テルトゥリアヌス · Tertullian
貞淑の勧め
On Exhortation to Chastity
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底本
Tertullian. Quinti Septimii Florentis Tertulliani Quae Supersunt Omnia, Volume 1. Oehler, Franz, editor. Leipzig: Weigel, 1853.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA 4.0
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要旨
本作は、妻を亡くしたキリスト者の「兄弟」に向けて、再婚を思いとどまり、貞潔(独身)を維持することを勧める神学的勧告書である。著者はまず、神の意志である「聖化」を果たす上での独身の価値を強調し、人間の自由意志の役割を説く。続いて、使徒パウロの書簡などを引きながら、結婚や再婚への許容は絶対的な善ではなく、情欲を避けるための相対的な妥協にすぎないと論じる。さらに、創造の秩序やキリストと教会の不可分な一致、そして全キリスト者が霊的な祭司であるという教理に基づき、生涯で一回限りの婚姻こそが神の本来の法であると主張する。最後に著者は、家事や子孫繁栄を口実とする再婚の正当化を退け、異教徒の節制の例も引き合いに出しながら、祈りと良心の純潔を保つために第二の婚姻を避けるよう強く促して結んでいる。
目次
7 チャンク
引用方式:chapter
- §1-2
神の意志としての聖化と独身の勧め
著者は妻を失った兄弟に対し、神の意志である「聖化」を果たすための独身(童貞や一回婚)の価値を説き、悪の本質が神に逆らう人間の自由意志と悪魔の誘惑にあることを論じる。
- §3
許容と神の意志および結婚の相対的善
許容される事柄が必ずしも神の純粋な意志ではないことを論じ、パウロの「結婚する方が身を焦がすよりも良い」という言葉を検討して、それが絶対的な善ではなく、より大きな悪との比較における相対的な善にすぎないことを示す。
- §4-5
使徒の勧告と原初の創造に基づく一回限りの婚姻
使徒パウロによる第二の婚姻の許容は、神の普遍的な掟ではなく、人間の自制を前提とした一時的な勧告であるとテルトゥリアヌスは主張する。さらに、アダムとエバの創造やキリストと教会の不可分な一致を根拠に、一回限りの婚姻こそが神が定めた根源的な法であることを説明する。
- §6-7
旧約の重婚の終焉と万人祭司の婚姻規律
旧約時代の複数婚は人類初期の一時的な経綸にすぎず、新約の下では一回限りの婚姻の法が完全に回復されたこと、そして平信徒も霊的には祭司であるため、祭司と同様に厳格な婚姻の規律を守るべきであることを論じる。
- §8-9
許容と有益さの区別および再婚の姦淫性
著者は、単に「許されている」ことが直ちに救いに有益なのではなく、むしろ不節制を防ぐための消極的許可にすぎないことを論じ、第二の婚姻は肉欲の追求という点において本質的に姦淫と類似していると主張して、一回限りの婚姻と貞潔の保持を強く勧める。
- §10-11
死別後の節制と再婚による二重の妻の羞恥
配偶者との死別などにより婚姻の義務から解放された機会に節制を保つべきであるとし、祈りと良心の純潔性を説く。さらに第二の婚姻は、霊的な先妻と肉的な後妻という二人の妻を同時に抱えることで二重の羞恥をもたらし、祈りの誠実さを損なうと論じる。
- §12-13
再婚の口実への反論と異教徒の貞潔の模範
§12では、キリスト者が家庭の管理や子孫繁栄などを口実に再婚を正当化することに対し、著者が皮肉を交えて反論する。§13では、異教社会における一婚の尊重や、貞潔のための自己犠牲の例を引き合いに出し、キリスト者が節制において彼らに劣るべきではないと諭す。
