コルネリウス・ネポス · Cornelius Nepos
アッティクス伝
Atticus
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底本
Cornelius Nepos. Cornelii Nepotis Vitae. Fleckeisen, Alfred; Halm, Karl, editors. Leipzig: Teubner, 1886.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA (Perseus の利用条件による)
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要旨
本作は、共和政ローマ末期の内乱期を、卓越した知恵と品性によって生き抜いた騎士ティトゥス・ポンポニウス・アッティクス(Titus Pomponius Atticus)の生涯を描いた伝記である。物語は、アッティクスの高貴な出自と教養豊かな少年期、そしてアテナイへの留学における市民との深い交流から始まる。激動の時代にあって、彼は特定の党派に加担することなく一貫して中立を保ち、カエサルやアントニウス、オクタウィアヌスといった対立する有力者双方から信頼されつつ、敗者や弱者を救済し続けた。私生活においては、莫大な富を築きながらも極めて質素で節度ある生活を送り、キケロをはじめとする多くの知識人や政治家と深い友情を結び、歴史書の執筆などの文化活動に勤しんだ。晩年、病に侵された彼は、自らの信念に従って絶食による死を選択し、その高潔な生涯を自らの手で静かに締めくくる。
目次
22 チャンク
引用方式:chapter.section
- §1.1-1.4
アッティクスの出自と少年期の教育
アッティクスの高貴な出自と、文学を愛する父親による少年期の教育、そして少年アッティクスの際立った才能と魅力が同級生たちとの親交を深めさせたことを語る。
- §2.1-2.6
アッティクスのアテナイ滞在と市民への篤志
アッティクスは内乱の危機を避けるため財産を移してアテナイへ留学し、そこで市民への寛大な経済的支援を通じて絶大な信頼と愛情を得た。
- §3.1-3.3
アテナイ市民からの敬愛と栄誉の辞退
アッティクスがアテナイで身分の上下を問わず愛され、市民権の授与を辞退しつつも、国政の助言者として重んじられ像を建てられたことを述べる。また、ローマに生まれた幸運とアテナイで愛された賢明さを称える。
- §4.1-4.5
スッラからの同行要請の辞退とローマへの帰還
スッラがアテナイを訪れた際、アッティクス(ポンポニウス)は彼の知性と教養によって重用されるが、ローマの内戦において中立を保つためスッラへの同行を辞退し、アテナイ市民に惜しまれつつ後にローマに帰還する。
- §5.1-5.4
叔父からの遺産相続とキケロらとの親交
アッティクスは気難しい叔父カエキリウスから多額の遺産を相続し、キケロ兄弟や雄弁家ホルテンシウスとの間で、姻戚関係を超えた極めて深い交友関係を築いた。
- §6.1-6.5
官職と政治的紛争の忌避による平穏の維持
アッティクスが政治の荒波を避け、官職の追求や公的利権、属州への随行を断ることで、私生活の平穏と品格を守り抜いた様子が描かれています。
- §7.1-7.3
内乱期における中立と双方への配慮
カエサルの内乱が勃発した際、アッティクスは年齢を理由に中立を保ち、ポンペイウスとカエサルの双方に対して配慮深く振る舞った。その結果、どちらの陣営からも非難されることなく、親族の安全をも確保することに成功した。
- §8.1-8.6
ブルトゥスとの交友と共同基金への不参加
カエサル暗殺後、アッティクスはマルクス・ブルトゥスと深い親交を結ぶ。彼は暗殺者たちのための騎士階級による共同基金への出資要請を、党派性に加担しないという信念から拒絶したものの、後にブルトゥスが失勢し亡命を余儀なくされた際には個人的に多額の資金援助を行い、権力者への阿諛や弱者の見捨てを避けた。
- §9.1-9.7
公敵となったアントニウスの家族への支援
ムティナの戦いの後、公敵とされたアントニウスの妻子や友人が迫害を受ける中、アッティクスは彼らを保護し経済的にも多大な支援を行い、その党派に偏らない態度が一部で非難されつつも独自の信念を貫いた。
- §10.1-10.6
アントニウスによる公敵名簿からの除外と保護
アントニウスがイタリアに帰還して情勢が逆転する中、アッティクスはプブリウス・ウォルムニウスの家に身を隠すが、かつての恩義を忘れないアントニウスによって彼と友人のカヌスはプロスクリプティオから除外され、保護される。
- §11.1-11.6
内乱敗者への無私の支援と品性による運命の形成
アッティクスは内乱の犠牲者や敗者に対してエペイロスから寛大な救済と保護を行い、彼の寛大さが打算的なものではないことを証明した。そして彼は自分の品性によって運命を形作ったことが語られる。
- §12.1-12.5
アグリッパとの婚姻と公敵名簿下での友人救済
アッティクスの高い徳行により、アグリッパはアッティクスの娘との結婚を選び、アントニウスもその仲介を行った。アッティクスは、プロスクリプティオによって危機に瀕したサウフェイウスや詩人カリドゥスなどの友人を、その絶大な影響力を用いて救った。
- §13.1-13.7
アッティクスの質素な邸宅と優れた家政
アッティクスの質素な生活態度と優れた家政について、自前で教育した奴隷の使用や、叔父から受け継いだ質素な邸宅、そして極めて少額に抑えられた毎月の生活費を挙げて、著者自身の目撃談を交えつつ記述する。
- §14.1-14.3
アッティクスの質素な宴席と財産増加後の節度
アッティクスが宴会で朗読を好んだこと、財産が増えても生活様式を変えずに高い節度を保ったこと、贅沢な別荘を持たず質素な不動産投資にとどめたことを説明する。
- §15.1-15.3
アッティクスの誠実な人柄と委託業務への献身
アッティクスの誠実な人柄、約束の遵守、彼が多くの著名人の実務を代行したこと、そして彼が怠惰からではなく信念に基づいて国政を避けたことが述べられる。
- §16.1-16.4
世代を超えた人脈とキケロとの書簡
アッティクスが若者から老人、同世代に至るまで幅広く愛されたこと、特に関係の深かったキケロが彼に宛てて書いた膨大な往復書簡が、当時の歴史を極めて正確に伝える優れた資料であり、キケロの先見の明を証明するものであることを説明する。
- §17.1-17.3
母親と姉妹に対するアッティクスの深い家族愛
アッティクスが母親や姉妹と一度も不和にならずに過ごしたという深い家族愛を、母親の葬儀での彼の言葉を通して語り、その美徳が天性だけでなく哲学の実践によるものであることを示す。
- §18.1-18.6
アッティクスの年代記と家系図などの著作活動
アッティクスがローマの歴史や政務官の系譜を整理した『年代記』を著したこと、また著名な氏族の求めに応じて個別の家系図を作成したこと、さらに肖像画に添える簡潔な賛歌を詩作したことや、キケロの執政官職に関するギリシア語の著作について記述する。
- §19.1-19.4
伝記の追補とオクタウィアヌスとの姻戚関係
著者はアッティクスの死後に本伝記の記述を続行することを宣言し、アッティクスの人格がオクタウィアヌス(カエサル)との密接な姻戚関係をもたらした具体例を示す。
- §20.1-20.5
オクタウィアヌスおよびアントニウスとの文通
オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)とアントニウスが、多忙や遠隔地にあっても頻繁にアッティクスと文通を重ね、その親交を保っていたことを語る。また、対立する二人の有力者双方から好意を維持し続けたアッティクスの並外れた知恵を称賛する。
- §21.1-21.6
アッティクスの重病と自死の決意
アッティクスは七十七歳で深刻な腸の病に罹り、回復の見込みがないことを悟ると、娘婿のアグリッパや友人たちを呼び寄せ、これ以上病を長引かせずに自ら死を選ぶ決意を告げる。
- §22.1-22.4
アッティクスの絶食死と簡素な葬儀
アティクスは、アグリッパらの懇願を退けて絶食による自死の決意を貫き、熱が引いた後もそれを遂行して3月31日に世を去った。彼の葬儀は自らの望み通り簡素に行われ、アッピア街道沿いの叔父の墓に埋葬された。
