底本
Plutarch. Plutarchi Chaeronensis Moralia, Vol III. Vernardakēs, Grēgorios N., editor. Leipzig: Teubner, 1891.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
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要旨
本作は、人間を支配する最も破壊的な情念の一つである「怒り」をどのように制御し、克服すべきかを論じた実践的な哲学対話篇です。シッラスからの問いかけに応じる形で、かつて激しやすい性格だったフンダヌスが、自身の経験に基づく自己治療の方法と哲学の実践的な教えを語ります。議論は、怒りが芽生えた初期段階で沈黙や客観視によって鎮める訓練から始まり、他者の醜い怒りの姿を反面教師とすること、そして怒りは強さではなく魂の弱さの表れであることを指摘します。さらに、古代の賢者や王たちの寛大な逸話を引きながら、奴隷や身近な人々に対する拙速な処罰を避け、贅沢へのこだわりや「軽蔑されている」という被害妄想を捨て去るための具体的な心の持ち方が説かれます。最終的にフンダヌスは、一定期間怒りを控える誓いと実践を積み重ねることで、怒りの抑制が自分自身に最大の平安をもたらすことを示し、穏やかな気質を養うことの価値を強調して結びます。
目次
12 チャンク
引用方式:section
- §1
フンダヌスの怒りの克服とシッラスの問い
シッラスはフンダヌスが怒り狂う性格を極めて穏やかで理性的なものへと変容させたことを称賛し、その自己治療の方法を語るよう促し、フンダヌスは謙遜を交えて応じる。
- §2-3
怒りの予防法と直ちに対抗する訓練
フンダヌスは、怒りの治療には情念が燃え上がる前に対策を哲学から魂に蓄えておくべきだと説き、怒りに直ちに対抗し抑え込む訓練が魂を強固にすると、自らの体験や歴史上の逸話を交えて語る。
- §4-5
怒りの初期段階での抑制と沈黙による鎮静
怒りは初期の段階で沈黙や無視によって鎮めるのが最も容易であり、また怒りが激化する前に行動を制御することや、怒りによる滑稽で恐ろしい衝動に支配されないように自制することの重要性を説く。
- §6
他者の怒りの醜さを反面教師とする観察
フンダヌスは、他者の怒り狂う醜い姿を反面教師として自身の情念を制御する重要性を説き、弁論家ガイウス・グラックスのピッチパイプやアテーナーの笛の逸話などを用いて、怒りが容姿や発言にいかに不名誉な変化をもたらすかを説明する。
- §7-8
舌を慎む必要性と魂の弱さとしての怒り
フンダヌスは、熱病よりも怒りの状態において舌(言葉)を静かに保つことの重要性を論じ、怒りは高貴さや強さの現れではなく、むしろ魂の弱さや痛みに起因する病的な反応であると説明する。
- §9
怒りを制した支配者たちの逸話と真の強さ
フンダヌスは、怒りや侮辱に対して寛大で穏やかに対処した王や僭主たちの歴史的な逸話を多く紹介し、怒りを制する温和さこそが真の強さであり、王にふさわしい徳であることを主張する。
- §10
怒りの破壊性と温和な理性による処罰の効用
怒りの無益さと破壊性を指摘し、怒りの代わりに温和さと理性を用いることで、復讐や処罰を安全かつ有益に行うことができることを、歴史的な人物の逸話や比喩を通じて説明する。
- §11
奴隷への怒りの制御と性急な処罰の回避
フンダヌスは、奴隷を対象とした怒りの制御の訓練の有効性を説き、怒りに任せた拙速な処罰を避け、理性が支配する時間の中で冷静に処罰を決定することの重要性を、フォキオンの言葉やエトルリアの例を交えて論じる。
- §12
軽蔑されたという思い込みと怒りの緩和
怒りの根底には軽蔑されているという感覚があることを指摘し、他者の過ちを無知や不運に帰することで怒りを和らげること、また自分を侮っていると思い込まないことの重要性を論じる。
- §13
贅沢と気難しさの抑制と簡素な生活の効用
ンダヌスは、過剰な欲望や贅沢が怒りを引き起こす温床であると指摘し、簡素な生活様式への適合、身の回りの調度品に対するこだわりを捨てることの重要性を、ソクラテスらの逸話を用いて説く。
- §14-15
あらゆる対人関係からの怒りの排除と破滅性
対人関係のあらゆる場面において怒りを排除すべき理由を古代の賢者たちの逸話を交えて説き、怒りとは他者を害し自らをも破滅させる様々な情念の混ざり物であることを示す。
- §16
他者への過度な期待の抑制と温厚さの実践
悪に対する正当な怒りから生じる過度な怒りを抑制するために、他者への過度な期待や些細な点への詮索を避け、プラトンの慎重さを学ぶ必要性を説く。さらに、一定期間怒りを控えるという自身の誓願と実践を通じて、温厚な気質が他者だけでなく自分自身に最も大きな平安をもたらすことを示す。
