アリストテレス · Aristotle
メリッソス・クセノパネス・ゴルギアスについて
On Melissus, Xenophanes, and Gorgias
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底本
Aristotle. Aristotelis Opera, Volume 6. Bekker, Immanuel, editor. Oxford: Oxford University Press, 1837.
原文データ出典
Open Greek and Latin · CC BY-SA 4.0
Humanitext がクローン・再構成し、継続的に更新しています。
要旨
本作は、初期ギリシアの哲学者であるメリッソス、クセノパネス、そしてソフィストのゴルギアスの学説を対象とし、その存在論や認識論、論理的帰結を批判的に検証する哲学論考です。作品は大きく三つの部分に分かれ、それぞれの思想家の主張を要約した上で、その前提や論証の矛盾を緻密に分析します。前半では、エレア派の「無から何も生じない」という大前提や、存在の一性・不動性・無限性、さらには唯一の神に関する規定が吟味されます。著者は他学派の自然哲学も参照しつつ、感覚が示す多や運動、変化の可能性を擁護します。後半では、ゴルギアスの「何ものも存在しない、仮に存在しても知られず、伝えられない」という有名な三分法を取り上げ、その論理的な破綻や感覚知覚と言葉(ロゴス)の非対称性を指摘して論駁を試みます。本書は、一元的な存在論や過激な懐疑主義に対し、整合的な論理分析を通じてその不整合性を暴き出す試みとなっています。
目次
11 チャンク
引用方式:part.chapter.section
- §Xenoph.1.1-Xenoph.1.7
存在の永遠性と無限性および不動性
エレア派(メリッソス)の存在論が要約され、存在が一であり、永遠、無限、同質、不動、不変であることを論じる。
- §Xenoph.1.8-Xenoph.1.15
無からの生成の否定に対する批判と感覚の確実性
著者は、「無から何も生じない」という大前提自体が感覚的誤謬に基づいている可能性を指摘し、感覚が示す「多や運動」の方がこの前提よりも確実であると主張する。さらに、ヘシオドスなどの知者も無からの生成を認めていたことを挙げ、エレア派の絶対的前提を批判する。
- §Xenoph.2.1-Xenoph.2.10
無からの生成否定と循環的・多元的生成の可能性
著者は、クセノパネスの「無からの生成の不可能性」という前提を受け入れたとしても、事物が無限に循環して生じることや、エンペドクレスやアナクサゴラスらの物理的・多元的システム、あるいはミレトス学派的な一元論的システムによる生成が可能であることを示し、クセノパネスの論理的帰結を批判的に検討する。
- §Xenoph.2.11-Xenoph.2.20
不生なるものの無限性と有限性をめぐる検討
著者は、不生なるものがなぜ無限でなければならないのかを疑問視し、全体が一であり不生であっても有限でありうる可能性や、複数の無限なものが存在しうる可能性を、ゼノファネスやエンペドクレスを引きながら論じる。
- §Xenoph.2.21-Xenoph.2.30
空虚なき運動と質的変化の可能性についての論駁
ゼノファネスの説に対する批判を継続し、空虚が存在しないとしても、稀薄さと濃厚さの対立や、事物の相互置換、および「質的変化」によって運動や変化が可能であることを論じる。さらに、アナクサゴラスやエンペドクレスの混合説に言及しつつ、一なる宇宙においても多なる世界においても運動や変化が矛盾なく成立しうることを示す。
- §Zenon.3.1-Zenon.3.9
クセノパネスによる神の不生性と属性の論証
クセノパネス(またはゼノン)の神論が提示され、神は不生にして永遠であり、唯一の支配者としてあらゆる点において等質かつ球状であり、無限でも有限でもなく、静止も運動もしないという一連の性質が論証される。
- §Zenon.4.1-Zenon.4.10
クセノパネスの神論と球状性に対する批判
クセノパネスによる不生の神や球状の唯一神という規定に対し、生成の不可能性の前提を批判し、球状であることや無限・有限の否定が論理的に自己矛盾をはらんでいることを検証する。
- §Zenon.4.11-Zenon.4.20
一なるものの有限性と不動性の概念的区別
一なるものとしての神が有限でありうることをパルメニデスの詩句を引用して論じ、また「動かないこと」と「不動であること」の概念的区別を提示して、非存在と存在者の属性帰属に関する論理的整合性を探究する。
- §Georg.5.1-Georg.5.4
ゴルギアスの三分法と何ものも存在しないことの論証
ゴルギアスの有名な三分法(存在しないこと、知られないこと、伝えられないこと)を紹介し、他者の存在論を総合・論駁することで「何ものも存在しない」という第一命題を証明する論理的手続きが説明される。
- §Georg.6.1-Georg.6.7
ゴルギアスの無存在論に対する反論
著者はゴルギアスの前提から「何も存在しない」は帰結しないと指摘し、存在と非存在の同値性に基づく彼の推論を批判する。さらに、存在者が不生または可生であるという二分法に対し、メリッソスやゼノンの議論を応用してその矛盾を突く。
- §Georg.6.8-Georg.6.17
存在の不可能性と不可知性および不可伝達性
ゴルギアスは、存在者が不生・可生、あるいは一・多のいずれでもありえないことによって存在の不可能性をさらに論じ、たとえ存在するとしてもそれは認識不可能であり、かつ言葉による伝達も不可能であることを、感覚知覚とロゴスの非対称性から証明する。
