- 底本
- Aristotle. Aristotelis Physica. Ross, W.D., editor. Oxford: Clarendon, 1960.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0086.tlg054.humanitext-grc1:1#1
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-27
「運動するものはすべて他によって運動させられる」という原理を、自己運動の仮定が不可能性(部分の静止による全体の静止)に陥ることから証明し、運動の無限遡行を否定して第一動者の存在を導く。
H (textus alter) Απαν τὸ κινούμενον ἀνάγκη ὑπό τινος κινεῖσθαι. εἰ μὲν οὖν ἐν αὐτῷ μὴ ἔχει τὴν ἀρχὴν τῆς κινήσεως, φανερὸν ὅτι ὑφʼ ἑτέρου κινεῖται (ἄλλο γὰρ ἔσται τὸ κινοῦν)· εἰ δʼ ἐν αὐτῷ, εἰλήφθω ἐφʼ οὗ τὸ ΑΒ, ὃ κινεῖται μὴ τῷ τῶν τούτου τι κινεῖσθαι.1 πρῶτον μὲν οὖν τὸ ὑπολαμβάνειν τὸ ΑΒ ὑφʼ αὐτοῦ κινεῖσθαι διὰ τὸ ὅλον τε κινεῖσθαι καὶ ὑπὸ μηθενὸς τῶν ἔξωθεν ὅμοιόν ἐστιν ὥσπερ ἂν εἴ τις τοῦ ΔΕ κινοῦντος τὸ ΕΖ καὶ αὐτοῦ κινουμένου ὑπολαμβάνοι2 τὸ ΔΕΖ ὑφʼ αὐτοῦ κινεῖσθαι, διὰ τὸ μὴ συνορᾶν πότερον ὑπὸ ποτέρου κινεῖται, πότερον τὸ ΔΕ ὑπὸ τοῦ ΕΖ ἢ τὸ ΕΖ ὑπὸ τοῦ ΔΕ. ἔτι τὸ ὑφʼ αὐτοῦ κινούμενον οὐδέποτε παύσεται κινούμενον τῷ ἕτερόν τι στῆναι κινούμενον.3 ἀνάγκη τοίνυν, εἴ τι παύεται κινούμενον τῷ ἕτερόν τι στῆναι, αὐτὸ ὑφ᾿ ἑτέρου κινεῖσθαι. τούτου δὲ φανεροῦ γενομένου ἀνάγκη πᾶν τὸ κινούμενον κινεῖσθαι ὑπό τινος. ἐπεὶ γὰρ εἴληπται τὸ ΑΒ κινούμενον, διαιρετὸν ἔσται· πᾶν γὰρ τὸ κινούμενον διαιρετὸν ἦν. διῃρήσθω τοίνυν ᾗ τὸ Γ. ἀνάγκη δὴ τοῦ ΓΒ ἠρεμοῦντος4 ἠρεμεῖν καὶ τὸ ΑΒ. εἰ γὰρ μή, εἰλήφθω κινούμενον. τοῦ τοίνυν ΓΒ ἠρεμοῦντος κινοῖτο ἂν τὸ ΓΑ. οὐκ ἄρα καθʼ αὐτὸ κινεῖται τὸ ΑΒ. ἀλλʼ ὑπέκειτο καθʼ αὑτὸ κινεῖσθαι πρῶτον. δῆλον τοίνυν ὅτι τοῦ ΓΒ ἠρεμοῦντος ἠρεμήσει καὶ τὸ ΒΑ, καὶ τότε παύσεται κινούμενον. ἀλλʼ εἴ τι τῷ ἄλλο ἠρεμεῖν ἵσταται καὶ παύεται κινούμενον, τοῦθʼ ὑφ᾿ ἑτέρου κινεῖται. φανερὸν δὴ ὅτι πᾶν τὸ κινούμενου ὑπό τινος κινεῖται διαιρετόν τε γάρ ἐστιν πᾶν τὸ κινούμενον, καὶ τοῦ μέρους ἠρεμοῦντος ἠρεμήσει καὶ τὸ ὅλον. ἐπεὶ δὲ τὸ κινούμενον ὑπό τινος κινεῖται, ἀνάγκη καὶ τὸ κινούμενον πᾶν ἐν τόπῳ κινεῖσθαι ὑπʼ ἄλλου· καὶ τὸ κινοῦν τοίνυν ὑφʼ ἑτέρου, ἐπειδὴ καὶ αὐτὸ κινεῖται, καὶ πάλιν τοῦτο ὑφʼ ἑτέρου. οὐ δὴ εἰς ἄπειρον πρόεισιν, ἀλλὰ στήσεταί που καὶ ἔσται τι ὃ πρώτως αἴτιον ἔσται τοῦ κινεῖσθαι. εἰ γὰρ μή, ἀλλʼ εἰς ἄπειρον πρόεισιν, ἔστω τὸ μὲν Α ὑπὸ τοῦ Β κινούμενον, τὸ δὲ ὑπὸ τοῦ Γ,5 τὸ δὲ Γ ὑπὸ τοῦ Δ· καὶ τοῦτον δὴ τὸν τρόπον εἰς ἄπειρον προβαινέτω. ἐπεὶ οὖν ἅμα τὸ κινοῦν καὶ αὐτὸ κινεῖται, δῆλον ὡς ἅμα κινήσεται τό τε Α καὶ τὸ Β· κινουμένου γὰρ τοῦ Β κινηθήσεται καὶ τὸ Α· καὶ τὸ Β δὴ κινουμένου τοῦ Γ καὶ τὸ Γ τοῦ Δ. ἔσται τοίνυν ἅμα ἥ τε τοῦ Α κίνησις ⟨καὶ τοῦ Β⟩ καὶ τοῦ Γ καὶ τῶν λοιπῶν ἑκάστου. καὶ λαβεῖν τοίνυν αὐτῶν ἑκάστην δυνησόμεθα. καὶ γὰρ εἰ ἕκαστον ὑφʼ ἑκάστου κινεῖται, οὐθὲν ἧττον μία τῷ ἀριθμῷ ἡ ἑκάστου κίνησις, καὶ οὐκ ἄπειρος τοῖς ἐσχάτοις, ἐπειδήπερ τὸ κινούμενον πᾶν ἔκ τινος εῖς τι κινεῖται.
H (textus alter) 運動しているものはすべて、何ものかによって運動させられていることが必然である。もし一方において、それ自身のうちに運動の始原を持たないならば、それが他者によって運動させられていることは明らかである(なぜなら、運動させるものは別のものだからである)。しかし他方において、もしそれ自身のうちに[始原を]持つならば、ABと名づけられたものを想定しよう。これは、その部分の何かが運動することによってではなく、運動しているものである。まず第一に、ABがそれ自身によって運動させられていると考えることは、全体が運動しており、外部のもののいずれによっても運動させられていないからという理由によるのであるが、それはあたかも、DEがEZを運動させており、それ自体も運動している場合に、誰かがDEZがそれ自身によって運動させられていると考えるようなものである。それは、どちらがどちらによって運動させられているのか、すなわち、DEがEZによってなのか、それともEZがDEによってなのかを、見極められないからである。さらに、それ自身によって運動しているものは、何か他のものが運動を停止することによって、運動することを決してやめないであろう。それゆえ、もしあるものが、他の何かが静止することによって運動を停止するならば、それ自身は他者によって運動させられていることが必然である。そしてこれが明らかになった以上、運動しているものはすべて何ものかによって運動させられていることが必然である。なぜなら、ABが運動しているものとして想定されたからには、それは分割可能であるはずだからである。実際、運動しているものはすべて分割可能であった。それでは、Cにおいて分割されているとせよ。すると、CBが静止しているなら、ABも静止していることが必然である。なぜなら、もしそうでないとすれば、運動しているものと想定されよ。すると、CBが静止しているのに、CAが運動することになるだろう。したがって、ABはそれ自体において運動しているのではない。しかし、最初はそれ自体において運動していると仮定されていた。したがって、CBが静止しているときには、BAも静止し、そのとき運動することをやめることは明らかである。しかし、もしあるものが、他のものが静止することによって立ち止まり、運動することをやめるならば、それは他者によって運動させられているのである。したがって、運動しているものはすべて何ものかによって運動させられていることは明らかである。なぜなら、運動しているものはすべて分割可能であり、部分が静止すれば全体も静止するからである。 しかし、運動しているものは何ものかによって運動させられているので、場所において運動しているものもすべて、他者によって運動させられていることが必然である。そして、運動させるものもまた、それ自体が運動しているのであるから、他者によって[運動させられており]、さらにこれもまた他者によって[運動させられている]。確かにこれは無限に進むのではなく、どこかで停止し、運動させられることの第一の原因となる何かが存在するであろう。なぜなら、もしそうでなく、無限に進むならば、AはBによって運動させられ、[B]はCによって、CはDによって運動させられているとせよ。そしてこの方法で無限に進みゆくとせよ。それゆえ、運動させるものと、それ自身が運動させられているものとは同時であるから、AとBが同時に運動することは明らかである。なぜなら、Bが運動するときAも運動するであろうし、Cが運動するときBも、Dが運動するときCも[運動する]からである。それゆえ、Aの運動と、Bの運動と、Cの運動と、残りのもののそれぞれの運動は、同時であるだろう。それゆえ、われわれはそれらのそれぞれを把握することができるだろう。なぜなら、たとえそれぞれがそれぞれによって運動させられているとしても、それぞれの運動は数において一つであり、その端々において無限ではない。というのも、運動するものはすべて、あるものからあるものへと運動するからである。
- 241b25μὴ τῷ τῶν τούτου τι κινεῖσθαι
与格の冠詞付き不定詞 τῷ κινεῖσθαι(運動することによって)が手段・原因を表し、その意味上の主語として代名詞の主格 τι(何かが)が置かれている。τῶν τούτου(それの[部分]の)は部分を表す属格。全体としてのABが、その一部分の運動に依存して運動しているのではない、という一次的・直接的な自己運動の条件を規定している。
- 241b25ὥσπερ ἂν εἴ τις ... ὑπολαμβάνοι
ὥσπερ ἂν εἰ + 希求法(optative)の構文で、潜在的な仮定・比喩(「あたかも誰かが……と想定するかもしれないかのように」)を表す。思考実験としての妥当性を評価するための仮想的な状況を導入している。
- 241b30τῷ ἕτερόν τι στῆναι κινούμενον
前置詞を伴わない与格の冠詞付き不定詞 τῷ στῆναι(停止することによって)が原因・手段を表し、その意味上の主語として対格の ἕτερόν τι(他の何か)が置かれている。分詞 κινούμενον は ἕτερόν τι に係り、「他の運動している何かが静止することによって」の意となる。
- 242a5τοῦ ΓΒ ἠρεμοῦντος
属格独立構文(genitive absolute)で、ここでは条件(「もしΓΒが静止しているならば」)を表す。運動の自己運動仮定の不可能性を示す論証の核心部分で、部分の静止が全体の静止を伴うという物理的・論理的必然性を導入する。
- 242a20τὸ δὲ ὑπὸ τοῦ Γ
τὸ δὲ の後に主語が省略されている。直前の τὸ μὲν Α ὑπὸ τοῦ Β および後続の τὸ δὲ Γ ὑπὸ τοῦ Δ との並行関係から、省略されている主語が B であることは明白であり、訳出にあたっては[B](英語では [B])を補う必要がある。
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(1 件・最終 2026-09-22)
- 2026-09-22 AI校閲 — 原文 1 件
