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ギリシア哲学者列伝

§9.11.92-9.11.97

真理の判定基準と記号や原因の論駁

ピュロン派懐疑論者たちは、客観的真理の判定尺度を独断的に定める立場を批判し、感覚と思惟のいずれによっても真理や説得力は基礎づけられないと論じる。さらに、無限後退や論争性、相対性の論理を用いて判定基準、記号、原因の存在をことごとく論駁する。

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τοὺς δʼ οἰομένους μὴ δεῖν ἐκ τῶν κατὰ περίστασιν κρίνειν τἀληθὲς μηδʼ ἐκ τῶν κατὰ φύσιν νομοθετεῖν, ἔλεγον αὐτοὺς μέτρα τῶν πάντων ὁρίζειν1, οὐχ ὁρῶντας ὅτι πᾶν τὸ φαινόμενον κατʼ ἀντιπερίστασιν καὶ διάθεσιν φαίνεται. ἤτοι γοῦν πάντʼ ἀληθῆ ῥητέον ἢ πάντα ψευδῆ. εἰ δʼ ἔνιά ἐστιν ἀληθῆ, τίνι διακριτέον; οὔτε γὰρ αἰσθήσει τὰ κατʼ αἴσθησιν, πάντων ἴσων αὐτῇ φαινομένων, οὔτε νοήσει διὰ τὴν αὐτὴν αἰτίαν. ἄλλη δὲ παρὰ ταύτας εἰς ἐπίκρισιν δύναμις οὐχ ὁρᾶται. ὁ οὖν, φασί, περί τινος διαβεβαιούμενος αἰσθητοῦ ἢ νοητοῦ πρότερον ὀφείλει τὰς περὶ τούτου δόξας καταστῆσαι· οἱ μὲν γὰρ ταῦτα, οἱ δὲ ταῦτα ἀνῃρήκασι. δεῖ δʼ ἢ διʼ αἰσθητοῦ ἢ νοητοῦ κριθῆναι. ἑκάτερα δὲ ἀμφισβητεῖται.

また、付帯的状況に基づく事柄から真理を判定すべきではないとか、自然本性に基づく事柄から規定すべきではないと考える者たちについて、彼らが言っていたのは、その者たちがすべてのものの尺度を自ら規定しているということ、そしてあらゆる現れが状況の対抗作用や状態に従って現れていることを見ていないということである。したがって、すべてのものが真であると言うか、あるいはすべてのものが偽であると言わねばならない。だが、もし一部のものが真であるとすれば、何によって区別されるべきであろうか。感覚の対象は感覚によっては区別され得ない、感覚にはすべてが等しく現れるからである。思惟によっても同様の理由で区別され得ない。そしてこれら以外には、判定のための能力は見出されない。それゆえ彼らが言うには、感覚されるものや思惟されるものに関して何かを固く主張しようとする者は、まずこの対象についての様々な思惑を確立しなければならない。というのも、ある人々はこれらを否定し、他の人々はこれらを否定したからである。そして感覚されるものによるか、思惟されるものによるかのいずれかで判定されねばならないが、双方が議論の的となっている。

οὐδὲ τοίνυν δυνατὸν τὰς περὶ αἰσθητῶν ἢ νοητῶν ἐπικρῖναι δόξας· εἴ τε διὰ τὴν ἐν ταῖς νοήσεσι μάχην ἀπιστητέον πᾶσιν, ἀναιρεθήσεται τὸ μέτρον ᾧ δοκεῖ τὰ πάντα διακριβοῦσθαι· πᾶν οὖν ἴσον ἡγήσονται. ἔτι, φασίν, ὁ συζητῶν ἡμῖν τὸ φαινόμενον πιστός ἐστιν ἢ οὔ. εἰ μὲν οὖν πιστός ἐστιν, οὐδὲν ἕξει λέγειν πρὸς τὸν ᾧ φαίνεται τοὐναντίον· ὡς γὰρ αὐτὸς πιστός ἐστι τὸ φαινόμενον λέγων, οὕτω καὶ ὁ ἐναντίος· εἰ δʼ ἄπιστος, καὶ αὐτὸς ἀπιστηθήσεται τὸ φαινόμενον λέγων.

それゆえ、感覚されるものや思惟されるものについての様々な思惑を判定することは不可能である。また、思惟における対立ゆえにすべてのものを信用してはならないとするなら、すべての事柄を厳密に区別するように思われる尺度が否定されることになり、したがって彼らはすべてを等しいとみなすことになる。さらに彼らが言うには、現れについて我々と共に探求している人物は、信頼に値するのか否か。もし信頼に値するならば、反対の現れを持つ者に対して言うべき言葉を何も持たないであろう。なぜなら自らが現れを述べて信頼に値するように、反対者もまたそうだからである。他方、もし信頼に値しないならば、自らもまた現れを述べるにあたって信用されないであろう。

Τό τε πεῖθον οὐχ ὑποληπτέον ἀληθὲς ὑπάρχειν. οὐ γὰρ πάντας τὸ αὐτὸ πείθει οὐδὲ τοὺς αὐτοὺς συνεχές. γίνεται δὲ καὶ παρὰ τὰ ἐκτὸς ἡ πιθανότης, παρὰ τὸ ἔνδοξον τοῦ λέγοντος ἢ παρὰ τὸ φροντιστικὸν ἢ παρὰ τὸ αἱμύλον ἢ παρὰ τὸ σύνηθες ἢ παρὰ τὸ κεχαρισμένον. Ἀνῄρουν δὲ καὶ τὸ κριτήριον λόγῳ τοιῷδε. ἤτοι κέκριται καὶ τὸ κριτήριον ἢ ἄκριτόν ἐστιν. ἀλλʼ εἰ μὲν ἄκριτόν ἐστιν, ἄπιστον καθέστηκε καὶ διημάρτηκε τἀληθοῦς καὶ τοῦ ψεύδους· εἰ δὲ κέκριται, ἓν τῶν κατὰ μέρος γενήσεται κρινομένων, ὥστʼ ἂν τὸ αὐτὸ καὶ κρίνειν καὶ κρίνεσθαι καὶ τὸ κεκρικὸς τὸ κριτήριον ὑφʼ ἑτέρου κριθήσεται2 κἀκεῖνο ὑπʼ ἄλλου καὶ οὕτως εἰς ἄπειρον.

また、説得力あるものが真実として存在すると想定すべきではない。というのも、同じものがすべての人を説得するわけでもなく、同じ人たちを絶えず説得するわけでもないからである。さらに、説得力は外的な要因からも生じるのであり、語る者の名声に基づいたり、その綿密さに基づいたり、あるいは巧みな弁舌に基づいたり、慣習に基づいたり、心地よさに基づいたりして生じるのである。 彼らはまた、次のような議論によって判定基準をも否定した。判定基準そのものもまた判定されているか、あるいは無判定であるかのいずれかである。しかし、もし無判定であるならば、信用できないものとして定まり、真と偽とを見誤っている。他方、もし判定されているならば、個別に判定される事物の一つとなり、その結果、同じものが判定することにも判定されることにもなり、判定基準を判定したそのものもまた別のものによって判定され、それもさらに別のものによって、とこのように無限に至るであろう。

πρὸς τῷ καὶ διαφωνεῖσθαι τὸ κριτήριον, τῶν μὲν τὸν ἄνθρωπον κριτήριον εἶναι λεγόντων, τῶν δὲ τὰς αἰσθήσεις, ἄλλων τὸν λόγον, ἐνίων τὴν καταληπτικὴν φαντασίαν. καὶ ὁ μὲν ἄνθρωπος καὶ πρὸς αὑτὸν διαφωνεῖ καὶ πρὸς τοὺς ἄλλους, ὡς δῆλον ἐκ τῶν διαφόρων νόμων καὶ ἐθῶν. αἱ δʼ αἰσθήσεις ψεύδονται, ὁ δὲ λόγος διάφωνος. ἡ δὲ καταληπτικὴ φαντασία ὑπὸ νοῦ κρίνεται καὶ ὁ νοῦς ποικίλως τρέπεται. ἄγνωστον οὖν ἐστι τὸ κριτήριον καὶ διὰ τοῦτο ἡ ἀλήθεια.

判定基準を巡って見解の不一致があるということに加えてである。ある人々は人間が判定基準であると言い、ある人々は感覚であると言い、他の人々はロゴスであると言い、一部の人々は把握的表象であると言う。そして人間は自分自身に対しても他人に対しても不一致をきたしており、そのことは様々な法律や慣習から明らかである。感覚は欺くし、ロゴスは不一致である。把握的表象は知性によって判定されるが、知性は多様に変転する。それゆえ判定基準は不可知であり、このゆえに真理もまた不可知である。

Σημεῖόν τʼ οὐκ εἶναι3· εἰ γάρ ἐστι, φασί, σημεῖον, ἤτοι αἰσθητόν ἐστιν ἢ νοητόν· αἰσθητὸν μὲν οὖν οὐκ ἔστιν, ἐπεὶ τὸ αἰσθητὸν κοινόν ἐστι, τὸ δὲ σημεῖον ἴδιον. καὶ τὸ μὲν αἰσθητὸν τῶν κατὰ διαφοράν, τὸ δὲ σημεῖον τῶν πρός τι. νοητὸν δʼ οὐκ ἔστιν, ἐπεὶ τὸ νοητὸν ἤτοι φαινόμενόν ἐστι φαινομένου ἢ ἀφανὲς ἀφανοῦς ἢ ἀφανὲς φαινομένου ἢ φαινόμενον ἀφανοῦς· οὐδὲν δὲ τούτων ἐστίν· οὐκ ἄρʼ ἐστὶ σημεῖον. φαινόμενον μὲν οὖν φαινομένου οὐκ ἔστιν, ἐπεὶ τὸ φαινόμενον οὐ δεῖται σημείου· ἀφανὲς δʼ ἀφανοῦς οὐκ ἔστιν, ἐπεὶ δεῖ φαίνεσθαι τὸ ἐκκαλυπτόμενον ὑπό τινος·

さらに、記号なるものは存在しないと彼らは主張する。なぜなら彼らが言うには、もし記号が存在するならば、それは感覚されるものであるか思惟されるものであるかのいずれかである。感覚されるものではあり得ない、感覚されるものは共通のものであるのに対して、記号は固有のものであるからである。また感覚されるものは差異によるものに属するのに対して、記号は関係的なものに属する。他方、思惟されるものでもあり得ない、思惟されるものは、現れているものの現れている記号であるか、現れていないものの現れていない記号であるか、現れているものの現れていない記号であるか、あるいは現れていないものの現れている記号であるかのいずれかであるからである。だが、これらのいずれでもない。それゆえ記号は存在しない。現れているものの現れている記号ではあり得ない、現れているものは記号を必要としないからである。現れていないものの現れていない記号でもあり得ない、何ものかによって明らかにされるものは現れていなければならないからである。

ἀφανὲς δὲ φαινομένου οὐ δύναται, καθότι δεῖ φαίνεσθαι τὸ ἑτέρῳ παρέξον ἀφορμὴν καταλήψεως· φαινόμενον δʼ ἀφανοῦς οὐκ ἔστιν, ὅτι τὸ σημεῖον τῶν πρός τι ὂν συγκαταλαμβάνεσθαι ὀφείλει τῷ οὗ ἐστι σημεῖον, τὸ δὲ μὴ ἔστιν4. οὐδὲν ἄρα τῶν ἀδήλων ἂν καταλαμβάνοιτο· διὰ γὰρ τῶν σημείων λέγεται τὰ ἄδηλα καταλαμβάνεσθαι. Ἀναιροῦσι δὲ τὸ αἴτιον ὧδε· τὸ αἴτιον τῶν πρός τι ἔστι· πρὸς γὰρ τὸ αἰτιατόν ἐστι· τὰ δὲ πρός τι ἐπινοεῖται μόνον, ὑπάρχει δʼ οὔ·

また、現れているものの現れていない記号であることもできない、他者に把握のきっかけを提供するものは現れていなければならないからである。現れていないものの現れている記号でもあり得ない、記号は関係的なものとして、それが記号であるところの相手と共に把握されねばならないのに、現れていないものはそうではないからである。それゆえ、不明瞭な事柄は何ひとつ把握され得ないであろう。なぜなら不明瞭な事柄は記号を通じて把握されると言われているからである。 彼らはまた、次のように原因を否定する。原因は関係的なものに属する。なぜなら引き起こされたものに対する関係にあるからである。しかるに関係的なものは思惟されるだけであって、実在するのではない。

構文注4 件
  1. 9.11.92τοὺς δʼ οἰομένους μὴ δεῖν ... ἔλεγον αὐτοὺς μέτρα τῶν πάντων ὁρίζειν

    文頭の τοὺς οἰομένους は主動詞 ἔλεγον に対する話題の先取り(対格構文)であり、続く不定詞 ὁρίζειν の意味上の主語として代名詞 αὐτούς が冗長・強意的に再開されている。文全体の主語は直前節から引き継がれた懐疑論者たちである。

  2. 9.11.94ὥστʼ ἂν τὸ αὐτὸ καὶ κρίνειν καὶ κρίνεσθαι καὶ τὸ κεκρικὸς τὸ κριτήριον ὑφʼ ἑτέρου κριθήσεται

    結果を表す ὥστε の導く節内で、前半は ἄν + 不定詞(κρίνειν καὶ κρίνεσθαι)による潜在的帰結(「同じものが判定し判定されることにもなりえよう」)をなし、後半は καί で結ばれて直説法未来(κριθήσεται)へと文形が推移している。不合理な帰結の連鎖を生き生きと描く文体的な構文転換である。

  3. 9.11.96Σημεῖόν τʼ οὐκ εἶναι

    主動詞を欠く対格不定詞句であり、懐疑論者たちの教説・主張を要約・列挙する間接話法として機能している。直前の §9.11.94 の Ἀνῄρουν や ἔλεγον / ἔφασαν などの発話・否定動詞の意味が暗黙裡に支配している。

  4. 9.11.97τὸ δὲ μὴ ἔστιν

    ここでの τὸ δέ は指示代名詞(「しかしそのこと/それは」)として直前の要件(「記号がその対象と共に把握されること」あるいは「非顕然な対象が現れていること」)を指し、μὴ ἔστιν は「存在しない」「成り立たない」という否定事実を端的に表す(独断的主張を退ける文脈における μή の用例)。

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