- 底本
- Aristotle. Aristotelis De animalium motione et De animalium incessu. Jaeger, Werner, editor. Leipzig:Teubner, 1913.
- 翻訳
- AI生成(gemini-3.5-flash) — 機械翻訳のため誤りを含む場合があります
- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0086.tlg043.humanitext-grc1:9
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-27
生物における熱のはたらきを技術の火(道具)と対比し、形や比率(ロゴス)を与える自然の複合的な作用を考察するとともに、骨や肉の性質の違いが元素の混合比率の違いによるものであることを論じる。
9 Οἱ ἀναιροῦντες1 ὡς οὐ τὸ θερμὸν τὸ ἐργαζόμενον ἐν τοῖς σώμασιν, ἢ ὅτι μία τις φορὰ καὶ δύναμις ἡ τμητικὴ τοῦ πυρός, οὐ καλῶς λέγουσιν. οὐδὲ γὰρ ὅλα τοῖς ἀψύχοις ταὐτὸ ποιεῖ πᾶσιν, ἀλλὰ τὰ μὲν πυκνοῖ, τὰ δὲ μανοῖ, καὶ τήκει, τὰ δὲ πήγνυσιν. ἐν δὲ δὴ τοῖς ἐμψύχοις οὕτως ὑποληπτέον, ὥσπερ φύσεως πῦρ ζητοῦντα,2 καθάπερ τέχνης· καὶ γὰρ ἐν ταῖς τέχναις ἕτερον τὸ χρυσοχοϊκὸν καὶ τὸ χαλκευτικὸν καὶ τὸ τεκτονικὸν πῦρ ἀποτελεῖ, καὶ τὸ μαγειρικόν. ἴσως δʼ ἀληθέστερον ὅτι αἱ τέχναι· χρῶνται γὰρ ὥσπερ ὀργάνῳ μαλάττουσαι καὶ τήκουσαι καὶ ξηραίνουσαι, ἔνια δὲ καὶ ῥυθμίζουσαι. τὸ αὐτὸ δὴ τοῦτο καὶ αἱ φύσεις· ὅθεν δὴ καὶ αἱ πρὸς ἄλληλα διαφοραί. διὸ γελοῖον πρὸς τὸ ἔξω κρίνειν· εἴτε γὰρ διακρῖνον εἴτε λεπτῦνον εἴθʼ ὁτιδήποτʼ ἐστὶ τὸ θερμαίνεσθαι καὶ πυροῦσθαι, διάφορα ἕξει τὰ ἔργα τοῖς χρωμένοις. ἀλλʼ αἱ μὲν τέχναι ὡς ὀργάνῳ χρῶνται, ἡ δὲ φύσις ἅμα καὶ ὡς ὕλῃ. οὐ δὴ τοῦτο χαλεπόν, ἀλλὰ μᾶλλον τὸ τὴν φύσιν αὐτὴν νοῆσαι τὴν χρωμένην, ἥτις ἅμα τοῖς αἰσθητοῖς πάθεσι καὶ τὸν ῥυθμὸν ἀποδώσει. τοῦτο γὰρ οὐκέτι πυρὸς οὐδὲ πνεύματος. τούτοις δὴ καταμεμεῖχθαι τοιαύτην δύναμιν θαυμαστόν. ἔτι δὲ τοῦτο θαυμαστὸν ταὐτὸν καὶ περὶ ψυχῆς· ἐν τούτοις γὰρ ὑπάρχει. διόπερ οὐ κακῶς εἰς ταὐτόν,3 ἢ ἀπλῶς ἢ μόριόν τι τὸ δημιουργοῦν, καὶ τὸ τὴν κίνησιν ἀεὶ τὴν ὁμοίαν ὑπάρχειν ἐνεργοῦν. καὶ γὰρ ἡ φύσις, ἀφʼ ἧς καὶ ἡ γένεσις. ἀλλὰ δὴ τίς ἡ διαφορὰ τοῦ καθʼ ἕκαστον θερμοῦ, εἴθʼ ὡς ὄργανον εἴθʼ ὡς ὕλην εἴθʼ ὡς ἄμφω; πυρὸς γὰρ διαφοραὶ κατὰ τὸ μᾶλλον καὶ ἧττον. τοῦτο δὲ σχεδὸν ὥσπερ ἐν μίξει καὶ ἀμιξίᾳ· τὸ γὰρ καθαρώτερον μᾶλλον. ὁ αὐτὸς δὲ λόγος καὶ ἐπὶ τῶν ἄλλων ἁπλῶν. ἀνάγκη γάρ, ἐπείπερ ἕτερον ὀστοῦν καὶ σὰρξ ἵππου καὶ βοός, ἢ τῷ ἐξ ἑτέρων εἶναι ἢ τῇ χρήσει διαφέρειν. εἰ μὲν οὖν ἕτερα, τίνες αἱ διαφοραὶ ἑκάστου τῶν ἁπλῶν καὶ τίς ταύτας γὰρ ζητοῦμεν. εἰ δὲ ταὐτά, τοῖς λόγοις ἂν διαφέροι. ἀνάγκη γὰρ δυοῖν θάτερον, καθάπερ ἐν τοῖς ἄλλοις· οἴνου μὲν γὰρ καὶ μέλιτος κρᾶσις διὰ τὸ ὑποκείμενον, οἴνου δʼ αὐτοῦ, εἴπερ ἑτέρα, διὰ τὸν λόγον. διὸ καὶ Ἐμπεδοκλῆς μίαν ἀπλῶς τὴν τοῦ ὀστοῦ φύσιν4 εἴπερ ἅπαντα τὸν αὐτὸν λόγον ἔχει τῆς μίξεως, ἀδιάφορα ἐχρῆν ἵππου καὶ λέοντος καὶ ἀνθρώπου εἶναι. νῦν δὲ διαφέρει σκληρότητι, μαλακότητι, πυκνότητι, τοῖς ἄλλοις ὁμοίως καὶ σὰρξ καὶ τὰ ἄλλα μόρια. ἔτι δὲ τὰ ἐν τῷ αὐτῷ ζῴῳ διαφέρουσι πυκνότητι καὶ μανότητι καὶ τοῖς ἄλλοις, ὥστʼ οὐχ ἡ αὐτὴ κρᾶσις. παχὺ μὲν γὰρ καὶ λεπτὸν καὶ μέγα καὶ μικρὸν ἂν εἴη ἐν τῷ ποσῷ, σκληρὸν δὲ καὶ πυκνὸν καὶ τὰ ἐναντία τούτοις ἐν τῷ ποιῷ τῷ τῆς μίξεως. ἀναγκαῖον δὲ τοῖς οὕτω λέγουσιν εἰδέναι, πῶς τὸ δημιουργοῦν ἕτερον εἴη ἂν καὶ τῷ τοῦτο πλέον ἢ ἔλαττον εἶναι, καὶ τῷ καθʼ αὐτὸ καὶ τῷ μεμειγμένῳ ἢ ἐν ἄλλῳ πυροῦσθαι. ἅμα γὰρ ἐγκαταμείγνυται καὶ ποιεῖ τὸ τῆς φύσεως. ἄρα ὁ αὐτὸς καὶ περὶ σαρκὸς λόγος· καὶ γὰρ αἱ αὐταὶ διαφοραί, σχεδὸν δὲ καὶ περὶ φλεβὸς καὶ ἀρτηρίας καὶ τῶν λοιπῶν. ὥστε δυεῖν θάτερον, ἢ οὐχ εἶς ὁ λόγος τούτων κατὰ τὴν μίξιν, ἢ οὐ σκληρότητι καὶ πυκνότητι καὶ τοῖς ἐναντίοις τοὺς λόγους ληπτέον.
9 身体の中で働きをなすものは熱ではないと否定する人々、あるいは、火の切断する作用はただ一つの運動であり能力であると[主張する]人々は、正しく述べていない。というのも、無生物に対しても、全体としてすべてのものに同じことをするわけではないからである。すなわち、あるものは濃密にし、あるものは希薄にし、また融解し、あるものは凝固させる。そして生物においては、自然の火を探求するにあたって、あたかも技術の火[を探求する]ように、次のように想定しなければならない。なぜなら、技術においても、金細工の火、銅細工の火、大工仕事の火、そして料理の火は、それぞれ異なるものを完成させるからである。しかし、おそらくは、技術[そのもの]が[完成させる]と言う方がより真実であろう。なぜなら、技術は[火を]道具のように用いて、柔らかくしたり、融解したり、乾燥させたり、あるものはまた形整えたりするからである。これとまったく同じことが自然についても言える。そこからまさに、互いの違いも生じるのである。それゆえ、外部の[火]と比較して判断するのは滑稽である。なぜなら、温まることや燃えることが、分離することであれ、希薄化することであれ、あるいは何であれ、それを用いる者によって、その働きは異なるものとなるからである。ただし、技術は道具として用いるが、自然は同時に素材としても用いる。このことを理解するのは困難ではない。むしろ困難なのは、それを用いる自然そのものを捉えることであり、それは、感覚される受動的状態とともに、比率(形)をも与えるものである。これはもはや火や気息の[働き]ではない。これらのものにそのような能力が混入しているということは驚くべきことである。さらに、これと同じ驚くべきことが魂についても言える。なぜなら、魂はこれらの中に存在するからである。それゆえ、形成するものを、端的にであれ、あるいはその一部としてであれ、常に同様の運動を現実に存在させるものと同一に帰することは悪くない。なぜなら、それが自然であり、そこから生成も生じるからである。しかし、個々の熱の違いとは何であろうか、道具としてであれ、素材としてであれ、あるいはその両方としてであれ[用いられる熱の違いとは]。なぜなら、火の違いは「より多く」と「より少なく」の程度の差によるからである。そしてこれは、ほぼ混合と非混合におけるようなものである。というのも、より純粋なものが「より多く」だからである。同じ説明は他の単純な元素についても当てはまる。なぜなら、馬と牛の骨や肉が異なる以上、それらが異なるものから構成されていることによるか、あるいは用いられ方において異なるかの、いずれかでなければならないからである。もしこれらが異なるものであるなら、それぞれの単純な元素の違いとは何であり、それらの比率(ロゴス)は何であるのか。これらこそ、我々が探究しているものである。もし同じであるなら、比率において異なるはずである。なぜなら、他のものにおけるのと同様に、二つのうちのどちらか一方でなければならないからである。なぜなら、ワインと蜂蜜の混合は基底にあるものの違いによるものであり、ワイン自体の混合は、もし異なるとすれば、その比率によるからである。それゆえエンペドクレスも、骨の本性は端的に一つであると[語った]。もしすべての[骨]がまったく同じ混合比率を持っているならば、馬の[骨]もライオンの[骨]も人間の[骨]も、区別がないものでなければならなかったはずである。しかし現実には、肉や他の諸部分と同様に、[骨も]硬さ、柔らかさ、密度の高さ、およびその他の性質において異なっている。さらに、同一の動物の中にある諸部分でさえ、密度や希薄さ、その他において異なっており、したがって、同じ混合ではないのである。なぜなら、太いことや細いこと、大きいことや小さいことは量に属するであろうが、硬いことや密であること、およびこれらと反対の性質は、混合の質に属するからである。そして、このように語る人々にとっては、どのようにして形成するものが異なり得るのか、そして、これがより多いかより少ないかによって、また、それ自体としてであれ、混合された状態においてであれ、あるいは他のものの中で加熱されることによるかによって、[どのように異なり得るのかを]知ることが必要である。というのも、それは同時に混入し、自然の働きをつくり出すからである。したがって、肉についても同じ説明が当てはまる。なぜなら、同様の違いが存在するからであり、ほぼ静脈や動脈、その他の部分についても同様だからである。それゆえ、二つのうちのいずれか一方でなければならない。これらの混合における比率が一つではないか、あるいは、硬さや密度やそれらの反対の性質によって比率を捉えるべきではないか、のいずれかである。
- 485a9Οἱ ἀναιροῦντες
実詞化された現在分詞主頭。後続の ὡς 節と ὅτι 節は、否定や主張の内容を表す従属節として並列されており、文全体の主動詞は οὐ καλῶς λέγουσιν である。
- 485a30ζητοῦντα
対格分詞であるが、ここでは非人称形容動詞 ὑποληπτέον(「想定すべきである」)の論理的主語(一般に「人が〜するとき」)に一致する対格不定詞の主語のように機能している。
- 485b10εἰς ταὐτόν
前置詞句 εἰς ταὐτόν(同一のものへ)の後に、「帰する」「導く」などの意味の動詞(例:ἄγειν や φέρειν)が省略されている構文。
- 485b25μίαν ἀπλῶς τὴν τοῦ ὀστοῦ φύσιν
伝達動詞(例:ἔφη 「語った」)が省略された対格不定詞構文(間接話法)、あるいは目的格対格として解釈する。
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)・修正履歴(1 件・最終 2026-09-21)
- 2026-09-21 AI校閲 — 原文 1 件
