-113
大衆の不一致と正義から有益さへの論点移行
ソクラテスは、多くの人々が正義と不正について一致しておらず、激しい戦争を引き起こすことから、彼らが正義の教師になり得ないことを示す。さらに、問答法の規則を通じて、アルキビアデス自身が「自分は正義を知らない」と言ったことを認めさせ、アルキビアデスは反論として、政治で議論されるのは正義ではなく「有益さ」であると主張する。
- §114
一人と大衆の説得および正しさと有益さの相違の証明
ソクラテスは、以前の議論を嫌って新しい証明を求めるアルキビアデスの我儘をからかいつつ、大勢を説得できる者は一人をも説得できるはずであると論じる。そしてソクラテスは、自分自身を民衆と見なして「正しいこと」と「有益なこと」とが異なると証明するようアルキビアデスに促し、質問への回答を迫る。
- §115
美と善および戦場での友の救難に見る善悪の区別
ソクラテスとアルキビアデスは、美しい(善い)ものと善いもの、見苦しい(恥ずべき)ものと悪いものの関係を吟味する。戦場で友を救う行為を例に、それが勇気の実現という点で「美しく、善い」ものであると同時に、死という点で「悪い」ものでもあることを確認する。
- §116
善美と正しさの一致および自らの無知の自覚
ソクラテスはアルキビアデスに対して、美しいことと善いこと、そして正しいことと有益なことが同一であることを論証し、アルキビアデスは自身の無知と混乱を自覚し始める。
- §117-118
二重の無知と政治家たちの無学の指摘
ソクラテスとアルキビアデスは、自らの無知を自覚している事柄については迷いなく他者に判断を委ねるが、無知を自覚していない重大な事柄においては迷いが生じ、行為の失敗を引き起こすという「二重の無知」について合意する。そして、アルキビアデス自身を含め、この国の多くの政治家がそのような極限の無学に陥っていることが確認される。
- §119-120
真の競争相手としてのスパルタ王とペルシア大王
ソクラテスはアルキビアデスに対し、ペリクレスの息子たちや親族が賢くなれなかったことを指摘し、真の競争相手はアテナイの凡庸な政治家ではなく、スパルタの王やペルシアの大王であることを説く。
- §121-122
スパルタとペルシアの王家との出自や教育の比較
アルキビアデスは自身の家柄をゼウスに遡る高貴なものと主張するが、ソクラテスはラケダイモンやペルシアの王家の圧倒的な出自、教育、富を挙げて彼を諭す。
- §123-124
富の比較と汝自身を知ることへの促し
ソクラテスは、ペルシアやスパルタの圧倒的な富と比べ、アルキビアデスの財産がいかに僅少であるかを例示し、ペルシア王妃やスパルタ王母の視点から彼が無謀に見えることを指摘する。続いて、デルポイの信託「汝自身を知れ」に言及して自己鍛錬と智慧の重要性を説き、アテナイにおける「美しく善い」人々が従事する実務の徳について対話を始める。
- §125-126
国家を統治する知恵と友愛についての吟味
ソクラテスは「優れた人間」の定義を問うことで、それが国家の共同生活を管理し支配する知恵を持つ者であることをアルキビアデスから引き出す。さらにその知恵が国家に「友愛(一致)」をもたらすものであるとし、それが具体的にどのような一致であるかを検討し始める。
- §127
男女の役割における一致とアルキビアデスの無知の自覚
ソクラテスは、男女の分業と「一致」の欠如から生じる矛盾を突きつけ、アルキビアデスは国家の正しい管理と友愛の関係について自己の無知を自覚する。ソクラテスは彼の若さを励まし、対話を続けることを促す。
- §128
自己への配慮と所有物への配慮の区別
ソクラテスは、「自己への配慮」と「自己の所有物への配慮」を区別し、身体とその装飾品を例にしてそれらが異なる技術に属することを示す。そして、自己を正しく配慮するためには、まず「自己とは何か」を知らねばならないと論じる。
- §129-130
自己の本質としての人間と魂の同定
ソクラテスとアルキビアデスは、自己を知ることの難しさを確認した後、道具を用いる者と用いられる道具は別物であるという対比から出発し、身体を用いる者である人間とはすなわち「魂」に他ならないという合意に達する。
- §131-132
魂への配慮と鏡に映る目の比喩
ソクラテスは、自己を知るとは魂を知ることであり、身体や財産をケアすることは真の自己をケアすることではないと論じる。そして、デルポイの神託「汝自身を知れ」を鏡に映る目になぞらえて、魂が自己を認識するプロセスの探求へと進める。
- §133
瞳の比喩による魂の自己認識と統治者の条件
ソクラテスは、目が他者の目の「瞳」を覗き込むことで自己を見るように、魂もその最良の部分(知恵)や神的なものを鏡として見ることで自己を知りうると論じる。そして、自己を知らない者は自身や他人の事柄、また国家の事柄も知りえず、政治家になりえないと結論づける。
- §134-135
徳による幸福とアルキビアデスの従順の決意
ソクラテスは、幸福は外的繁栄ではなく魂の徳によってのみ得られると説き、国家を導く者自身が正義と節制を備えなければならないと論じる。アルキビアデスは深く納得してソクラテスに従う決意を表明し、二人の関係の逆転がコウノトリの比喩を交えて語られて対話は幕を閉じる。
