- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg004.humanitext-grc2:59
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-28
パイドンはソクラテスの最期に立ち会った際、悲哀と快さが混ざり合った奇妙な感情を抱いたことを回想する。また、その場に立ち会っていたアテナイ人と他邦からの友人たちを挙げ、最期の日の朝の様子を話し始める。
ΦΑΙΔ. διὰ δὴ ταῦτα οὐδὲν πάνυ μοι ἐλεινὸν εἰσῄει, ὡς εἰκὸς ἂν δόξειεν εἶναι παρόντι πένθει,1 οὔτε αὖ ἡδονὴ ὡς ἐν φιλοσοφίᾳ ἡμῶν ὄντων ὥσπερ εἰώθεμεν — καὶ γὰρ οἱ λόγοι τοιοῦτοί τινες ἦσαν — ἀλλ᾽ ἀτεχνῶς ἄτοπόν τί μοι πάθος παρῆν καί τις ἀήθης κρᾶσις ἀπό τε τῆς ἡδονῆς συγκεκραμένη ὁμοῦ καὶ ἀπὸ τῆς λύπης, ἐνθυμουμένῳ2 ὅτι αὐτίκα ἐκεῖνος ἔμελλε τελευτᾶν. καὶ πάντες οἱ παρόντες σχεδόν τι οὕτω διεκείμεθα, τοτὲ μὲν γελῶντες, ἐνίοτε δὲ δακρύοντες, εἷς δὲ ἡμῶν καὶ διαφερόντως, Ἀπολλόδωρος — οἶσθα γάρ που τὸν ἄνδρα καὶ τὸν τρόπον αὐτοῦ. ΕΧ. πῶς γὰρ οὔ; ΦΑΙΔ. ἐκεῖνός τε τοίνυν παντάπασιν οὕτως εἶχεν, καὶ αὐτὸς ἔγωγε ἐτεταράγμην καὶ οἱ ἄλλοι. ΕΧ. ἔτυχον δέ, ὦ Φαίδων, τίνες παραγενόμενοι; ΦΑΙΔ. οὗτός τε δὴ ὁ Ἀπολλόδωρος τῶν ἐπιχωρίων παρῆν καὶ Κριτόβουλος καὶ ὁ πατὴρ αὐτοῦ καὶ ἔτι Ἑρμογένης καὶ Ἐπιγένης καὶ Αἰσχίνης καὶ Ἀντισθένης· ἦν δὲ καὶ Κτήσιππος ὁ Παιανιεὺς καὶ Μενέξενος καὶ ἄλλοι τινὲς τῶν ἐπιχωρίων. Πλάτων δὲ οἶμαι ἠσθένει. ΕΧ. ξένοι δέ τινες παρῆσαν; ΦΑΙΔ. ναί, Σιμμίας τέ γε ὁ Θηβαῖος καὶ Κέβης καὶ Φαιδώνδης καὶ Μεγαρόθεν Εὐκλείδης τε καὶ Τερψίων. ΕΧ. τί δέ; Ἀρίστιππος καὶ Κλεόμβροτος παρεγένοντο; ΦΑΙΔ. οὐ δῆτα· ἐν Αἰγίνῃ γὰρ ἐλέγοντο εἶναι. ΕΧ. ἄλλος δέ τις παρῆν; ΦΑΙΔ. σχεδόν τι οἶμαι τούτους παραγενέσθαι. ΕΧ. τί οὖν δή; τίνες φῂς ἦσαν οἱ λόγοι; ΦΑΙΔ. ἐγώ σοι ἐξ ἀρχῆς πάντα πειράσομαι διηγήσασθαι. ἀεὶ γὰρ δὴ καὶ τὰς πρόσθεν ἡμέρας εἰώθεμεν φοιτᾶν καὶ ἐγὼ καὶ οἱ ἄλλοι παρὰ τὸν Σωκράτη, συλλεγόμενοι ἕωθεν εἰς τὸ δικαστήριον ἐν ᾧ καὶ ἡ δίκη ἐγένετο· πλησίον γὰρ ἦν τοῦ δεσμωτηρίου. περιεμένομεν οὖν ἑκάστοτε ἕως ἀνοιχθείη3 τὸ δεσμωτήριον, διατρίβοντες μετ’ ἀλλήλων, ἀνεῴγετο γὰρ οὐ πρῴ· ἐπειδὴ δὲ ἀνοιχθείη, εἰσῇμεν παρὰ τὸν Σωκράτη καὶ τὰ πολλὰ διημερεύομεν μετ’ αὐτοῦ. καὶ δὴ καὶ τότε πρῳαίτερον συνελέγημεν· τῇ γὰρ προτεραίᾳ ἐπειδὴ ἐξήλθομεν ἐκ τοῦ δεσμωτηρίου ἑσπέρας, ἐπυθόμεθα ὅτι τὸ πλοῖον ἐκ Δήλου ἀφιγμένον εἴη. παρηγγείλαμεν οὖν ἀλλήλοις ἥκειν ὡς πρῳαίτατα εἰς τὸ εἰωθός. καὶ ἥκομεν καὶ ἡμῖν ἐξελθὼν ὁ θυρωρός, ὅσπερ εἰώθει ὑπακούειν, εἶπεν περιμένειν καὶ μὴ πρότερον παριέναι ἕως ἂν αὐτὸς κελεύσῃ· λύουσι γάρ, ἔφη, οἱ ἕνδεκα Σωκράτη καὶ παραγγέλλουσιν ὅπως ἂν τῇδε τῇ ἡμέρᾳ τελευτᾷ.4
パイドン:まさにそれゆえ、悲哀に立ち会う者にとって当然と思われるような同情の念は、まったく私に生じなかった。また一方、私たちがいつものように哲学に没頭していることによる快さも生じなかった。――というのも、語られた議論もそのような性質のものだったのだが――そうではなく、全く奇妙な感情が私にあり、快さと同時に悲しみとが混ざり合った、ある普通ではない混合状態の中に私はいたのだ。あの人が間もなく亡くなろうとしていることを思っていたので。そしてそこにいた全員がほぼ同じような状態で、ある時は笑い、またある時は涙を流していた。とりわけ私たちのうちの一人、アポロドロスがそうだった。君も彼の人物とその気性を知っているだろう。 エケクラテス:もちろんだとも。 パイドン:そこで彼(アポロドロス)は完全にそのような状態でしたし、私自身も他の者たちも動揺していました。 エケクラテス:パイドン、たまたま立ち会っていたのは誰だったのか。 パイドン:地元のアテナイ人のうちでは、まさにこのアポロドロスが立ち会っていましたし、クリトブロスとその父親、さらにヘルモゲネス、エピゲネス、アイスキネス、アンティステネスがいました。また、ペイアニア区のクテシッポスや、メネクセノス、そして他にも地元の人たちが何人かいました。しかし、プラトンは病気だったと思います。 エケクラテス:他邦の者も誰か立ち会っていたのか。 パイドン:はい、テーバイ人のシミアスとケベス、そしてパイドンデスが、またメガラからはエウクレイデスとテルプシオンがいました。 エケクラテス:それでは、アリスティッポスとクレオンブロトスは立ち会ったのか。 パイドン:いいえ、まったく。彼らはアイギナ島にいると言われていましたから。 エケクラテス:ほかに誰か立ち会っていたか。 パイドン:ほぼ彼らが立ち会ったすべてだと思います。 エケクラテス:それでは、どのような議論がなされたというのか。 パイドン:私は最初からすべてを君に説明するよう努めましょう。というのも、前の数日間も常に、私や他の者たちはソクラテスのもとへ通うのを習慣にしており、朝早くに、あの裁判が行われた裁判所に集まっていたからです。そこは牢獄に近かったので。そこで、私たちは毎回、牢獄が開くのを互いに時を過ごしながら待っていたのです。朝早くには開かなかったからです。そして開くと、私たちはソクラテスのもとへ入って行き、一日の大半を彼とともに過ごしていました。そして、まさにその日には、いつもより早く集まりました。前日の夕方に私たちが牢獄を出たとき、デロス島からの船が到着したということを知ったからです。そこで私たちは、いつもの場所にできるだけ早く来るようにと互いに連絡し合いました。そして私たちが到着すると、いつものように応対していた門番が出てきて、自分で指示するまでは中に入らずに待っているようにと言いました。「というのも」と彼は言いました。「十一人の刑吏たちがソクラテスの枷を外し、彼が今日中に死ぬように指示を与えているところだからだ。」
- 59παρόντι πένθει
現在分詞 παρόντι は「立ち会っている者にとって」という与格。πένθει(名詞 πένθος「悲哀、喪、悲嘆」の与格)は、パレ合生の動詞 παρεῖναι が与格を補語に取るため、ここでは「悲哀の場面に立ち会っている者にとって」という関係の与格構造をなしている。または「悲哀がそこにある状態で」という随伴・状況の与格とも解釈されるが、いずれにせよ一般論を述べる文脈である。
- 59ἐνθυμουμένῳ
動詞 ἐνθυμέομαι(心に留める、熟考する)の現在分詞・男性・単数・与格で、主節の心理的体験の主体である μοι(私に)と呼応して、文全体に係る副詞的機能(〜と思ったので、思っているときに)を果たしている。
- 59dἕως ἀνοιχθείη
接続詞 ἕως(〜まで)が導く時間節において、動詞 ἀνοίγω の受動相アオリスト希求法 ἀνοιχθείη が用いられている。これは主節の未完了過去 περιεμένομεν が表す過去の反復的習慣に対応し、過去において「〜が開くまで待っていたものだ」という、反復的状況下での期待・目的を表す希求法の用法である。
- 59eὅπως ἂν … τελευτᾷ
伝達・努力を表す動詞 παραγγέλλουσιν(指示を出す)の後に置かれた目的節。接続詞 ὅπως ἂν と接続法現在 τελευᾷ(死ぬ、最期を迎える)が組み合わさり、「彼が今日中に死ぬように(取り計らっている、手配している)」という指示の内容・目的を表している。
