底本
Suetonius. De Vita Caesarum Libri VIII. Ihm, Max, editor; Leipzig: Teubner, 1908.
原文データ出典
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要旨
本作は、ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの生涯、血統、そしてその治世における劇的な変遷を描いた伝記作品である。物語は、傲慢で知られるクラウディウス氏族の出自から始まり、青年期の軍功やロドス島での隠遁生活を経て、アウグストゥスの養子となり帝位を継承するまでを追う。即位初期のティベリウスは、元老院を尊重し、慎み深く節度ある態度で国家の安定に努める模範的な統治者として描かれる。しかし、カプリ島への隠棲を機に彼の本性は豹変し、極端な吝嗇、異常な性的放溺、そして親族や側近セヤヌス(Sejanus)をも容赦なく死に追いやる残虐な暴政へと傾倒していく。晩年は凄惨な拷問と絶え間ない猜疑心の中で精神的に困窮し、その死は民衆から歓喜をもって迎えられた。
目次
18 チャンク
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- §1-3
クラウディウス氏族の起源とティベリウスの系譜
クラウディウス氏族の起源、輝かしい歴史的業績、そして数々の悪名高い傲慢な行為を列挙し、ティベリウス・カエサルがこの特異な氏族とリウィウス氏族の双方から血統を引いていることを説明する。
- §4-7
父ネロの経歴とティベリウスの生い立ち
ティベリウスの父ネロの数奇な経歴と、ティベリウスの誕生地を巡る諸説、および彼の幼少期の逃亡生活から、アグリッピナとの悲劇的な離縁とユリアとの結婚に至るまでの青年期の事跡を記述する。
- §8-11
初期の公職と軍功およびロドス島への隠退
ティベリウスの公職としての初歩的な活動や軍事的功績、そして突如として一切の地位を退いてロドス島に引退した経緯と、そこでの市民的な私生活、および妻ユリアとの離婚を巡る事情について述べる。
- §12-15
ロドス島からの帰還とアウグストゥスによる養子縁組
ティベリウスは不遇のロドス島隠遁生活を送るが、危機に直面したことで帰還を懇願し、最終的にアウグストゥスから許されてローマへ戻る。のちにアウグストゥスの養子となり、帝国後継者の地位を確立する。
- §16-20
イリュリクムとゲルマニアの平定と凱旋式
ティベリウスはイリュリクムの反乱を平定し、ウァルスの大敗後にはゲルマニアの軍紀を厳格に立て直した。その後ローマに帰還して延期されていた凱旋式を執り行い、数々の神殿を奉献した。
- §21-23
アウグストゥスの死と遺言による後継者指名
ティベリウスはアウグストゥスとの共同統治を任された直後にその臨終に立ち会い、帝位継承をめぐる人々の噂やアウグストゥスの高い評価を伝える手紙が紹介される。さらに、アグリッパ・ポスツムスの殺害を経てアウグストゥスの死が公表され、遺言書によるティベリウスの相続人指名が明らかになる。
- §24-27
権力の受託と過剰な栄誉の拒絶
ティベリウスは当初、支配権の受託を様々な芝居や引き延ばしによって拒み続けるが、最終的に期限付きという形で受諾する。治世初期の彼は、迫る内外の危機を警戒しつつも、過度な特権や名誉、そしてあらゆるへつらいを徹底して拒否し、私人としてのつつましい態度を保とうとする。
- §28-32
元老院の権威尊重と誹謗中傷への寛容
ティベリウスは自身への中傷を寛容に受け流し、元老院や政務官の権威を尊重して、国家の公私の重要事項を元老院に諮ることで自由の体裁を保った。また、地方の総督や指揮官に対しても、元老院への敬意や節度ある統治を求めた。
- §33-37
司法への関与と風紀取締による治安維持
ティベリウスが次第に皇帝としての主導権を握り、司法への介入、贅沢の取り締まり、社会道徳の維持、外国宗教の排除、および国内外の治安維持に努めた様子が描かれています。
- §38-43
カプリ島への隠棲と国政放棄および放蕩
ティベリウスはローマを離れてカンパニアやカプリ島へ隠棲し、国政を完全に放棄して、かつて隠されていた様々な淫らな悪徳や奇行を公然と貪るようになった。
- §44-48
隠遁地での性的悪行と財政上の吝嗇
ティベリウスの極端で異常な性的悪行や女性への冷酷な嫌がらせが暴露される一方、金銭に対する極端な吝嗇、建築物や公開競技の忌避、限定的な公的援助や兵士への冷遇といった彼の内政的特徴が語られます。
- §49-51
富裕層からの財産略奪と親族への冷酷な迫害
ティベリウスが富裕層や属州の有力者から不当に財産を没収した悪政と、弟ドルスス、妻ユリア、そして母リウィアら親族に対する冷酷な仕打ちや反目、そして母の死後にその友人たちを破滅させた経緯を記述している。
- §52-55
息子たちとゲルマニクス一家への冷遇と迫害
ティベリウスが実子ドルススや養子ゲルマニクス、さらにはその家族に対して冷酷かつ残酷な迫害を加えたこと、そして側近セヤヌスを後継者排除の陰謀に利用したことが語られます。
- §56-60
側近への苛烈な処罰と不敬罪の濫用
ティベリウスの執念深く残虐な本性が、同伴者のギリシア人や学者、道化への容赦ない処罰、および不敬罪の極端な適用を通じて描かれる。さらに彼を非難する詩の流行や、カプリ島に隠退した後の些細な過失に対する異常な暴力が紹介される。
- §61-62
極限に達した残虐行為とカプリ島での処刑
ティベリウスの残虐行為が極限に達し、身内や旧友さえも容赦なく迫害・処刑した様子を描く。特に息子の死の真相を知った後の狂気的な拷問と、カプリ島での残虐な処刑方法、さらにカリグラらの殺害さえも企てていたことが語られる。
- §63-67
恐怖政治とセイアヌスの失脚および深まる苦悩
ティベリウスが猜疑心と恐怖の中で生き、近郊の神託所の破壊を企てたことや、策略を用いてかつての寵臣セイアヌスを失脚させ破滅に追い込んだ経緯、さらにその後の深い精神的困窮と自己嫌悪、元老院への弁明、そして彼が「国家の父」の称号を頑なに拒否した理由を説明しています。
- §68-71
ティベリウスの容貌と性向および教養と信仰
皇帝ティベリウスの身体的特徴、夜目や無愛想な態度、良好な健康状態が記述され、さらに彼の占星術への傾倒、ギリシア・ラテンの教養、元老院でのギリシア語使用の自制が描かれる。
- §72-76
ティベリウスの死と民衆の歓喜および遺言
ティベリウスはローマへの帰還を試みるも引き返し、病状が悪化してルクッルスの別荘で死去する。彼の死の知らせに民衆は歓喜し、その遺言によりガイウス(カリグラ)とティベリウス・ゲメッルスが共同相続人に指定される。
