底本
Platonis Opera, Tomus II: Tetralogia III-IV. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1910.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg016.perseus-grc2
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
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最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、哲学の真の定義と価値をめぐって展開される対話篇です。哲学校(ディオニュシオスの学校)を訪れたソクラテスが、ある若者を巡る二人の恋敵(ライバル)たちと出会い、哲学とは何かについての議論を始めます。対話者は、哲学者は専門技術を極めるのではなく、あらゆる技術の議論に長けた「万能の教養人」であるべきだと主張しますが、ソクラテスはこれでは各分野の専門家がいる限り、哲学者が無用で不完全な存在になってしまうと反論します。最終的にソクラテスは、真の哲学とは単なる博識や諸技術の模倣ではなく、自己を知る「思慮(ソプロシュネー)」や、魂を正しく導いて家庭や国家を治める「正義」と「統治術」に他ならないことを論証します。
目次
4 チャンク
引用方式:section
- §132-133
哲学の価値と多識の定義をめぐる議論
ソクラテスがディオニュシオスの学校を訪れ、議論する若者とその恋人たちに出会う。哲学の価値をめぐって恋敵の間で対立が生じ、哲学とは多くのことを学び続けること(多識)であるかどうかが議論される。
- §134-135
適度な学びと哲学者に求められる教養
適度な労苦や学びこそが有益であるとの合意に至り、ソクラテスと対話者は哲学者が学ぶべき内容を議論する。対話者は、哲学者は専門技術を極めた職人ではなく、自由人にふさわしい知的理解を備え、諸技術の議論において最も優れた見識を示す「万能の教養人」であるべきだと主張する。
- §136-137
五種競技者としての哲学者批判と正義の知
ソクラテスは、哲学者を「準一流の五種競技選手」と定義する対話相手の主張を逆手に取り、それならば個別の専門技術者がいる限り哲学者は無用で不完全な存在になると論証し、真の哲学とは複数の専門知識のつまみ食いではなく、魂を正しく導く「正義」に関わるものであるという議論を導き出す。
- §138-139
思慮と統治術の一致と哲学者の真の役割
ソクラテスは、自己を知る思慮(節度)と他者を正しく導く正義や統治術が同一の技術であることを示し、哲学者こそが家庭や国家において主導的な役割を果たすべきだと論じて、哲学が単なる博識や諸技術の模倣ではないことを明らかにする。
